東日本大震災から10年...「石巻高校」OBたちの絆、中村雅俊が母校での青春時代を語る

公開: 更新: テレ東プラス

歴史や校風、卒業生のネットワークまで、名門校の知られざる姿を通してその秘密に迫る「THE名門校!日本全国すごい学校名鑑」(BSテレ東 毎週月曜夜10時)。MCに登坂淳一角谷暁子(テレビ東京アナウンサー)、解説におおたとしまさを迎え、「名門とはいったい何か?」常識を打ち破る教育現場に密着する。

今回紹介するのは、宮城県石巻市の名門「県立石巻高校」。OBの中村雅俊さんをスタジオゲストに迎え、その秘密に迫る。

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石巻の通称「鰐山(わにやま)」と呼ばれる丘に建つ「宮城県石巻高等学校」。生徒数は約630人、東北大学をはじめ国公立大に多くの合格者を出す進学校だ。
大正12年に男子校として開校。昭和23年に夏の甲子園、昭和54年に花園とスポーツでも名を馳せ、平成18年、男子校から男女共学に。
「通常、高校は1日6時間授業で週30時間だが、週に3日は7時間目の授業を行い、週33時間の授業を行っている」と高梨正博校長。部活動も盛んで、陸上部やボート部などがインターハイに出場している。

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ゲストの中村が入学したのは昭和41年。ビートルズが来日し、武道館で初のコンサートを行った年で、卒業アルバムにはバンカラな中村少年の姿が。バスケットボール部ではキャプテンを務め、期待の星。学校新聞には、「今年のチームは、中村・橋本・五ノ井・斉藤・遠藤などが中心のメンバーで構成されている。長身選手が二人いるだけに昨年以上の成績も可能である」と書かれていた。

当時、自宅があった女川町から石巻へは電車が1日に8本しかなく、バスケ部の練習後は走って駅へ向かったそう。中村は「1本遅れると1時間半〜2時間待たなくてはいけない。それでも家に着くのは夜7時半頃で、夕飯を食べて風呂に入って寝るという毎日でした」と振り返る。
入学当時に行われた実力テストでは、国語・英語・数学で高得点をとり、トータルで3位に。「よっしゃ! となったけど、そこから3年間で右肩下がり(笑)。バスケットに多くの時間を費やしたが、それも良かった」と語った。

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当時の中村について、同級生の保田守さんは「ギターを弾いたり歌ったり、文化祭でも活躍。目立つ存在で人気があり、校内に限らず近隣の女子校にも名を馳せていた。石巻の女子校に通っていた私の妻いわく、ファンクラブがあった」と明かす。
同じく同級生でバスケ部仲間の橋本健一さんは、「県の高校体育会で試合に負けた後、中村さんは坊主にした。私の想像ですが、責任のために丸刈りにしたのではないか」とコメント。中村は「それに近い気持ちはあった。団体責任で、自分なりにケジメをつけないといけないと思って坊主にした」と語り、青春時代を振り返った。

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2011年の東日本大震災では、石巻の町も甚大な被害に見舞われた。当時石巻高校の2年生だった古川愛巳さんは「高校自体は丘の上なので被害はなかったです。でも、津波で押し流されてきた車のガソリンに引火して丘のふもとが火事になってしまい、火の手が学校に迫る瞬間はありました。生徒は先生の指示を待ちながら、携帯でニュースを見ていました。最初は"部活なくなるかな"くらいの感覚だったけど、ニュースの映像と先生たちが戻って来ないことから、"あれ? おかしいぞ"と気づいた。家には帰れず校内で過ごし、回線が混み合って電話も繋がらなかった」と振り返る。

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情報も途絶え、大勢の人が避難所生活を余儀なくされる中、恐怖や不安、悲しみに苛まれる人々の心の支えになったのが、石巻高校のOBが作った手書きの壁新聞。新聞には、地区ごとの被害状況やライフラインの復旧状況など必要な情報が書き込まれ、震災の翌日には避難所に貼り出された。

「石巻日日新聞」は大正2年創刊。発行部数およそ1万4000部で、石巻市を中心に地元住民に愛読されてきた地域密着新聞。号外として6日間避難所に貼り出された手書きの壁新聞は、石巻高校OBで石巻日日新聞社の社長・近江弘一さんが発案した。

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印刷機が被災、新聞が刷れない状況で、近江さんは「地域紙で地元に密着していると言ってるのに、こういう時に何も情報を流さないのは、自分たちの存在を否定することになる」と奮起。何かしなければという思いから、"手で書こう。それが一番早い"と手書きの壁新聞を作り、社員たちと避難所に貼って回った。
ジャーナリストとして一体何をすべきか...答えは行動すること。印刷できないなら手で書けばいい、配れないなら壁に貼ればいい。新聞の原点とも言えるその行動は、世界にも報じられた。

そんな近江さんの役をドキュメントドラマで演じた中村は、「震災などの有事があった時、普通は自分の命や身の回りのことを考えるが、近江さんは仕事人として新聞を書いた。それは本当に素晴らしいこと。石巻日日新聞の建物も被災し、きっとそれどころじゃなかったと思う。でも次の日には壁新聞を作って、いろんな場所に持っていった。プロとして見習うべきところがある」と尊敬の眼差しを向ける。

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復興のために立ち上がったOBは、近江さんの他にも。ボート部OBで「柏漕会」会長の佐々木正彦さんは、部員たちがすぐにボートや道具を使えるよう、修繕費用を肩代わりして手配。同じくボート部OBで自然写真家として活躍する高砂淳二さんは、写真による石巻復興イベント「フォトノマキ」に取り組んでいる。OBでオペラ・テノール歌手として活躍する渡邉公威さんは、震災後に石巻でチャリティーコンサートを開くなど、精力的に活動。

そんなOBたちの絆の連鎖が気づかせてくれたのは、「当たり前」のすごさ。横浜で会社員として働く古川さん(前出)は、「当たり前だと思わないことが一番大切。ごはんを食べることや親に電話ができること...日々生活できることは本当に幸せなこと。でも、あのクラス、あの学年、あの先生だったからこそ1年を乗り越えることができた」と語り、石巻高校で被災した経験を後輩たちに伝えている。

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東日本大震災から10年。中村は「若い時は故郷を出なきゃいけないという使命感があって東京に出て来たが、震災で自分にとっての故郷を改めて感じた。震災は良くも悪くも自分が"頑張らなければいけない"と背中を押される事件で、生活や生き方を急変させた。自分の年齢など関係なく『やらなきゃいけないことをやろう』という強い決意が生まれた」とコメントした。

最後に中村は、青春を過ごした石巻高校について「夢中の真ん中。振り返るとバスケットばかりだが、その間に勉強があってぎゅうぎゅう詰め。高校時代の3年間は夢中の真ん中にいて、ただただ一生懸命やっていた。未来に対しての礎になった」と締めくくった。

番組では他にも、現役在校生のコメント、元東京中日スポーツ芸能デスクのOBが歩む第2の記者人生、恩師からの葉書、俳優・小倉久寛の母校への手紙など、盛り沢山でお届けする。

6月14日(月)夜10時放送! 「THE名門校!日本全国すごい学校名鑑」(BSテレ東)は、「ようこそ伊沢さん!天才がやったことSP」をお届け。

ゲストに、開成、東大が誇るクイズ王・伊沢拓司さん、伊沢さんを「芸能界イチ愛している」という菊地亜美さん、伊沢さんが「この方も凄い」という現役東大生で「東大ミスコン2019」グランプリの上田彩瑛さんを迎えておくる。

果たして、天才・伊沢さんと上田さんはどうやって生まれたのか? 二人がやったこと、あえてやらなかったこととは? 東大合格法から伊沢式○○暗記、22時以降は絶対○○しない、さらには1日○○主義まで...志望校に合格するためのキーワードを探る。

どうぞお楽しみに!

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