漆喰、金継ぎ、組子...ニッポンが世界に誇る”伝統美”の素晴らしさと知られざる裏側を紹介:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時~)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。今回は「ニッポンの職人技を愛する外国人大集合!スペシャル」をお届け!

世界最高峰の左官職人から漆喰を教わったアメリカ人のその後...

まずご紹介するのは、アメリカ・ケンタッキー州に住む大工のジギーさん。

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約2年前に出会ったジギーさんが愛してやまないニッポンの職人技は「漆喰」。

漆喰の主な成分は燃えにくい消石灰で、まだ銀行がなかった時代には漆喰で塗り固めた土蔵で火事から財産を守ってきました。その防火性は圧倒的で、東京大空襲でも漆喰を塗った蔵が焼けずに残ったほど。約1500年の歴史を持ち、姫路城などの土壁にも塗られてきた自然素材です。「土壁と漆喰というニッポン独自の組み合わせこそ僕が目標とする壁なんです」と話すジギーさん。湿度を調整する効果を持つ土壁に漆喰を塗ることで、湿気にも火にも強い壁になります。

ジギーさんが漆喰を知ったのは8年前。テレビで観たニッポンの漆喰の美しさに感動し、本やインターネットを見て独学で始めたそう。漆喰に保水性と粘着性を与える"海藻のり"はアメリカでは手に入らないので、わざわざニッポンから取り寄せています。少量ずつ水を加えて1時間かけてのばした海藻のりに細かくほぐした麻や消石灰を入れ、ジギーさん特製の漆喰が完成しました。

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漆喰に夢中なジギーさんには、憧れの存在が。世界的左官職人・挾土(はさど) 秀平さん。

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挾土さんの職人技は世界から注目を浴び、国の最重要プロジェクト北海道洞爺湖サミットの円卓や、VIPを歓待する羽田空港国際線ファーストクラスラウンジ、超一流の建築物などを手掛け、左官の領域を超えた技術と創造力は世界最高峰ともいわれています。ジギーさんは憧れの挾土さんに少しでも近づきたいと、大工の腕を活かして漆喰を塗る練習をするための土壁まで作っていました。

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土壁を作っては漆喰を塗る...この練習を繰り返すこと200回以上! 「挾土さんは流れるようなスピードで塗るのにコテの跡がとても美しいんです。あの技術をぜひ学びたいです」と意気込むジギーさんを、約2年前、ニッポンにご招待!

向かったのは、岐阜県高山市。そこで待っていたのは...なんとジギーさんが一番会いたかった挾土秀平さん!

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挾土さんは、早速ジギーさんを連れて、壁造りの試行錯誤を重ねる研究部屋に案内してくださいました。壁一面には約220点の試作品が並びます。材料は挾土さん自らが各地で掘り出した天然素材。高山市内で採取した落ち葉を貼りつけたものなど、漆喰とは全然違った質感のものも。

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いよいよジギーさん、最高峰の技を持つ憧れの存在・挾土さんから漆喰の壁塗りを教えていただきます。秀平組の職人さんもお手伝いに加わっていただき、漆喰作りから始めます。まずは海藻のりを火にかけて煮ます。煮出すことで海藻のぬめりが溶け出し、粘り気の強いのりになるといいます。ジギーさんはニッポンから取り寄せた粉末のものを水でのばして使っていました。続いて取り出したのは、麻の繊維。ここにも、挾土さんのこだわりがありました。「使う前に叩かなきゃだめ」と麻を叩きほぐし始めます。

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麻は繊維がつなぎ役となり、漆喰のひび割れを防ぐ効果が。繊維のダマがなくなるまでほぐしたら煮出した熱いのりをかけてよく浸透させ、そこへ消石灰を加えて細かく混ぜます。「いい運動になります!」というジギーさんに、「疲れるでしょ。それが仕事なんだよ」と優しく声を掛ける挾土さん。

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ダマがなくなったかを確認し、漆喰が完成しました。

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「塗ってみて」と挾土さんに促され、緊張した面持ちで壁塗りを披露するジギーさん。漆喰の塗りは乾燥との戦い。わずか10分ほどでどこまで美しく仕上げられるかがカギとなります。ジギーさんは塗る作業に12分、仕上げに3分、計15分かかりました。果たしてその評価は...?

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挾土さんは「上手だと思うよ! でも汚いね(笑)」と正直な感想を。漆喰を効率よく塗るポイントを伝授していただきます。

<3つのポイント>
1.壁の中心から塗らない。均等になるように外周から始めて最後に中心を塗る。
2.乾燥ムラを防ぐため、とにかく早く塗る。
3.コテの上で繊維が立つと非効率。コテ板から漆喰を取るときはコテの使い方に注意を払う。

ジギーさんの一番の課題は、均一にできるだけ早く塗ること。ここで挾土さんの壁塗りを見せていただけることに!

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流れるようなコテさばきでジギーさんの3分の1、わずか4分で塗る作業は終了。この後の仕上げに時間をかけます。圧をかけることで表面にツヤが...。仕上げには6分をかけ、理想の10分で終了! 均一に早く塗り、仕上げに時間をかけることで、ひび割れがない耐久性のある壁ができるのです。出来上がった漆喰壁の違いはご覧の通り。

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「たくさん学びました」と話すジギーさんに、「これが左官の面白さであり難しさなんだよね」と挾土さん。「もっと練習をさせて下さい」というジギーさんの熱意に応え、みなさん日暮れまで8時間も付き合って下さいました。

翌日も「帰国後も練習できるように」と、朝から土壁塗りの技を伝授して下さいました。別れの時。挾土さんは「何にもやるもんないけど、俺のコテ板あげるよ。使ってたコテだからさ」と愛用している大事なコテ板をプレゼントしてくれました。

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あれから2年...ジギーさんからのビデオレターを挾土さんのもとへ届けます。

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「挾土さん、長瀬さん、宇志さん、お久しぶりです。漆喰の技術を忘れぬよう頑張っています」とジギーさん。「麻に関して、挾土さんからは棒で叩いてほぐすとフワッとなると教えてもらいましたが、短時間でできるもっといい方法を見つけたんです」と見せてくれたのは、「麻を袋に入れてエアコンプレッサーの強力な風を送る」という方法。こうすれば短時間で麻の繊維が均一にほぐれてフワフワになるそう。

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挾土さんは「頭いいね。真似した方がいいな」と笑顔に。さらにジギーさん、漆喰を混ぜる際は電動ドリルを使い、時間短縮にも成功していました。ドリルを使っても材料がちゃんと溶けていることを確認した挾土さんは「塗り壁には基本的な決まりはあるんだけど、それを外してもいいっていう自由もあるんだよね。ジギー流でいいと思う」と話します。

帰国後も練習を続けてきた挾土さん直伝の漆喰塗りを披露。プレゼントしていただいたコテ板を使って挑みます。果たして練習の成果は?

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真剣な眼差しで見つめる挾土さんは「コテさばきは結構練習したみたいだね。気持ち100点、腕45点ってとこだね。気持ちは100点!」とのこと。「本物の素材の漆喰を使っていれば耐久力はあるわけだから、ジギーさんの下手なコテをたどった壁の跡...そこにうっすらと数十年かけてほこりがのっていく。自分の手の跡が何十年かけてうっすらとほこりがのって見えてくると、この建築自体がめちゃくちゃ愛しいものになる。壁もアートみたいに見えてくると逆に平滑な壁より味わいがあっていい」と話してくれました。

ジギーさんは今、挾土さんから学んだ技術を伝えるため、定期的にワークショップを開いています。
大工と左官の二刀流を活かし、日本建築と漆喰の素晴らしさを伝えているそう。

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「柱も建てれば壁も塗る...ジギーさんはすごい。今の時代はみんな分業化でしょ。職人って自分の前後のことも全部できるやつが最強なんだよね。本当に素晴らしい」と挾土さん。

さらにジギーさん、自宅の庭に漆喰で内装を仕上げる予定の小屋やピザ窯まで作っていました。しかし、ピザ窯の壁は石灰と砂を混ぜた材料だそう。「本当は漆喰で仕上げたかったのですが、曲面の塗り方が分からないんです」とのこと。すると挾土さんが、漆喰を曲面に塗る技を見せてくださることに! しなるコテを使い、曲面にピタッと沿わせて仕上げていきます。

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この映像は、後日ジギーさんへ送ることに。最後にジギーさんが「私の夢はニッポンで伝統的な漆喰の技術をもう一度学ぶことです。学ぶべきことが多すぎます」と夢を語ると、挾土さんも「本当にいいスタイルでやっているので、また来てもらったらもっと丁寧にいろいろなこと話したいなと思います。頑張ってください」との言葉を送ります。

ジギーさんをニッポンにご招待したら、漆喰を独自に進化させ、その素晴らしさをアメリカの人々に広めていました!

へらや室も手作り! 金継ぎに魅せられたイタリア人がワークショップを開催

続いては、イタリア、ミラノ郊外の田舎町・ビエッラに住むキャーラさん。

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2年前に出会ったキャーラさんが愛してやまないニッポンのモノは「金継ぎ」。

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金継ぎとは、壊れた陶磁器を漆で修復し、金で繕う日本独自の技。今、その技術が世界で注目されています。海外では、金継ぎを紹介する様々な動画が製作され、なかには再生回数3000万回を超えるものも! 長年イタリアで美術品の修復師をしてきたキャーラさんは、「4年前 偶然インターネットで見た金継ぎがあまりにも美しくて、今では生活の中心が金継ぎと言えるぐらい愛しています。ヨーロッパの修復は破損した箇所を完全に覆い隠します。自分の失敗を隠すのがヨーロッパの考えなんです。でも日本人は、失敗を糧により良いものを生み出そうとするのです」と話します。

元通りに直すのが良いとされるヨーロッパの修復に対し、ニッポンの金継ぎは、あえて傷を隠さず、そこに「新たな美」を創造します。そんな美意識に惹かれたキャーラさんは独学で技術を身につけ、今では金継ぎでの修復を依頼されるまでになりました。

日本古来の「漆」と、砥石を粉にした砥(と)の粉(こ)を混ぜ、陶器の断面に塗り、つなぎ合わせます。海外では手に入りにくく、安くはない漆。樹脂で代用する人もいますが、キャーラさんはニッポンの漆にこだわり、わざわざ取り寄せています。それを、湿らせた布を敷いた容器の中へ。

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温度と湿度を一定に保つ「室」に数日置くと、漆が固まります。キャーラさんは約1年試行錯誤してこの方法にたどり着いたそう。そして5日後、つなぎ目に赤い漆を塗って再び室へ。今度は固まりきらないうちに取り出し、金粉をつけます。

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漆を塗って固める工程は4~5回行う必要があるため、完成までには1ヵ月かかることも。「自己流なので、ニッポンの職人さんが見たら笑われてしまうかもしれませんが、いつかニッポンで基礎をしっかり学び、金継ぎの素晴らしさをイタリアで広めたい」と話すキャーラさんを、約2年前、憧れのニッポンにご招待!

金継ぎを学ぶために向かったのは、古都・京都。40年以上にわたって漆を使う修復に携わり、全国から金継ぎの依頼が絶えない、漆芸(しつげい) 修復師の清川廣樹さんを訪ねます。

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清川さんの工房「漆芸舎 平安堂」を訪ねると、清川さんがにこやかに出迎えてくださいました。
「本当に夢のようです」と涙ぐんでしまうキャーラさん。

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工房には、清川さんの腕を頼り、全国から寄せられた様々な依頼品が。一度直せば数百年は持つというニッポンの漆芸修復。今回は、料亭「京都吉兆」から預かった魯山人の器の修復工程を見せていただけることに。京都出身の芸術家・北大路魯山人は美食家としても知られ、生涯にわたり多くの陶芸作品を製作。その独特の作風に魅了される愛好家は多く、中には数百万円という価値がつくものも。今回修復するのは、その代表作のひとつ、備前焼の器です。

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下地作りに長い時間をかけ、ようやく金で繕う大切な工程に入るところでした。修復が始まったのは約2ヵ月前で、「この段階までで6工程入ってます」とのこと。まずは割れてしまった破片を接着。漆自体にも接着力はありますが、米粉を使った糊と混ぜ、「糊漆(のりうるし)」にすることでより強力な接着力が生まれるそう。漆を固めるために入れるのは、温度と湿度を一定に保つ室。

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「ファンタスティック! 普段プラスチックの箱を使っているので本物の室を見るのが夢でした」と目を輝かせるキャーラさん。清川さんは「常に同じ状態の室温と湿度を作れるように工夫してます」話します。

漆は、空気中の水分から酸素を取り入れることで硬い膜に変化。最適な温度と湿度を保たないとしっかり固まらず、縮みや剥がれの原因になってしまいます。最初の10時間の温度と湿度で、漆の強度と光沢が決まるといいます。

「僕は40年前に電球で習ったので、電球でやっています。寒い時は電球のワット数を上げます。湿度は濡れタオルの量です。室の材木の杉板は多い湿度は吸収してくれますが、プラスチックの場合は吸収しないので、おそらく一瞬にして湿度は100%になります」と清川さん。キャーラさん、教わったことはすぐにメモを取ります。

接着から1週間後、砥の粉と生漆(きうるし)を混ぜ合わせたもので、欠けや隙間を埋めていきます。続いて、漆黒と呼ばれる黒漆をつなぎ目を覆うように塗って膜を作り、防水効果を生み出します。

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作業開始から2ヵ月、ようやく下地が完成しました。下地作りがいかに重要な工程なのかが分かります。いよいよ、金に仕上げる工程に入ります。まずは、金粉の下に塗る赤い漆。漆に弁柄という顔料を練り込んだもので、金の下にこの赤い漆を持ってくることによって、上質な赤っぽい金色(黄金色)を表現することができるそう。「先人たちの知恵です」と清川さん。線を引くのではなく均等に漆をのせていきます。この赤い漆に金粉がつくため、わずかなミスで美しさが台無しになってしまいます。

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続いて、室に入れ、金粉を入れる一番いいタイミングを見極めます。「弁柄漆の表面だけが硬化した時を狙って金粉を沈めます。それが一番黄金色を出す方法です」と清川さん。天候や室の中の状態によってベストな瞬間を見極めます。

約30分後。清川さんが取り出した金粉は、器の凹凸を活かす一番粒子が細かいもの。使い込んだ真綿で金粉を塗り込んでいきます。新品だと金を吸いこんでしまうため、あえて使いこんだもので作業するそう。

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一度目は圧をかけず、金粉の重みだけでわずかに沈み込ませます。二度目は、少し圧力をかけます。この作業を2、3回繰り返すことで光沢が上がっていくのです。金粉をつけてはこするを繰り返し、見事な黄金色に。

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この後、4~5工程かけてこの金を奥に沈めていきます。「真新しい金の色はこの器には全く似合わない。魯山人の器より前に出ないように、金が邪魔しないようにその色合いを作っていこうと思います」。清川さんは、あくまでも主役は器であることを教えてくださいました。さらに上から半透明の漆を重ねて塗ることで、魯山人の器になじむ深みのある金色に。漆は時間とともに透明感が増すため、最も美しい状態になるのは、なんと50年後!

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「漆の楽しみ方のひとつなんですよね。職人さんたちは、50年後、100年後こう見えたらいいなぁという想像で仕事をしている」と話す清川さんに、「金継ぎの美しさを時間がつくりだすという考えが本当に素晴らしいと思います」と返すキャーラさん。金継ぎならではの美意識がしっかりと伝わったようです。

「純金ではないのですが...」とキャーラさんが自分の金継ぎを清川さんに見ていただくと...。
「独学でもここまでできるってたいしたもんです。でもやっぱり下地の仕事はものすごく大事。下地が綺麗だと表面もすごく綺麗に見えるから」と清川さん。キャーラさんに下地の大切さを再度教えてくださいます。キャーラさんの金継ぎをよく見ると、継ぎ目に溝が...。

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清川さんは「下地にもうひと手間入れるとこれが無くなる」といい、少しでも多くのことを学んで帰ってほしいと、色々な段階の器を用意してくださっていました。キャーラさん、ニッポンの技法や道具の使い方を学べるまたとない機会を逃すまいと、熱心にメモを取ります。

「必ず木のヘラを使うこと。こっち(器)に傷をつけない」と清川さん。木べらや竹べらは用途や目的に合わせ、職人が手に合うものを自作するそう。「自分が納得いくところまで下地の段階で時間をかける」といかに下地の工程が大切か...もう一度強調します。

別れの時。清川さんは「長く金継ぎを続けてイタリアのみなさんに広めてあげて下さい」とキャーラさんに長年使い込んだ木べらと竹べらをプレゼントしてくれました。

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あれから2年...キャーラさんからのビデオレターを清川さんのもとへ届けます。キャーラさん、番組出演を機に、イタリアの新聞社から取材を受けていました。すると記事を見た方から"金継ぎを学びたい"というメールが殺到! 去年だけで約200人に教えたそう。

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キャーラさんが取り出したのは、清川さんの教えを書いたメモ帳。「このノートが最高の財産になりました」と話します。「今まで見習いの子がたくさんついてくれたけど、集中して勉強しようと思ってくれたのは、ひょっとしたらキャーラさんがナンバーワンかもしれない」と清川さん。

そんなキャーラさんの金継ぎには、帰国後、驚きの変化が生まれていました。「清川さんから下地の重要性を教わり、作業の仕方が大きく変わりました」と取り出したのは...手作りのヘラ。

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「いただいた木のへらを真似して、自分で作ってみたんです」とキャーラさん。下地に合わせて使い分けられるよう4本のヘラを自作していました。そして別室に移動して見せてくれたのは、清川さんの設計図をもとに自作した室。大工のお父さんに手伝ってもらったとのこと。

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電球のワット数と湿らせたタオルで温度と湿度を管理するところまで、忠実に再現しています。「室のお陰で、修復作業が根本から改善しました。清川さんのお陰です」。

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「素晴らしい」と清川さんも嬉しそう。大きく進化した工房で、現在キャーラさんが手掛けているのが、祝いの時に使う皿の修復。

1ヵ月以上かけて下地作業を行い、この日、いよいよ金に仕上げる工程。まずは、赤い弁柄漆をのせていきます。「清川さんの指導のおかげで、筆の使い方が変わりました。以前は、器と漆の間に隙間ができてひび割れのようになっていました。今は筆と器が会話をするようなイメージで描いています」と話しながら、弁柄漆を修復部分にのせていきます。

金粉を撒く時も「ニッポンに行く前は純金は贅沢だと思い、銅の粉のフェイクゴールドを使っていました。でも、ニッポンでその考えが間違いだと気づきました。金継ぎの職人技や漆を育てる情熱に触れ、偽物を使うことに耐えられなくなったんです」と話し、意識の変化についても教えてくれました。日本で学んだ技と本物の金粉を使い、修復された祝いの皿がこちら。

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「漆をひくのも金を撒くのもすごく上達されましたね。たいしたもんです」と清川さんからはお褒めの言葉が。「キャーラさんには伝えてなかったけど、必ずしも金色にしなければいけないわけじゃない。このお皿すべてに金を撒かないという勇気もひとつ」といって清川さんが見せてくださったのは、あえて赤い漆を残した赤茶碗という器。

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金一色にこだわらず、器が一番美しく見える技を考えるのが修復にとって大切なことだそう。

さらに、キャーラさんから「金継ぎがきっかけで女優デビューしたんです」と驚きの報告が。出演したのは「東京オリンピック・パラリンピック」に向けて製作された「トヨタ・イタリア」のCMで、片足を失ったアスリートの再起を修復で生まれ変わる「金継ぎ」と重ねた作品だそう。

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最後にキャーラさんは、「近い将来もう一度日本に戻り、もっと金継ぎの技術や漆について学びたいです」と、さらなる夢を話してくれました。

キャーラさんをニッポンにご招待したら...CMにも起用される金継ぎ職人に成長していました!

組子を愛するジェレミーさんはいま...

最後に紹介するのは、3年前にアメリカ・テキサス州で出会ったジェレミーさん。

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釘も接着剤も使わず、木材だけで組み付けるニッポンの木工技術「組子」に魅せられたジェレミーさん。組子とは、1400年以上前の飛鳥時代から続く日本建築の装飾技法。障子や欄間(らんま)など繊細な装飾に用いられ、職人の手により100分の1ミリ単位の精度で加工されます。

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大学卒業後、家具職人となったジェレミーさんは、5年前に組子の本と出会い、その美しさに一目惚れ。そんなジェレミーさんをニッポンにご招待!

史上最年少の27歳で内閣総理大臣賞を受賞した組子職人・塩澤正信さんに憧れるジェレミーさんは、塩澤さんの工房で3日間にわたりお世話になることに。誰にも見せたことがないという個展用の組子作りを特別に見学させていただきました。

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あれから3年...現在ジェレミーさんは、奥さんの仕事の関係でデンマークにお住まい。2人目のお子さんも生まれ、家事と育児を担い、奥さんのサポートに奮闘中です。子育てが落ち着いたら組子製作を再開させるべく、塩澤さんの組子に思いを馳せる日々だそう。これからも家族でお幸せに...ジェレミーさんの組子作りを応援しています!

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そして、今夜8時放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」は...。

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▼日本酒の作り方を学びたいフランス人男性
約9カ月前、ニッポンにご招待。日本酒造りを教えてもらいに、石川県能登にある創業230年の老舗、鶴野酒造へ。蔵の最高責任者である杜氏を務める女性にお世話になることに。そんな彼からビデオレターが届く。帰国後ますます日本酒造りに没頭し、すでに約1300リットルの日本酒を製造したと話す彼から驚きの報告が!

▼松尾芭蕉を愛すホンジュラス人女子高生
約2年前、ニッポンにご招待。1週間の滞在で、東京千住、宮城県松島、山形県最上町、山寺、栃木県黒羽町と芭蕉が数々の名句を詠んだ"おくのほそ道"の各地を巡った。そんな彼女からビデオレターが。ご招待をきっかけにホンジュラスでも大きな反響があった!また、さらにサプライズが!

どうぞお楽しみに!

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