宮田悟志「サンサーラ」歌唱、生き様を歌に込めて…

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宮田悟志、広瀬香美の生歌の衝撃「あまりのスゴさに笑うしかなかった」】

――宮田さんはもともと野球選手になる夢をお持ちで、けがが原因でその後歌の道に……。そうした挫折をどのように乗り越えていかれたのでしょうか? 

もともと僕は野球でプロ野球選手を目指していました。ところが大学4年生のときにケガをしてしまい。それまでずっと試合に出ていたのに急に身体が動かなくなり卒業を迎えたことをすごく後悔したので、もう1年だけ挑戦しようと期限を決めました。そこから、いろいろなセレクションを受けて「これでダメなら諦めよう」という覚悟というか決断をしました。結局1年間やってみて合格できなかったので、野球をきっぱり諦めて、アパレルの会社に入社しました。

――気持ちの切り替えはすぐ出来たのでしょうか?

はい。“やりきった感”があったので、気持ち的に納得できたのもそうですが、その頃には、自分がイメージするパフォーマンスができなくなっていて、あらゆる治療をしても身体が動かなかったので、これはもう自分が納得のいくプレーはできないなと思い、それで辞められたというのもありますね。だから次のステップにすぐ行けたのだと思います。

――その後、「広瀬香美音楽学校」に行かれ、歌の道へ?

歌はもともと好きだったので、学校へ行くことにしたのですが、最初から「プロになる」と決意して始めたわけじゃなかったんです。

――広瀬さんから「本気で歌ってない」と言われたそうですが、その言葉をかけられてから変化はありましたか?

香美さんの言葉はグサッと刺さりました。確か「(あなたの歌は)面白くない」みたいなことを言われたんです(笑)。逆に、その時に「あなた良いわね」って褒められていたら、もしかしたらそこで満足していたかもしれないですね。後にそれが香美さんの愛だったとわかって。当時、本気で言ってくださったことが、今に繋がっていると思います。「悔しい」と思ったことが、音楽でプロを目指すきっかけになったと思います。

――そこで初めて「プロ」というものを意識された、と?

香美さんのレッスンを受講した時に、あまりのスゴさに笑っちゃったんですよね(笑)。「これがプロなんだ!」っていう衝撃が大きくて……。香美さんが「私の歌、ちょっと聞いてて」っていきなり弾き語りを聞かせてくださったんですが、“あの広瀬香美が自分たちの前で歌ってる……”って、圧倒されて口もポカーンと開いていました(笑)。それをきっかけに本気スイッチが入りました。

――本気スイッチが入ってからの変化は? 生活も変わりましたか?

そうですね、当時働いていた会社を、すぐに辞めると決めて。辞表を出しにいったら「どうすんだよシフト!」ってめちゃくちゃ怒られました。結局、1カ月後くらいに辞められたのですが、その後はバイトをしながら音楽を優先する生活です。融通が利くバイトを夜までして、朝まで歌ってっという、今思えば体に良くない生活をしていましたね。それが1年半くらい続いてオーディションを受けました。準備期間が持てたのでタイミング的にもすごく良くて……ちょうど25歳、26歳になる年で、年齢的に周りは就職して3年目とか4年目になっていて、一般社会でも勝負の年というか。だから僕もオーディションにすごく賭けていて、10代の子たちとは気合が違ったんじゃないかな(笑)。

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