地下鉄サリン事件被害者の映画監督、重症に至らなかった理由を考察

公開: 更新:

「地下鉄サリン事件」の被害者である映画監督・さかはらあつしさんが、6月21日に放送された『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系、毎週木曜24:12~)に出演。当時の状況と今も苦しめられる後遺症について明かした。

「地下鉄サリン事件」とは、日比谷線、丸の内線、千代田線の車内でオウム真理教の幹部らがサリンを散布し、最終的に死者13名、負傷者6,000名以上を出した戦後最大の無差別テロ事件である。

当時、築地にあった勤務先へ向かうため、日比谷線六本木駅から築地駅に向かったさかはらさんは、午前8時過ぎに先頭車両の3つ目のドアから乗車したという。すると、すぐ左に新聞紙とビニール袋を発見。当時はそれがサリンを包んでいるものとは知らず、そこに足を乗せて席に座ろうと思ったのだとか。しかし、周囲の乗客の「そこへ座るの?」という視線を感じ、少し離れた場所で立つことにしたのだそう。

新聞を読んでいると、だんだん目の調子が悪くなり字が読めなくなってきた。当初は疲れのせいだと思っていたそうなのだが、シンナーのような匂いに違和感を感じたさかはらさんは、2両目に移る。しばらくすると、さきほどいた1両目から「失神している人がいる」との声があった。そちらに目を向けると、あの新聞紙近くに座っていた人がグッタリしているのを発見。さらにアナウンスで「築地で爆発事故が起きた」とのアナウンスが流れる。その日、大事なプレゼンをすることになっていたさかはらさんは、急遽タクシーで会社に向かうことにした。

プレゼン前に会社でシャワーを浴びたのだが、さかはらさんは当時の状況を「脂汗が出てきて、だんだん視界が暗くなってくるんですよ」と回顧。そのまま病院にかけこむと「すでに野戦病院のようになっていた」のだとか。受付で症状を伝えると、そのままストレッチャーに乗せられ奥へ。当時は、症状の原因がサリンだということも分からないので「アカンと思った。『これアウトやな』という覚悟になりました」とのこと。多数の負傷者を抱えた病院だったため、全員分の解毒剤はなく通常の点滴をして帰宅したのだそう。

さかはらさんは結果的に重症に至らなかったわけだが「僕の場合『シャワーを浴びたのが良かった』という人もいる」とシャワーで洗い流したために、皮膚からサリンを吸収せずに済んだのではと予想した。しかし、現在でも後遺症に悩まされているというさかはらさん。感情のコントロールが難しく、目や身体の疲れ、さらには痺れも感じていることを明かした。

また、さかはらさんは、今回の首謀者である麻原彰晃(松本智津夫)が死刑判決を言い渡された2004年の東京地裁の裁判も被害者として傍聴したそう。松本死刑囚の第一印象は「汚いおっさんやな」と思ったと明かし、死刑宣告をされた際には「僕の見方かもしれないけど、ビクッとしたような感じがした」と振り返った。

PICK UP