サプライズに涙...休む間もなく働き、露天風呂を自作! 借金5000万円を返済した老舗旅館の若旦那:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

露天風呂も自作! 大女将と衝突しながら奮闘する若旦那

続いては、ニッポンのあるものが好きすぎて来日し、そのまま住むことを決意した外国の方を応援する「ニッポン住んじゃった人応援団」。

紹介するのは、長野県に住むアメリカ・シアトル出身のタイラーさん。

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タイラーさんが好きでたまらないものは、伝統的な「日本旅館」。なんと、長野県千曲市・戸倉上山田温泉にある、創業65年「亀清旅館」で、15年若旦那を務めています。アメリカの大学で日本語の授業を専攻していたタイラーさんは、23歳の時に英語講師として来日。英会話学校の生徒だった磨利さんと出会い、恋を実らせて27年前に結婚しました。

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亀清旅館は、美肌の湯として知られる戸倉上山田温泉の中でも人気の宿で、素朴な露天風呂がお客さんから愛されています。部屋は純和風で12室あり、満室になることもしばしば。ここで、タイラーさんの仕事ぶりを見せてもらうことに。まずはお風呂掃除から。単純硫黄泉を24時間かけ流しにしているため、温泉成分がこびりつかないように掃除は欠かせません。続いては歓迎案内の名前書き。慣れた手つきで漢字もスラスラ書いていきます。

午後3時になると、若旦那として先頭に立ち、お客様の出迎えと車の整理。2メートルの長身を屈めながら部屋へご案内すると、駆け足で厨房へ向かい食事の配膳。地元の素材を活かした創作懐石も人気です。食事が終わると各部屋の布団敷き。満室の日は40枚近くを1人で敷くという重労働! この日は子ども連れのお客さんが多かったということで、夜8時半には大広間でポップコーンを作り、振る舞います。旅館でのひとときを楽しんでもらいたいというタイラーさんのおもてなしです。

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これだけの労働を、休みなくこなしているタイラーさん。長女の美咲さんは、お父さんのことをずっと動いているマグロのようだと話します。そんなタイラーさんは、どのようにして旅館の若旦那になったのでしょうか。

実は、磨利さんと結婚した地はアメリカのシアトル。家も購入し、家族で10年ほどシアトルで暮らしていましたが、磨利さんのお母さんで当時女将だった淳子さんから「旅館をたたもうかな」と連絡が。「亀清旅館」は、元々芸者さんの置屋で、100年以上の歴史を持つ建物。磨利さんと交際中によく訪れていたタイラーさんは、日本的な佇まいに感銘を受けていました。しかし2003年、淳子さんのご主人が亡くなり経営が悪化。5000万円ほどの借金もあり、淳子さんはやむなく宿をたたもうと考えたのです。

それを聞いたタイラーさんは、家族で長野に引っ越して旅館の跡を継ごうと提案します。貴重な建物と旅館の文化、伝統を残したい…そんな気持ちから出た言葉でした。旅館の大変さを知っている磨利さんは反対しましたが、タイラーさんが説得し、若旦那として跡を継ぐことに。旅館の仕事は全くの初心者でしたが、半世紀続いた宿を守るため、懸命に働きました。しかし考え方の違いから、大女将と度々衝突することに…。

当時の「亀清旅館」は団体客が中心でしたが、その数も徐々に減少。その状況を打開するため、タイラーさんは個人客を大事にする方針を取り、年賀状やお礼状を出すことにしました。しかし大女将には「そんなのやって、集客になんて繋がるのかね?」と旅館の手伝いを優先するようにいわれてしまいます。当時は“幹事にさえ喜んでもらえば良し”という時代。昔ながらの旅館のスタイルが拭いきれなかったのです。

他にもこんなエピソードが。各部屋に特徴づけをしようと、養蚕が盛んだった長野にちなんで、ある部屋の床の間に糸巻きを展示したタイラーさん。別の部屋には長野らしさを出すため、大女将が持っている紬の着物を飾ってほしいと提案すると、「飾ったらホコリになるじゃない」と大反対されてしまいます。

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借金を返済して大女将に認めてもらいたいと考えたタイラーさんは、室内風呂しかなかった「亀清旅館」に、自分で露天風呂を造ることに。しかし大女将は「露天風呂なんて流行に過ぎない」とここでも大反対。それでも宿の復活のために強行し、4ヵ月後、ついに露天風呂が完成! しかし、完成してからも大女将の反応は芳しいものではなかったそう。今回改めて大女将に話を聞いてみると、本来なら日本人の大工が繊細に造るところを、素人のタイラーさんが造ってしまったことが気がかりだったよう。

露天風呂が「亀清旅館」復活のカギだと信じていたタイラーさんは、さらに3つの露天風呂を自作。すると、「露天風呂があるなら行きます」というお客さんが現れ、予約の数が増加。お客さんが徐々に増えていったのです。借金を早く返済するために、露天風呂製作だけでなく、館内の様々な場所の補修も自ら行います。この日は客室の入り口を広くする工事をしていました。次男・ケネスさんに手伝ってもらい、分からないことがあれば写真を撮ってプロの大工にアドバイスを求め、急ピッチで作業をしていきます。4日後にこの部屋を使うため、それまでに完成しないとならないのです。突貫工事の末、見事な扉が完成! 頭がぶつからない広々とした大きさになりました。

旅館を守るため、なんでも自分で行うタイラーさん。その手助けをしてくれるのが、温泉組合に入った頃の幹部で、先輩として慕う若林さんです。お金がなければないなりにやりようがあることを教えてくれたそう。「でも、勧めても実際にやる人とやらない人がいて、こいつ(タイラーさん)はすごいよ!」と若林さん。

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そんなタイラーさんですが、15年前、温泉組合の会議に初めて参加した時は専門用語が飛び交う内容に、全くついていけなかったそう。必死に勉強し、さらにもっと街に溶け込もうと祭りで獅子舞をする神楽保存会に入会。このお神楽をきっかけに、地元の人に仲間と認められるようになり、祭りでは神輿の上に乗るほどの中心人物に。現在は、千曲市役所の町おこしの会議に民間代表として参加するまでになりました。

大好きな旅館の文化を守るために借金を返済し、「街をもっと良くしたい」という一心で頑張ってきたタイラーさん。お客さんからの評判も良く、旅行新聞新社が主催する「日本の小宿」に見事選出。5000万円あった借金も、昨年5月に返済することができました。

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ニッポンの旅館を愛するタイラーさんに、応援サプライズ! 衝突ばかりしていた大女将が、面と向かっていえない本音を初めて手紙にしてくれました。

「タイラーへ。あなたは自分で客室の一部を造り替え、露天風呂が必要とあれば造り、いつも体を動かして、その合間に街の会合があれば自転車で行き、体が休む暇もなく働いて、本当に私は驚き、感心そして感謝です。

お客様からも“タイラータイラー”と名指しできます。タイラーなくして亀清はありえないと感心しております。“タイラー亀清旅館”です。売り上げもだんだん増加し、本当に驚き、尊敬しております。ここまでにしてくれてありがとう。私は安心して、88歳の老後を心置きなく楽しく過ごせています」

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「ちょっとグッときました。評価してくれていて逆に申し訳ない」。今後も、お客さんが充電できる環境を作り続けたいと意気込みを語ってくれました。

「信州戸倉上山田温泉の亀清旅館です。昔ながらの小さな家族経営の温泉宿です。ぜひお越しください!」

タイラーさん、磨利さん、これからも頑張ってください!

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