藤井隆、突然のカミングアウト! 「私でした」15年越し、初めて口にする真実!?:あちこちオードリー

公開: 更新: テレ東プラス

不用意発言禁止! 裸のトークバラエティ「あちこちオードリー」(毎週水曜夜11時6分放送)。4月21日(水)の放送は、「ちゃんとしてる先輩」藤井隆と、「ちゃんとしてない後輩」空気階段(鈴木もぐら、水川かたまり)の対照的な2組が来店。大ヒットギャグの誕生秘話から、突然のカミングアウトまで!

「ホットホット!」誕生秘話

藤井隆は、1992年、20歳で吉本新喜劇デビュー。24歳の時に、自身のギャグ「ホットホット!」が注目され、「笑っていいとも!」など数々の人気番組に出演し一躍お茶の間の人気者に。さらに、2000年には「ナンダカンダ」で歌手デビューし、「NHK紅白歌合戦」出場。藤井さんに似ている(?)Matthew南(マシュー)も大ブレイク。スター街道を突っ走ってきた。

学生時代は、"みんなの人気者"というわけではなく、「カーテンの中で友達とモノマネ」をして笑わせていたという藤井。芸能人生の始まりは、高校卒業後、経理の仕事をしながら、大学のサークル感覚でYSP(吉本新喜劇プロジェクト)に参加したこと。土日に芝居とダンスのみ芸能レッスンを「サークル感覚」で楽しんでいたそうで、「(芸能界への)入口が失礼」と恐縮する。

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そんな中、レギュラー番組に抜擢され、二足のわらじ生活を2年9ヶ月送っていたが会社側にテレビ出演がバレてしまう。そこで会社を辞めるのではなく、テレビの方を辞めると申し出たところ「なめんな!」と怒られ、泣く泣く(!?)芸人の道へ。その翌週から、20歳で吉本新喜劇デビューに恵まれた。

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藤井といえば、大ブレイクした「ホットホット!」。このギャグ誕生のきかっけは、名古屋での小規模な新喜劇の特番。のちに座長となる内場勝則から「せっかくやから、なにか派手なことしたら?」という助言を受けた藤井は、エコロジストのタクシードライバー役だったため、ペットボトルからリサイクルしたネクタイをつけ、「燃えるんですよ、ホットホット!」と言ったという。

数ヶ月後、なんばグランド花月という大舞台で、内場に「あの時やった歌って踊ってするやつやったら?」と言われた藤井は、許嫁を発見するシーンで「股間がホットホット!」と大爆発。エコロジーが、ど下ネタに!? そんな藤井を見て、当時の春日は「クレイジーでした」、若林も「やばい人が現れた」と衝撃を受けたと語った。

藤井隆ではなく別人格が必要な理由

藤井は、2001年~2006年放送の音楽バラエティ「Matthew's BestHitTV」(テレビ朝日系)MCのマシュー南でもお馴染みだが、本人は「あの頃は、似てるってよく言われました」と今でも別人格の設定を守る。

その理由は、当時、ゲストが「藤井さん」と呼んだ箇所をカットしてまでスタッフが別人格設定を守っていたので、「"あの頃、実は"と話をするのは汚い」と感じるのだという。実は、登場寸前までマシュー南のことを聞かれたら普通に話すつもりだったという藤井。しかし、当番組のカメラマンは、当時「Matthew's BestHitTV」を担当し藤井を育ててくれた恩人。そのため迷いが出てしまったが......

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「いいやもう。今日を境に......私でした!」と、突然のカミングアウト! これにはオードリーも「俺ら背負えないです!」と大慌て。

また、自分にとって別人格の必要性があったと、心境を打ち明ける。一人ロケの番組で、OLになってバレーボールを練習用マシンで会社に打ち込んだり、インド人に扮して菅野美穂が好きな蕎麦屋に入って蕎麦にカレーをかけたり、意に反することをしなければならないこともあった。

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どうしてもイヤでロケバスから降りなかった藤井に、メイクさんが別人としてキャラを作りこんでくれたことでロケを敢行。以降、"藤井隆"ではできないことも、別のキャラならできるようになったという。これを聞いて、ピンクベストを着て"オードリーの春日"にならなければ客前に出られないという春日は、深く共感していた。

そのほか、「働く人の反省ノート」では、5GAP(クボケン、トモ)が番組初登場。クボケンがインスタ映えを狙い、自身が映った写真を加工していると明かすが、佐久間プロデューサーからは「おじさんを頑張ってインスタ映えするっていうのは無理だと思う」と被写体の問題だと指摘される。この放送は「ネットもテレ東」で期間限定配信中!

次回4月28日(水)の放送は、ケンドーコバヤシ蛙亭の2組が来店。お楽しみに!

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