<感動>63年ぶりにニッポンへ里帰り...家族と涙の再会劇! そこに思わぬ奇跡が...!:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時 ※1月18日(月)は夜6時25分放送)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、新企画「ニッポン住んじゃった人応援団!」をお届け。ニッポンのあるものが好きすぎて来日し、そのまま住むことを決意した外国人の方たちを応援! さらに、「遠く離れた絆をもう一度結んじゃいましたスペシャル!」もお送りします。

益子焼の魅力に触れ、陶器に対する考えが180度ひらけた!

最初に紹介するのは、ニッポンに住んで5年、ハンガリーからやって来たティミーさん。

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ティミーさんがニッポンに住んじゃったほど愛するものは「益子焼」。

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ニッポンを代表する焼き物の一つ「益子焼」。厚手でぽってりとした素朴な器は、安くて耐久性に優れていることから、明治時代には関東一円の台所用品として広くその名が知られるようになりました。駅弁「峠の釜飯」にも益子焼きの土釜が用いられています。中には高額な益子焼もあり、人間国宝の作品ともなると、800万円を超えるものも。

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「益子焼には西洋の焼き物にはない自由さがあります」とティミーさん。高温で溶けた釉薬の流れが"景色"と呼ばれて愛されるなど、器の中に自然の美を見出す益子焼に深い魅力を感じるとのこと。

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ティミーさんは16歳の時、美術の専門学校で見たニッポンの焼き物の美しさに感動。美術大学に進学して陶芸を学ぶと、ヨーロッパ30ヵ国が参加する焼き物コンテストにハンガリー代表として選出されます。そして5年前、ニッポンの焼き物を学ぶために「益子陶芸倶楽部」へ。ここで陶芸教室の先生をしながら、益子焼の創作活動を行っています。

その実力は、カルチャービザからアーティストビザに変更できたほど。芸術分野の優れた人しか取得できないアーティストビザは、ニッポンで500人にも満たない、取得条件の厳しいビザなのだとか。

早速、ティミーさんの暮らしぶりを見せてもらいます。この日はお皿作り。慣れた手つきでろくろを使い平皿を成形すると、「化粧泥」と呼ばれる泥を流しかけ、ベースとなる色をつけていきます。今回使うのは、益子焼の伝統的な泥「白泥」。

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ここで気になることが...。泥かけの際に指を置いた部分が跡になっています。ティミーさんによると、これは後で模様になるそう。

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独自に調合した色付け用の釉薬をかけ、窯で焼くこと20時間。月や流れ星をイメージして作ったというお皿が完成しました。指の跡は、見事なアクセントになっています。益子焼は、制作工程で生じる指の跡なども作品の味として重んじるのです。

この日、ティミーさんが向かったのは、器と洋服を扱う雑貨店「アーチウェイ」(東京・代々木上原)。オーナーの塩野尚子さんが全国を回り、気に入った雑貨のみを扱うセレクトショップで、ティミーさんの作品を販売しています。

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3週間前からお店に出し始めた100枚以上のお皿が70枚も売れ、残り30枚ほどになっていました。お皿を手に取ったお客さんは、「優しい感じがしてすごく好きです。こういうピンクの益子焼は珍しくて、すごいほっこりします」と感想を。

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「ニッポンの人たちはとても食器を愛してくれます。自分用のお茶碗やお皿があって、一人ひとり別の物を使いますよね。私が知る限り、そんな文化を持っている国は他にはありません」とティミーさん。食器を手に持って食事をする習慣があるニッポンでは、夫婦茶碗や子ども用の茶碗など、個人に合った食器を使う文化が発展してきました。

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この日の目的は、持参した新作サンプルのチェック。塩野さんは大きな丼を一目で気に入り、お店に置いてくださることに。

次の日。ニッポンでどんな生活をしているのか...お宅にお邪魔してみました。ティミーさんは、同じく焼き物を勉強中の北アイルランド出身のスティーブンさんと一軒家で暮らしています。スティーブンさんがお手製の益子焼のドリッパーでいれたコーヒーと一緒に食べているのは、なんと納豆! 毎日2〜3個食べるほど好きなのだそう。一方、大の甘党だというティミーさんは朝食にティラミスケーキをいただきます。

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朝食後、お部屋に案内してもらうと、会員の方からいただいたという花火柄の手ぬぐいが。ティミーさんは花火が大好きなのだそう。好きな日本語は、「ぎりぎり、ふわふわ、ぱちぱち」など繰り返す言葉で、一番好きなのは「なんだかんだ」(笑)。

この日は新たな作品に挑戦します。「日下部先生に見ていただけるような、自由な形の作品を作りたいです」とティミーさん。

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ティミーさんが先生と呼ぶこの方は、陶芸家の日下部正和さん。陶芸歴50年、抹茶碗の名手として知られ、その作品には十数万円の値がつくことも。日下部さんとの運命的な出会いが、ティミーさんをニッポンへと導いたのです。

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10年前、ハンガリーで開かれた日下部さんのワークショップに参加した時のこと。ニッポンの茶碗作りに初めて触れたティミーさんでしたが、そこで目にした茶碗は、左右非対称で飲み口もでこぼこ。ヨーロッパでは"均整のとれた形が美しい"というのが常識だったため、とても衝撃を受けたそう。その瞬間、陶器に対する考えが180度ひらけたと話します。

整ったものよりも不完全なものに温かみや愛着が湧き、自然な美しさを感じる日本人ならではの美意識だという"歪みの美"。

ニッポンの美を目の当たりにしたティミーさんは、「先生、私、ニッポンに行きたいです!」と猛アピール。日下部さんのもとで3ヵ月修業した後、「本格的に益子焼を学ぶなら、益子陶芸倶楽部がいい」と推薦していただいたのです。

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工房で日下部さんが作り始めたのは、均一ではない歪んだ形の茶碗。しかし、ただ歪ませればいいというものではありません。日下部さん曰く、「歪みが飲むときの手の形だから心地いい。これが本当の自然な持ちやすい形」とのこと。歪みの中に使いやすさを併せ持つ...これこそが「歪みの美」の真髄なのです。

今度はティミーさんが歪みの茶碗に挑戦! 試行錯誤しますが、日下部さんの茶碗と比べるとご覧の通り。歪みと使いやすさを両立させるのはとても難しいのです。

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その夜、お宅にお邪魔すると、ティミーさんがハンガリーの家庭料理「ラコットカーポスタ」を作っていました。玉ねぎ、ニンニク、挽き肉を炒め、粉末のパプリカを入れて煮込むこと10分。オーブン皿に敷き詰めた白菜の上に、米と先ほど煮込んだ肉、ホワイトソースを重ねていきます。これにチーズをかけてオーブンに。焼きあがったものを益子焼の皿に盛り付ければ出来上がり!

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ティミーさんのことを「かっこいい! 優しいよ。お母さんみたい」と語るスティーブンさん。ティミーさんも、「姉弟の中で一番上だったので、お父さんが亡くなった後、妹や弟の世話をしていたから、お母さんみたいなのかもしれない」と話します。

翌日。日下部さんからろくろの速さについて指摘を受けたティミーさん。早く回すと形が均一になってしまうそう。師匠に言われたことを参考に、歪みと使いやすさを兼ね備えた湯のみ茶碗を作ります。

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「日下部先生の作品は力強い。私は流れるような動きのある茶碗を目指します。それが私の個性だと思うから」。心を込めるように、ゆっくりろくろをひいていきます。しかし、納得のいく作品がなかなかできず、作っては壊しを繰り返し、1週間で作った茶碗はなんと100個以上! ようやく形になったものを日下部さんが見てくださることに。

「楽しみながら作った雰囲気が出てる。本当に見違えるようになったわな」と日下部さん。合格点をいただけたようです。1週間前と比べてもご覧の通り。

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1ヵ月後には、見事な「歪みの美」を表現した茶碗が焼き上がりました。日下部さんも、「ステップアップしてこれから面白い域に入っていくのでは」と期待を寄せます。

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ティミーさんは「益子の雰囲気はとってもいい。知り合いもいっぱいいるし、日本人はみんな優しい。益子焼のマスターになり、いつかは自分の工房を開きたい」と夢を語ってくれました。これからも、夢に向かって頑張ってください!

ニッポンでの教えを守るメキシコの大衆食堂が、コロナ禍で苦境に...

お次は、特別企画「遠く離れた絆をもう一度結んじゃいましたスペシャル!」から、メキシコ・メリダで大衆食堂を営むペドロさんとアイメさんを紹介します。

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約2年前、ニッポンにご招待した2人は、家族4代にわたり87年続く名物食堂「三勝屋」(岐阜・加茂郡八百津町)でお世話になり、看板メニュー「パーコー」の秘伝のレシピを伝授していただきました。そんな2人から届いたビデオレターを「三勝屋」のみなさんの元へ。

帰国後、2人のお店「たま食堂」に番組を観たメキシコ在住の日本人や観光客が続々来店。日本人で賑わう店は地元の新聞にも取り上げられ、開店前に行列ができたことも! 売上は前年の3倍になったそう。

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「三勝屋」で教えていただいたパーコーの注文が入ると、2人で作業を分担し、協力して作っていきます。

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揚げたてのパーコーを見た「三勝屋」店主・林邦彦さんは「上手に揚がっていますね」と太鼓判。「衣がカリッと揚がっていてとても美味しいです!」と、お客さんの評判も上々です。

最初はカラッと揚げられず、苦労したそう。「失敗する度、三勝屋さんに申し訳ない気持ちでした」と語るアイメさん。教え通りに上達するまで何度も挑戦して試行錯誤を繰り返し、納得の味になるまで1年半かかったといいます。

プライベートでも2人に変化が。昨年11月、店の経営が軌道に乗ったことから交際5年の末に結婚。しかし、新婚生活が始まった矢先、新型コロナウイルスの感染が拡大。「たま食堂」はお客さんゼロの日が続き、4月の売り上げは前年の80%減に。それ以降も赤字ですが、再びニッポンに行くために貯めていた貯金を切り崩し、かろうじて店の経営を続けています。

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苦しい状況の中、2人の支えとなっているのが邦彦さんの「明日はお客さんが来てくれる、きっとうまくいく」という言葉。それは、ペドロさんがニッポンご招待時に「商売がうまくいかない時は、どのようにやる気を保っていますか?」と邦彦さんに聞いた時の答えでした。ここで2年ぶりに直接話してもらおうと、ニッポンとメキシコをリモートで繋ぎます。

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「ニッポンに行くために貯金をしていましたが、そのおかげで店を失わずに済みました。今回私たちはニッポンのみなさんに助けてもらったと思っています」と感謝の気持ちを伝えるアイメさん。ペドロさんも、「邦彦さんの言葉と皆さんと過ごした時間を思い出して、2人で頑張っていきます」と話します。邦彦さんも、「コロナで大変な時期ですが、お互いにこれを乗り越えて来年お2人に会えることを楽しみにお待ちしています。頑張ってください!」とエールを送りました。

ペドロさんとアイメさんをニッポンにご招待したら、「三勝屋」の教えを守って地元の人気食堂になり、コロナ禍でも、邦彦さんの言葉を支えに頑張っていました!

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