日本人に恩返しをしたいと400円のデカ盛りメニューを提供! いわれのない中傷で倒産寸前になったことも...マンスールさんの試練そして幸せ:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は「ニッポンにご招待したら人生が変わっちゃった!感謝のビデオレターが届いちゃいましたスペシャル」をお届けします。

コロナ禍の逆境にもめげず、世界に流鏑馬を広めようと奮闘

紹介するのは、ニッポンの「流鏑馬」を愛するフランス・パリ在住のアルノーさん。

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初めて出会ったのは約2年前。流鏑馬は、1100年以上の歴史があるニッポンの伝統儀式。武芸として発展し、天下泰平や五穀豊穣を祈願する神事として神社などで奉納されるようになり、現在も全国各地で年間約100回行われています。中でも鎌倉の鶴岡八幡宮では春と秋の2回行われ、例年2万人もの見物客が。その迫力と高い技術から、近年は海外でも注目されています。

子どもの頃に観た合気道の映画でニッポンの虜になったアルノーさん。そんなニッポン好きは子どもたちにも受け継がれ、長女・ヴァレンティンヌさんは自ら志願して日本語学校に通い、弟に日本語の絵本の読み聞かせをするほど。

牧場を経営する両親のもとで幼い頃から乗馬に親しんでいたアルノーさんは、乗馬クラブの先生として週3回子どもたちに教える傍ら、馬のショーに出演しています。流鏑馬との出会いは4年前。パリで行われた流鏑馬の公演でその美しさに感動し、「自分でもやってもみたい」と独学で挑戦。流鏑馬はヨーロッパにはないのか尋ねてみると、「乗馬しながら弓を引くというのはありますが、ニッポンのものとは全然違います。単なる狩りや戦術ではなく、動きの一つひとつに作法があって、本当に美しいです! ヨーロッパの連射できる小さい弓と違い、流鏑馬の弓は大きくてバランスが取りづらいのに、走る馬の上からでもしっかり的を射るのが本当にすごい!」と熱く語ってくれました。

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流鏑馬には、乗馬歴43年のアルノーさんでも独学だけでは習得できない奥深さがあるそう。「流鏑馬の美しさ、細やかな作法...いつかは師匠に習って本物を知りたい。絶対に失くしてはいけない文化なので、本場で勉強してフランスの子どもたちにも伝えたいです」。しかし経済的な余裕はなく、ニッポンにはまだ行ったことがない......そんなアルノーさんをニッポンにご招待!

「小笠原流と武田流。2つの流派のすべてを学びたいんです」とアルノーさん。流鏑馬には、小笠原流と武田流、大きく2つの流派があり、鎌倉時代に誕生して以来、それぞれ独自の作法を作り上げ、現代まで継承されています。

アルノーさんが最初に訪れたのは、東京・世田谷区の住宅街にある小笠原流流鏑馬の稽古場。鎌倉時代、源頼朝に流鏑馬を教える師範として仕え、江戸時代には、代々徳川家の指南役を任された武芸の名門です。その技は門外不出、一子相伝で受け継がれてきたそう。礼や所作振る舞いを重んじる格式高い流派ですが、アルノーさんの熱意を伝えたところ、快く受け入れてくださいました。

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今回は特別に、小笠原流次期宗家・小笠原清基さんが指導してくださることに。清基さんは800年以上続く流派の中でも、100年に1人の天才といわれる継承者で、門人は全国に1000人以上! 「小笠原流の真髄をしっかりと学びたいです」とアルノーさん。稽古には、私たちの日常でも役立つ体の使い方が。

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ピリッと引き締まった空気の中、神前に一礼後、馬の上での基本姿勢を習得する騎射(きしゃ)体操が始まりました。足を開いて中腰になり、背中を真っ直ぐに伸ばした姿勢をとります。手をお腹の前で組み、ゆっくりと頭上まで持っていったところで手を離し、体の横からゆっくり下げていきます。この体操をやると姿勢が良くなるそうで、50回繰り返します。皆さん黙々と簡単にやっているように見えますが、アルノーさん、20回を超えたあたりから体がまっすぐ保てず、足もガクガクと震え始めてしまいました。「つらかったです。こんな姿勢はやったことがなかったです」。実はアルノーさんの馬術は西洋式。足先で体重を支えるあぶみを使うのに対し、流鏑馬などで使うあぶみは踵に重心を置くことで、馬上でも安定した姿勢を保つことができます。使う筋肉も姿勢の取り方も全くの別物なのです。

続いて、流鏑馬での姿勢の基本となる礼法と弓術を学ばせていただきます。礼法の動きがきれいに弓を引く基本となるそうで、まずは座り方と立ち方から。背筋をまっすぐ伸ばして呼吸を整え、体が前後しないように気をつけます。これを普段から心がけることで体への負担も軽くなり、疲れにくくなるのだそう。アルノーさんは「ものすごく難しいですが、絶対に身につけたいです」と流鏑馬に関わることはすべて吸収しようとやる気十分!

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最後は弓術の稽古。稽古場には、ここで弓を教わっていた15代将軍・徳川慶喜の写真が飾られていました。「礼法の最も重要な部分、呼吸と腰」と清基さんが話すように、礼法同様、力を込める時に息を吸い、腰を据えて体幹を乱さないことが無駄なく美しく弓を引く基本。実はアルノーさん、弓は完全に自己流のため、的を近くに置いて基本の動きを一から教わります。初めは手首が曲がり、弦で顔を打ってしまいましたが、アドバイスをいただきながら黙々と練習を続けました。すると清基さんから「思っていたよりはキレイに引くなぁと。海外の方は力で引く人が多いけど、そういう感じではない」とお褒めの言葉が。上達が速いので遠くの的で成果を試すと、なんと命中! 「小笠原流の流鏑馬とは何か」少し分かったか聞いてみると、「美しいだけでなく、すべての動きに意味があって無駄がないのだと学びました」とアルノーさん。短い時間でもしっかり小笠原流の心が伝わったようです。

翌日向かったのは、飛びの美しさで全国の弓道家に知られる八女矢の生産地・福岡県八女市。フランスでは流鏑馬の矢が手に入りづらいので、ニッポンで矢作りを学び、自分でも作れるようになりたい、とアルノーさん。戦国時代から400年以上続く矢工房の当代で、福岡に4人しかいない八女矢の伝統を受け継ぐ矢師・相良弘さんにお世話になります。

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工房には、相良さんが作った手作りの竹製の矢がズラリと並んでいます。使う人の体格や弓によって長さなどを変えているそう。竹製の矢は海外では非常に貴重なものだそうで、高いものは4本で10万円以上。矢作りを見学させていただいた後、相良さんの裏庭で出来たばかりの矢を試し撃ちさせていただけることに。初めて放った八女矢は、見事命中! 「最高に気持ちがいいです!」と少年のような笑顔で喜んでいました。別れの時。相良さんにフランス製のナイフをプレゼントすると、相良さんは「これお土産!」といって、鏑矢と弓道用の矢、矢作りの道具までプレゼントしてくださいました。

最後に向かったのは小笠原流と並ぶ流鏑馬二大流派のひとつ、武田流騎射流鏑馬の道場がある熊本県熊本市。源氏の流れをくむ武田氏によって代々継承されてきた流派で、熊本の細川家が竹原さんの祖先に直伝。現在は、13代宗家・竹原陽次郎さんが師範、長男の浩太さんが師範代として、門人約35名に技と礼法を伝えています。

こちらでは2日間にわたって馬上から矢を射る弓馬術の稽古をさせていただき、最終日には実際に流鏑馬を行い、最終テストを受けます。すると、師範代が何やら不思議な帽子をかぶってやってきました。「網代笠」と呼ばれる被り物の上には赤い鬼面がついています。鬼面で邪気を払う意味があるのだそう。

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ちなみに小笠原流では綾藺笠を被り、鬼面はつけません。的にも違いがありました。小笠原流のシンプルな的に対し、武田流の的は周りに花がつけられています。かつては的を外したら切腹でした。花に当たった場合は「花当たり」として切腹を免れることができたため、このような方策が取られたとのこと。

早速稽古を開始します。鞍から腰を浮かせた状態で、1・2・3の掛け声とともに矢を腰の矢筒から抜き、4で矢をつがえ、5・6のタイミングで手元は見ず、的を見ながら弓を引きます。アルノーさんも師範代のお手本に習って挑戦。

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教わったとおり、手元は見ず、遠くの的に視線を向けたまま矢を放つことができたので、師範代も驚いていました。午後からは木馬を使って、より本番に近い稽古を行います。一般的に、馬には左側から騎乗しますが、流鏑馬では刀の柄で馬をつついてしまわないよう右から乗るのが作法。木馬にも右から騎乗します。

手綱を離し、「鬼面払い」という邪気を払う動作をした後、8秒で一回転する木馬の上から3本の矢を放ちます。その間、手綱は一切握れないので、バランス感覚と体幹が重要。とても初めてとは思えないアルノーさんの姿勢や安定感に、門人の皆さんもビックリ!

稽古後には、師範のご自宅へ。ちらし寿司や名物・辛子レンコンなどたくさんのご馳走が並びます。食後は、師範から次の日の流鏑馬のテストで使う矢や衣装をプレゼントしていただきました。

最終テストの日。門人の皆さんと阿蘇山の麓にある乗馬クラブへ。流鏑馬は通常3つの的を射るのですが、今回、的はひとつ。本番と同じ衣装に着替え、実践稽古を行っていきます。師範代のお手本の後、まずは手綱から手を離す感覚をつかむため、矢は放たずに走り抜けます。

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矢こそ放っていませんが、しっかり鬼面払いも行い、本番さながらのスピードでも危なげなく手放しで騎乗。師範代も「やるねーアルノーさん!」とひとこと。落馬する心配もなさそうなので「やってみようか」と矢を放ってみることになりました。一度目は馬の揺れでバランスを崩し、弓が引けず残念ながら失敗。二度目は姿勢と所作は美しかったものの、放った矢は的の中心を外し、花あたりという結果に。暑さで馬の体力も限界に近づいてきたので、最後に師範代から「昨日と今日との成果、審査してみましょうか」と声をかけられ、最終テストに挑みます。1週間、ニッポンで学んだ流鏑馬の集大成です。果たして結果は...?

最後の最後に見事的中! 「(所作も)最後のやつが一番きれい」と門人の方から褒めていただきました。「とても楽しかった! もっとやりたくなりました」とアルノーさん。さらに流鏑馬への想いが深まったようでした。そして、気になる師範の評価は「昨日の稽古が活きていますね。丸といえます。ただし今後の稽古次第ですね」ということで、見事合格することができました。

別れの時。「この旅で本当にニッポンが好きになりました。みなさんに本当に感謝しています。夢みたいなひとときで、ずっとやりたかったことが実現できました。ありがとうございました」。師範や師範代ともハグをし、お互い死ぬまで精進していくことを誓い合いました。

あれから2年。アルノーさんからのビデオレターを小笠原流の皆さんのもとへ届けます。放送の数ヵ月後に武田流の方と稽古をする機会があり、「小笠原と武田の稽古の違いがこんなに大きいんだなっていう話になりました」と番組をきっかけに交流が生まれたことを明かしてくださいました。

武田流の皆さんのもとにもビデオレターを届けます。こちらでも師範代が「小笠原さんと共演できたことが、我々とても誇りに思います!」と、放送後大反響があったことを教えてくださいました。門人の皆さんにも集まっていただき、早速ビデオレターを観てもらうことに。

「皆さんからいただいた流鏑馬の道具は一生の宝物です。特に気に入ったのが、日本の靴下で、指先が二つに分かれていて、馬に乗った時にもしっかり姿勢が保てるので最高です。ニッポンでの体験は最高でした! 独学でしかなかった僕が基礎から徹底的に学ぶことができました」。そして、帰国後も毎日続けているのが小笠原流の騎射体操。「体がフラフラになるほどつらかったですけど、体のバランスが良くなるので絶対に毎日欠かせないですね」。最近は子どもたちも一緒にやっているそうで、その様子を見せてくれました。

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ますます流鏑馬に夢中なアルノーさんですが、コロナ禍で生活が一変し、乗馬教室やショーの仕事が休業になってしまったそう。ロックダウンで流鏑馬の練習もできない状況に。そんなアルノーさんが「見せたいものがある」と向かったのは、パリから400キロほど離れた実家。家の裏手に行くと...

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ホームセンターで買ってきた板を組み上げ、インターネットを探し回って購入した鞍やあぶみを乗せた自作の流鏑馬トレーニングマシーンが! この熱意には清基さんも「なかなか日本の和鞍ってないですよね、海外で」と驚いた様子。この木馬を使い、週に4時間、ニッポンで学んだ技術の特訓を重ねています。さらに、少しでも流鏑馬の技術向上に役立てばと、上級の乗馬の指導資格も取得していました。清基さんも「フランスで乗馬の資格っていったらすごいんじゃないですか。日本とはレベルが違う」と感心。

そんな中、またとないチャンスが! 「ここはシャンティイ城です!」とやって来たのは約500年前のルネサンス時代に建てられたというシャンティイ城。お城の敷地には、フランス最古の競馬場やヨーロッパ最大の厩舎があります。パリのロンシャン競馬場と並び、世界最高峰のレース「凱旋門賞」が行われたことも。ニッポンの武豊騎手も滞在し、レースに出たことがあるそう。「ここには、馬好きにはたまらない夢の博物館があります」と案内してくれたのが、馬と人間との関係にまつわる所蔵品が展示されている「馬博物館」。世界の足をかける道具が展示されている場所に、ニッポンのあぶみも展示されていました。踵まで乗せるニッポンのあぶみは世界的にも珍しいそう。

さてアルノーさんがここに来た目的は? 「実は昔の友人がここの担当者で、ニッポンの流鏑馬を広めたいと話したら、練習場所に使っていいといってくれたんです」。なんと、博物館内にある馬場を使って流鏑馬の練習をすることを特別に許可してくれたのです! これを聞いた武田流の師範代は「たいした人やな!」、清基さんも「自分たちでなんとかしようっていうのはすごいですね」とアルノーさんの情熱に感心していました。

責任者の方に話を伺うと「アルノーさんから流鏑馬の話を聞き、とても情熱を感じたので、特別に許可しました。コロナが落ち着いたら、ここでニッポンの流鏑馬を常設のショーにする計画もあります」。なんと馬に乗せてもらえるだけでなく、いずれお客さんの前で流鏑馬ができるようになる可能性もあるとのこと。

この日、馬に乗っての練習は数ヵ月ぶり。ニッポンでもらった衣装に身を包み、気合いを入れます。ニッポンの直線コースと違い円形の馬場で、あぶみも流鏑馬には向かない西洋式。「難しいでしょうね。あのあぶみで立ち上がるっていうのは。バランスが難しいもん」と話していた師範代でしたが、手綱を持たずに馬を走らせ、バランスを崩さずに馬上で腕を回したり、体をひねってウォーミングアップをするアルノーさんを見て、「普通はできない! 体幹がいいんでしょうね」と驚いていました。果たして、実家にトレーニングマシーンを作り、練習を重ねてきた成果は? 今回は馬場を3周し、的から最も離れた所から3本の矢を放ちます。

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結果は......見事すべて的中! 「前より少し上達しましたが、まだまだ練習しなきゃいけないのでもっともっと頑張ります!」。いつかこの馬博物館に流鏑馬に関する展示コーナーができるよう、フランスで流鏑馬を広めていくことが夢なのだそう。清基さんは「着実に一つひとつ前に進んでいるのは素晴らしいと思います」、師範は「アルノーさん頑張っていますね。私は長生きせないかんなと思いました」。

アルノーさんをニッポンにご招待したら、コロナ禍の逆境にもめげず、世界に流鏑馬を広めようと奮闘していました!!

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