「日本ギフト大賞」を受賞した”塩引鮭”の徹底したこだわり&伝統製法に感動!:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時~)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、ニッポンのあるものが好きすぎて来日し、ニッポンに住んでしまった外国人を応援する新企画「ニッポン住んじゃった人応援団」からお届け。

消滅危機言語と認定されたウチナーグチ...もっと勉強して、大切な沖縄の友達と一緒に話していきたい!

最初に紹介するのは、ニッポンに住んで9年、オランダからやって来たハイスさん。

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ハイスさんがニッポンに住んでしまうほど愛してやまないものは「ウチナーグチ」。ウチナーグチとは、那覇をはじめ沖縄で古くから使われてきた言葉のこと。

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方言のひとつとも言われ、「こんにちは」は「ハイサイ」、「いらっしゃいませ」は「メンソーレー」など独特の言い回しがあります。また、母音の「ア・イ・ウ・エ・オ」の発音が「ア・イ・ウ・イ・ウ」に変化し、「エ」は「イ」、「オ」は「ウ」、と発音するので、標準語の「たこ」は「たく」に、「あせ」は「あし」、「そば」は「すば」になるのです。

ハイスさんがニッポンに興味を持ったのは15歳の頃。テレビで観た相撲をきっかけにニッポンの文化を知りたいと思ったそう。そこで、世界初の「日本学科」が設置されたオランダ最古の大学で、江戸時代、シーボルトがニッポンから持ち帰った資料を研究したことでも知られる名門校・ライデン大学に入学。ここで、日本語を勉強していたハイスさんに転機が訪れます。当時、長崎県にあるハウステンボスにはライデン大学の分校があり、1年間の留学制度があったのです。優秀な成績が認められたハイスさんは、18年前、初来日を果たします。

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ここでハイスさんに運命的な出来事が! 長崎出身のバイト仲間との会話で、「今日は仕事休みばい(今日は仕事休みだよ)」「どこ行くと?(どこに行くの?)」など、日本語に様々な方言があることを知ったハイスさん。そこへ沖縄出身の仲間が加わり、「めんそーれー(いらっしゃい)」「ぬーそーが?(何してるの?)」など、学んだ日本語とは全く違う響きの方言もあることを知り、驚きます。特に、伸ばす音が多く、母音が少ない、穏やかでのんびりとしたウチナーグチの響きに心を奪われたそう。

しかし、1年間の留学期間はあっという間に終了。帰国後もウチナーグチが頭から離れず、ハイスさんは独学で研究を始めます。2009年、ユネスコがウチナーグチなどの琉球諸語を消滅危機言語に認定したと聞き、「このままではあの言葉がなくなってしまうかもしれない」といても立ってもいられず、2011年、初めて沖縄へ。

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「僕はここにいることに全く違和感ないなぁと。それはやはり言語の力だなと思いました」。ウチナーグチが生まれた沖縄の風土や文化、暮らしに魅了され、29歳の時、沖縄への移住を決意しました。

「消滅の危機にあるウチナーグチを守りたい」と、古本屋で本を買い集め、猛勉強。わずか3年で、日常会話を使いこなすまでになりました。さらに、ウチナーグチに関する論文で2016年に博士号を取得し、昨年からは、文部科学省管轄の日本学術振興会に認められ、沖縄国際大学の外国人特別研究員も務めています。今の目標は、「ウチナーグチをもっと上達させ、その魅力をたくさんの人に伝えること」。そんなハイスさんがどんな生活を送っているのか...密着します!

訪れたのは、沖縄本島中部にある読谷村。地元のお年寄りの方々がハイスさんを待っていました。

カバンから取り出した録音機をセットし、いくつかの文章をウチナーグチで言ってもらいます。これは、その土地に残るウチナーグチのリサーチ。読谷村だけで20回は足を運び、直接調査をしています。

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「そのお菓子を私にください」は「うぬ くゎーしろー わんにん けやかまし」。発音記号を使って正確にウチナーグチを書き取っていきます。ハイスさんについて聞くと、「この研究熱心さはただごとではない。ぶったまげた! 絶滅危惧種の島言葉にこの人がどのくらい貢献してくれるのか...私は応援しますよ! 頑張りようによっては時代が変わるし希望が持てる」と、エールを送ってくれました。

昼食で立ち寄ったのは、沖縄料理のお店。こちらでいつも注文するのが、沖縄そば、ジューシー、ラフテー、麩チャンプルーの定番フルコース。もちろんウチナーグチで注文します。

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「クワッチーサビラ(いただきます)」と手を合わせ、味の感想も「マーサンビンヤー(美味しいですね)」とウチナーグチで。沖縄料理も大好きだというハイスさん、一時期15キロ太ってしまったこともあるそう。

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そんなハイスさんを見てお店の方は、「私たちもそこまで喋れないもんですから、わぁって感じ。素晴らしいですね。私たちは戦後すぐ小学校に入りましたが、方言禁止だったんですよね。だからこういう方が一生懸命勉強なさって喋ってらっしゃるっていうのはすごいこと」と絶賛します。標準語の普及のため、明治時代から終戦後しばらくは学校などで方言を使うことが禁じられていたそう。沖縄県の調査でも、「ウチナーグチがよく分かる」のは70歳以上で約63%なのに対し、20代以下では2%台。

そこで、話せる人をもっと増やしたいと7年前に始めたのが、週1回、若者向けに行なっている「ウチナーグチ勉強会」。参加費は無料。現在はコロナ禍のため、オンラインで開催しています。

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参加者にウチナーグチを勉強する理由を聞くと、代々沖縄出身のとしなりさんは、「台湾に1カ月中国語を勉強しに行った時、"あなたの文化は何?"と聞かれることがあって、"何だろう?"と思った時、言葉は大切だと感じた。ウチナーグチこそ自分の言葉だと気付いた」。3年間参加しているこうたさんは、「首里城の再建とか沖縄の文化を盛り上げようという動きがあるので、沖縄の文化である言葉についても勉強していていけたらいいな」。沖縄出身のゆうこさんは、「祖母世代とウチナーグチで話してみたいと思っていた」と話します。勉強会を通してウチナーグチを話せるようになった人もいるようで、ハイスさんはここでも元気をもらっています。

次に向かったのは宜野湾市にあるラジオ局。ハイスさんはウチナーグチで放送するラジオのパーソナリティも務めています。この日の特別ゲストは、沖縄国際大学で琉球語学を教える西岡敏先生。ハイスさんがバイブルにしてきた本の著者でもあります。さらに、番組ディレクターも収録に参加させていただきました。

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ハイスさんについて伺うと、「ウチナーグチを単なる研究対象ではなく、人々に広めていくという姿勢はすごいと思うので、ぜひ進めて欲しい。そのうち俳優デビューとかしないかなと(笑)」と西岡先生。

その夜、一緒にラジオのパーソナリティを務める上間明さん、半嶺まどかさんと合流したハイスさん。

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共にウチナーグチを守ろうとしている仲間たちと時折集まっては親睦を深めているそう。この日は、ハイスさんが家で作ったオランダのラムシチューを持参しました。

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こちらはハイスさんが沖縄に来る前に撮影された動画。明さんは流暢なウチナーグチで話すオランダ人を見て衝撃を受け、早速オランダ語でコメント。するとハイスさんから返事が届き、そこから交流が始まったそう。まどかさんは、2年前、ハイスさんの勉強会に参加したのがきっかけ。「ウチナーグチを使う機会が本当にないので、こうやって話を聞くだけで興奮します」。「やっぱりこんな友達がいないとやっていけませんよ、寂しすぎて」とハイスさん。ウチナーグチで通じ合うことのできる2人のことをとても大切に思っています。

そんなハイスさんに応援サプライズ! いろんな活動で忙しいハイスさんを、子どもたちが踊る「琉球舞踊」の舞台にご招待。実はハイスさん「舞踊とか観るのが好きです。自分でやるよりは聴く方が上手です。でも好きですよ!」と語っていました。沖縄の伝統芸能として、歌詞やセリフにはウチナーグチがしっかり残っています。そして番組で「琉球舞踊」といえば、以前アルゼンチンの少女・デニッセちゃんをご招待しました。その時お世話になったのが、こちらの宮城恵子さん。

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本番前、恵子先生に「初めてお目にかかります。ハイスと申します」と流暢なウチナーグチで自己紹介。

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先生も「こんにちは、宮城恵子です」とウチナーグチで返します。「みんな、おじさんが何言ってるかわかるか?」と子どもたちに尋ねると、やはりみんな全然わからなかった様子。恵子先生は「とっても上手。これが本当のウチナーグチだよ。素晴らしい。みんなの島の言葉だよ、覚えようね」と声をかけます。コロナ禍の中、久しぶりに開催された晴れの舞台。

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誰よりも歌の内容を理解して舞踊を観たハイスさん。子どもたちにウチナーグチで「素晴らしかった。私は観ていてとても感激しました」と感想を伝えますが、残念ながら子どもたちには意味が通じません。1人の女の子が「自分は沖縄の人だけど、方言とかあんまり分からない。ハイスさんは外国の人なのに方言が分かってすごいなと思いました」と話すとハイスさんは「ウチナーグチを残したい気持ちはありますか?」と子どもたちに尋ねます。

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返事はみんな揃って「はい!」。「いつかウチナーグチで会話ができたらいいな。お互いに頑張りましょうね、ウチナーグチ」と約束して別れます。

最後にハイスさんは、「これからもウチナーグチをもっと勉強して、大切な沖縄の友達と一緒に話していきたいと思います! チバイビンドー(頑張ります!)」と抱負を語ってくれました。大好きなウチナーグチを残すために...これからも頑張ってください!

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東京メトロを愛するラースローさんのいま

続いては「遠く離れた絆を感謝のビデオレターで結んじゃいましたスペシャル!」から、ハンガリーで暮らすラースローさんを紹介します。

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東京メトロを愛してやまないラースローさんをニッポンにご招待したのは約6年前。当時、ブタペストにある大学の日本学科に在籍していたラースローさんは、日本語を練習するためにインターネットで見つけた「東京メトロの車内アナウンス」をきっかけに東京メトロの虜に。当時の東京メトロ全179駅を暗記し、アナウンスまで覚えていました。東京メトロの路線図を眺め、録音した東京メトロのアナウンスをイヤホンで聞きながら、ブタペストの地下鉄に乗ることも。

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ご招待では、東京メトロ広報・志田裕介さんにご協力いただき、全9路線を制覇。さらに、東京メトロが好きになるきっかけとなった車内アナウンスをしている森谷真弓さんとサプライズで会えることになり、目の前でアナウンスを堪能しました。

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ラースローさんから届いたビデオレターを森谷さん、志田さんの元へ。

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すっかり大人っぽくなったラースローさんにビックリ。一昨年に大学を卒業し、希望していた日系の企業に就職できたというラースローさん。将来ニッポンで働くことを目標に頑張っているそう。東京メトロのホームページは今でも欠かさずチェックしており、昨年開業した「虎ノ門ヒルズ駅」に興味津々。

「森谷さん、志田さん、ご協力くださった皆さん、本当にお世話になりました。コロナウイルスが落ち着いたら再びニッポンに行って、森谷さんのアナウンスを聞きながら、東京メトロの全ての駅で降りながら旅をしたいです。お2人にお願いがあります...少しお話できませんか?」

ここで、遠く離れた絆ハンガリーとニッポンをリモートで結びます! 5年ぶりの再会。「虎ノ門ヒルズ駅」について熱く語るラースローさんに、志田さんから「私が虎ノ門ヒルズ駅(リモートで)ご案内しましょうか?」と提案が! 嬉しいサプライズにラースローさんは大興奮! ホームで森谷さんのアナウンスが響く中、日比谷線の新車両が到着。その後もリクエストに応えながら1時間近く案内してくださいました。

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最後は森谷さんが「次はラースローさんが日本に来る番です。お待ちしておりますので、お気をつけていらしてください!」とアナウンス。「お話ができて嬉しかったです。虎ノ門ヒルズ駅まで案内してもらえるなんて...また絶対ニッポンに行ってお礼を言います」と再来日を誓いました。

ラースローさんをニッポンにご招待したら変わらず東京メトロを愛し続け、再びニッポンを訪れる夢を抱いていました!

オムライス作りが上達! 美味しい日本食をヨーロッパ中に広める!

続いて紹介するのは、ドイツ・ドレスデンに住むエリザさん。

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ニッポンの食文化に興味があり、「孤独のグルメ」を愛読していたエリザさん。中でも特に好きな料理はニッポンの「オムライス」。3年前のご招待では、創業70年を超える洋食店「新川 津々井」の越田さん一家にお世話になり、オムライスの作り方を教えていただきました。エリザさんから届いたビデオレターを、「新川 津々井」の皆さんの元へ。

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帰国後、人生が大きく変わったというエリザさんは、「越田さんが教えてくれたオムライスの作り方は一生忘れません。もちろん特訓したあのテクニックは忘れていませんよ。このフキンを使います。きれいに盛り付けるには引力を使うことを習いました」と再現。

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ここでオムライス作りを披露。出来上がったオムライスがこちら。

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「厳しく言えばまだ商品としては成り立たないオムライスですけど、返し方は覚えたようですね。成長がすごく見えて"一生懸命やっているんだな"と感じました」と越田さん。そして、エリザさんとニノさんの息子・ミヒャエル君も登場!

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さらに、もう一つ報告したかったことが...。エリザさん、ご招待をきっかけにますます日本食が好きになり、帰国後、ニッポンの食料品や調理器具を販売するオンラインショップを開設していました。これが大当たりで、ドイツのみならずヨーロッパ各地から注文が殺到! 月に200セットも発送しています。

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エリザさんをニッポンにご招待したらオムライス作りが上達し、美味しい日本食をヨーロッパ中に広めていました!

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