デザインで価値を一変!~「可士和改革」の最前線:読んで分かる「カンブリア宮殿」

公開: 更新: テレ東プラス

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家族殺到! ユニクロの公園~アパレル世界一を支えた男

横浜にマリーナを望むちょっと変わった人気スポットがある。白い3階建ての建物自体が巨大な滑り台になっている。ずらりと並ぶ滑り台や子ども向けのボルダリング設備。マリーナを見下ろす頂上にはロープジャングルジムまである。

どう見ても公園だが、実は「ユニクロ」の店舗。「ユニクロPARK 横浜ベイサイド店」という斬新な店を考え出したのがクリエイティブディレクターの佐藤可士和だ。

当初の計画段階で出ていた案は、単に屋上まで長い階段を取り付けるというものだった。ところが可士和は「ただ階段にしてもお客は上らないだろうと思ったんです。例えば、ここに世界一長い滑り台があれば上ってくれるかもしれないというアイデアから、全体を公園にして、『ユニクロ』で買い物をしなくても、公園として店舗が成り立っていて、社会にブランドを開いていくのもいいな、と。それでユニクロパークというコンセプトにしようと思ったんです」

「ユニクロ」の店舗を「人が集まる公園」に見立て、家族連れが子どもを遊ばせながらゆったりと1日を過ごせる場所に仕上げた。店内には花まで売っている。今までにない魅力を持つ常識を打ち破る店作りに、客は詰め掛けていた。

可士和が「ユニクロ」にさまざまな変化を起こしてすでに15年になる。2006年、柳井正ファーストリテイリング会長兼社長が、一度失敗した海外に再び挑もうとまだ知名度の低かった可士和の腕を見込み、白羽の矢を立てた。

可士和はブランドロゴの刷新を手始めに、ニューヨークへの出店を成功させ、その後の「ユニクロ」の急激な成長を支えていった。関わった当初4400億円だった売り上げは2兆円を超え、今年、時価総額でアパレル世界一になった。

今までにない価値を生み出すにはどうすべきか、可士和は常に考え続けてきたという。

「柳井さんとは、特に話題があるわけでもなく、毎週お会いして話しています。ただお店を作るというより、『店とは何か』とか、そういうところから深く考えて取り組んでいると、思いもしなかった答えが出てくる。アパレルのブランドとして新しいあり方になっていけると思っています」(可士和)

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高品質住宅が980万円~大ヒットを作り出す舞台裏

商品やサービスに新たな価値を作り出す。それが佐藤可士和の真骨頂だ。

例えば「ホンダ」が社運をかけて挑んだ軽自動車「N-BOX」では、可士和がデザインした「N」のロゴに「日本の便利で新たな乗り物」という軽自動車の概念を超える意味を持たせ、展開。一躍軽自動車ナンバーワンの車種に育て上げた。

また、激安回転寿司「くら寿司」も改革。度肝を抜く白木の店を作るなど、安さのイメージが強かった「くら寿司」を、江戸の良き文化を継承する新たな店へと一変させた。

その可士和が、今までにない案件に取り組んでいる。訪ねたのは、東京・港区の「リブネックス」という住宅メーカー。赤い屋根が印象的なロゴは可士和の手によるものだ。

笹川順平社長が可士和に依頼したのは、次の時代を見据えた全く新しい住宅造りだ。

「『新しい暮らし方とは何か』『新しい住まいとは何か』と、住宅の新しいあり方を一緒に模索している状態です」(可士和)

郵便受けを作るメーカーなど数社が集まった、住宅関連の企業グループ「リブネックス」。会社の未来に危機感を抱いていた笹川社長が可士和と組んだ理由は、「今までにない住まいを提供する企業」に生まれ変わるためだ。

可士和がまず取り組んだのはオフィスの改革。未来への上昇を意味するロゴの赤い屋根を、オフィスのさまざまな場所にあしらった。

「オフィスに入った時に屋根があって家みたいなものがあって、『あれは何だろう?』と、皆さん驚かれます」(笹川社長)

その屋根の傾斜もロゴと同じ角度になっている。

「可士和さんに『ブランド発信拠点です』と言われました。お客さんが来て『この会社と付き合いたい』と思うとか、採用に際してとか。改装してよかったです」(笹川社長)

顧客向けパンフレットも、商品写真だけが並んでいる殺風景な誌面をやめ、豊かな住環境を意識させるビジュアルに一新した。こうした取り組みで、150億円だったリブネックスの売り上げは200億円を突破した。

「社員の考え方、気持ちを上げられるし、新しいお客の開拓を新しいオフィスが生み出せる。効果は大きいと思います」(笹川社長)

長野県軽井沢町に「リブネックス」が試験的に建てたという家がある。坂倉建築研究所が設計、可士和も関わって作り上げたという。

「僕らはコストを最低限に抑えながら良い空間をつくりたいので、そのための工夫として、壁を造っていません」(笹川社長)

「リブネックス」が狙うのは、高品質でも低価格な新たな家造りだ。

「値段は980万円、僕らが目指すのは、『家のユニクロ』です」(笹川社長)

可士和と作ったコンセプトは、セカンドハウスとして使えるコンパクトな家。広告費や無駄なコストをカットし、低価格でも豊かな暮らしができる住まいだ。

「かっこいいことをできる人はたくさんいるけど、物事を一般化して広くビジネスにつながるようにブリッジをかけられる人は可士和さん以外に会ったことがない。それを家の世界に注入してもらえれば、可能性はあると思います」(笹川社長)

他にない価値を住宅に生み出すことはできるか。

「同じような価値を提供している企業が何社もあったら、いつかはその中で一番強い企業しか生き残らない。唯一無二の存在になっていく。競合がいない状態にすることが、ブランディングの一番重要な点です」(可士和)

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老舗ロゴ改革の裏側~頭に叩き込まれるデザイン

年商6兆8000億円の「三井物産」も顧客だ。この日は「三井物産」をどう社外に伝えていくかの、ミーティングが開かれていた。

2013年、「三井物産」のブランド戦略を担うトータルプロデューサーに就任し、ブランド改革を任された可士和。社員たち自身に広告を作らせ、その強みを見つめ直させる意識改革にまで関わってきた。

「プロジェクトチームを組んでいただき、コンセプト・考え方を作っていただき、コピーまで全て社員に書いていただいたプロジェクトです」(可士和)

「三井物産」での最大の仕事が、伝統あるロゴのリニューアル。世界中の支店で使われていたバラバラのロゴを、美しい形へとデザインし直した。

その一方、現代社会のニーズに応えることも忘れなかった。こだわったのはロゴの直線の先端の部分だ。突き出た部分を伸ばすことで、小さな画面に表示しても潰れないようにデザイン。スマホ画面でも美しく。そんな計算され尽くしたロゴだ。

かねてから、そのあまりにシンプルなデザインに批判の声もあった。

「僕の作ったロゴは『こんなの俺でもできる』と言われるんです(笑)」(可士和)

だが、そう思わせるデザインこそが、可士和にとって重要なのだという。

「『俺でもできる』というのは、その時点で構造が理解できていると思うんです。一発で頭に入ってくるように作っているので、そう言われるのは僕にとっては褒め言葉」(可士和)

誰が見ても一度で頭に叩き込まれるデザイン。そのこだわりの原点には、若き可士和の苦い思い出があった。

1989年、多摩美術大学を出て博報堂に入社した可士和が目指したのは、業界で知らぬ者はいない大貫卓也だ。「カップヌードル」や「としまえん」など、そのインパクトのある広告手法は、まさに憧れだった。

しかし、仕事を任されるようになった可士和は、大きな挫折を味わう。友人に「この前自分がやった広告、どうだった?」と聞いてみると、誰もが「見てない」と答えたのだ。

「良い悪いどころか誰も見ていない。『全然知らない』と。そういうことがいっぱいあって、いろいろ考えて、『アイコニックにしよう』と。アイコニックというのは、あらゆるものを象徴的にすること。大量の情報の中でも際立つし、見た瞬間に覚えてもらえる」(可士和)

見れば一発で覚えるデザイン。そこに最大の戦いがあった。

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隈研吾とタッグで挑む~老朽化団地の大変貌計画

横浜市の洋光台団地。「昭和45年に建設されてちょうど50年目です。手すりのフレームに少しサビが付いています」(UR都市機構・山下健さん)

この10年、老朽化した団地の再生に可士和は全力で挑んでいる。その名も「団地の未来プロジェクト」。全国に1700の団地を持つURが、高齢化と老朽化で先の見えない団地に再生のヒントはないか、可士和へ依頼を行った。指名したのは、プロジェクトを任されていた建築家の隈研吾だ。

「新しい風を入れるプロジェクトにする。可士和さんみたいな人が入ったらかっこいいものになると思ったからです」(隈)

可士和はまず、団地の目指すべき方向を、団地の「団」の字から一つのアイコンに仕上げる。

「団地には四角くて硬いイメージがある。角をとって丸くしていこうと。『団』の四角の中を、丸とプラス(+)にしたのは、ひとつでもいいアイデアをプラスしていこうという思いです。集まって住むパワーを強みにしていくべきじゃないかと思いました」(可士和)

メンバーと何度もディスカッションを重ねながら、可士和は10年をかけて殺風景だった団地を人々が集う場所へと変えていった。

築50年を経た団地は大きな変貌を遂げる。可士和の監修のもと、建物は木目をとりいれた温かみのある雰囲気に改修。デザインの統一は、郵便受けに貼る自治会のシール1枚にまで及んだ。

デザインだけでなく、工夫したのが人を集める仕掛け作り。集会所を建て替えたエリアに作られたのは、ついつい立ち寄りたくなる野菜の直売所とカフェ。切り札は「よっしーのお芋屋さん」。甘味が半端じゃない焼き芋店だ。

集会所の一角には新たに、ちょっと変わった図書館「団地のライブラリー」も作った。「ブックディレクターの選んだ本がテーマごとに収まっている」と言う。カゴの中には数冊の絵本とともに、可士和がデザインしたレジャーシートも入っている。

デザインとさまざまなアイデアで、洋光台団地は他からも人が集まる場所へと生まれ変わり始めた。

「ロゴがすごく重要なんです。その御旗のもとにみんなが活動していく」(可士和)

企業や商品の戦略から世の中の課題解決へ。可士和マジックの新たな一歩がそこにある。

そんな佐藤可士和が、佐賀県有田町の山あいで自分と向き合うために没頭するのが有田焼だ。

「デザインは無限に複製できる情報を作っているから、逆に1個しかないものを作りたい。そこが面白いです」

アーティストとしての佐藤可士和の作品は、情熱的な青が一目で記憶に残るものだった。

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~村上龍の編集後記~
佐藤可士和といえば「アイコニックブランディング」、基本は意外とシンプルだ。たとえば企業のアイコンを設定してブランド化するだけ。しかしそのために彼は気が遠くなるような時間を使う。その積層された時間、折りたたまれた時間が、感動と成功を生む。ときに息苦しくなるほどの直線的な緊張感をもたらす。だから実際に有田焼の作品を作ったとき、わたしは解放された。アイコニックブランディングから解放された彼の才能に触れたからだ。

<出演者略歴>
佐藤可士和(さとう・かしわ)1965年、東京都生まれ。1989年、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、博報堂入社。2000年、博報堂を退社し、株式会社サムライ設立。

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