元RADWIMPSのメンバーが激白! 野田洋次郎の素顔、バンド脱退の理由、ホームレスに転落した波乱万丈の人生:じっくり聞いタロウ

公開: 更新: テレ東プラス

売れっ子から懐かしのスターまで、芸能人が驚きの近況を報告する番組「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告」(毎週木曜深夜0時12分放送)。1月21日(木)の放送ではRADWIMPSの元メンバーが、脱退の経緯から、バンドのフロントマン野田洋次郎の素顔、半身不随になった波瀾万丈人生を大暴露!

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映画「君の名は。」の主題歌「前前前世」が大ヒットを記録し、紅白歌合戦にも出場したロックバンドRADWIMPS。結成は2001年で、メンバーを集めた発起人は当時中学2年生の齊木祐介だった。

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齊木と同級生だった野田洋次郎は当時からその才能を発揮していたという。学園祭で「夜空ノムコウ」を弾き語りし、「1番光っていた」と齊木。当初はバンド名もなんとなくつけていたが、やがて野田がRADWIMPS(スゲーびびり野郎)と名付けたのだそう。

すでに天才的な作曲力を見せていたという野田。その時の音を収めたMDは「宝物です。聞かせたいですね」と齊木は語る。

その後、高校生バンドの日本一を決める大会で優勝。インディーズデビューシングルとなる「もしも」は1万枚限定で発売すると即日完売。発売から17年、今では4万円で転売される幻のシングルに。

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しかし、メジャーデビューを間近に控えた時、齊木はバンドを脱退。齊木は「ロックを履き違えていた」と、まだ10代だった当時を振り返る。RADWIMPSでデビューしたのにも関わらずバンドを掛け持ちしたり、わざと遅刻を繰り返したりなど素行が悪かった。さらに高校卒業後に映像関係の専門学校に行ったりするなどでメンバーと考え方ですれ違いが生まれ、話し合いの末、19歳の時に脱退した。

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この脱退が齊木の人生に暗い影を落とすことに。その後、RADWIMPSがブレイクし、どこに居てもRADWIMPSの曲が耳に入るようになる。お金がなくて牛丼店に行った時も曲が流れてきて、「友達は売れてるけど、1人で牛丼食っている」と複雑な心境になったことも。

最初はいろいろと考えることもあったそうだが、「ずっと(RADWIMPSの曲が)聴こえてくる人生なんで、今はどうも思わなくなりました」と齊木。最近は元メンバーとも連絡は取っていないという。

そんな中でも、ミュージシャンとしての活躍を夢見て地道に音楽活動を続けていた。20歳の時に元THE BLUE HEARTSのドラム、梶原徹也とバンドを組むことに。THUNDERBEATというバンドで、メンバーはドラムの梶原と、ギターの齊木の2人。俺はまだまだ第一線でできる......そう思った矢先、とんでもない出来事が。

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22歳の時、脳梗塞で、半年間右半身不随に。小さいギターで入院しながらリハビリを続けたが、「ギターは難しいかな」と。人生を懸けたギターが弾けないという生き地獄を味わう。

それでも"音楽に携わる仕事がしたい"との一心で血の滲むような思いでリハビリに取り組んだ結果、若かったこともあってか目覚ましい回復を果たす。

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そして念願だった音楽のイベント会社を設立するが、経営に関してはズブの素人。うまくいくはずもなかった。経営資金を稼ぐために廃品回収、祝い花店、HP制作、婚活パーティーなど何でもやったが経営は続かず、社員に給料も払えずに会社も倒産。ホームレス生活をしていたという。今も、この5年は家がない生活とのことで、「ホステルのような1日900円ぐらいで泊まれるホテルに住んでいます」と。

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現在は、3年前から汁なし担々麺店を経営し、音楽とはまったく関係のない仕事を。ホームレス時代、100日連続で汁なし担々麺を食べ歩くうちにそれにどハマりし、先輩からお金を借りて駒沢大学駅の横に汁なし担々麺の専門店「担担担」を開く。すると100日連続で食べて研究した成果もあってか、月300万円売り上げる大人気店になったそう。

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