ひとつひとつ手作り! 約300年の歴史を持ち、徳川将軍家や明治天皇にも献上されたそうめんとは?

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時~)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は「ニッポンの夏を愛する外国人大集合スペシャル」と題して、ニッポンの夏の風物詩を愛する方々を振り返りつつ、彼らのその後もご紹介します。

機械を使わずひとつひとつ手作り...そうめん作りの大変さを肌で感じ、大感動!

まずは3年前、アメリカ・ニューヨーク州で出会ったこの方!

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ニッポンのそうめんを愛する大学生・ミランダさん。夏の風物詩・そうめんは、約1200年の歴史を持つニッポン最古の麺。鎌倉時代に麺を細く長く延ばす技法が取り入れられ、現在のそうめんの形が確立されたと言われています。そうめんの太さは1.3mm未満という農林水産省が定めた基準があり、同じ原料の小麦粉から作られているうどんや冷麦と区別されていますが、一流の職人が手で延ばしたそうめんは、0.3mm以下のものも! 細ければ細いほど舌触りと喉越しが良いため高級品になります。

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ミランダさんが特に興味があるのが南関そうめん。熊本県南関町の特産品で、ニッポンで唯一機械を使わず、ひとつひとつ手作りしています。約300年の歴史を持ち、細さゆえのあまりの美味しさから徳川将軍家や明治天皇にも献上された逸品。まだニッポンに行ったことがないミランダさんですが、極細の南関そうめんに憧れるあまり、インターネットなどを参考に独学でそうめん作りに挑戦していました。しかし、その出来栄えは...。

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どうしてもうどんのようになってしまいます。「私にできる麺はこれが精一杯です。どうすればあんなに細い麺が生まれるのか...ニッポンでどうしても勉強したいんです」と話すミランダさんを、ニッポンにご招待!

真っ先に向かったのは、憧れ続けた南関そうめんの里・熊本県南関町。

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お世話になったのは、約250年続く老舗! そうめんが皇室にも献上された「猿渡製麺所」。9代目にして唯一の女性職人・井形朝香さんが出迎えてくださいました。

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井形さんは親戚の金坂さんと2人で、製麺所を切り盛りしています。最初に見せてくださったのは井形さんが専門に作っているという「白髪そうめん」。その太さは約0.2mmで、針穴にいとも簡単に入ってしまいます。細ければ細いほどめんつゆの絡みがよく、喉越しも別格なんだそう。

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早速、白髪そうめんを茹でていただきます。通常のそうめんの茹で時間は1分半から2分が目安ですが、白髪そうめんはなんと30秒。出来上がったそうめんは氷水に入れがちですが、冷やしすぎると小麦の風味が失われてしまうそう。ミランダさん、憧れの南関そうめんのお味は?

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「おいし〜い! 細いのにものすごいコシです。そのまま飲めてしまうぐらいツルッと入ってきますね。無限に食べられます」と、何回もおかわり。白髪そうめんは、1本ずつ手作業でこねていくため驚くほどのコシがあり、茹でてから2日経ってもほとんど伸びないと言います。果たして その作り方は?

まず塩と水を混ぜたものに小麦粉を加えて手でこねます。塩には吸水性があり、乾燥してもひび割れを防ぐので、つるりとした麺になるそう。固くならないうちに厚みを揃えながら素早く直径1mほどの円に延ばします。小刀で渦巻き状に5cm幅の切れ込みを入れ、これを0.2mmになるまで延ばしていきます。この後、抜群のコシを生み出す秘密が!

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コヨリを作る様に右手で「より」をかけながら左手で延ばしていきます。手を止めることなくよっていく井形さんの職人技の速さに、ミランダさんは驚きを隠せません。

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「手でこねてるからコシが出てくるんですよ」と井形さん。そもそも「コシ」とは、小麦粉の成分に含まれる粘りと弾力を持つグルテンによるもの。絶え間なく手でこねながら延ばしていくことで麺を鍛え、グルテンの形成を育むのです。ミランダさんも挑戦。最低でも1年間の修業が必要とされるそうですが、「形はできよるな。よくできました」とお褒めの言葉をいただきました。

小指ほどの太さになるまで繰り返し、一晩寝かせてさらにグルテンの形成を促します。次に「より」をかけながらさらに麺を細く長く延ばし、2本の棒に8の字を描くようにかけていきます。

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手の感覚だけを頼りに細いところは弱く、太いところは強くこねて太さを均等に揃えます。さらに、引いては2時間寝かすという作業を2度繰り返せば、麺のコシは最高の状態に。

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太さが1cmほどになったところで、いよいよ0.2mmの極細麺にするため、外で延ばす作業に入ります。

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2本の竹の棒を器用に使い、まずは麺を縦方向に延ばし、続いて上から撫でるように横方向へ。
「全然切れないんですね」と驚くミランダさん。コシを極限まで高めているので切れることはありませんが、乾いてしまうと麺が固くなり延ばせなくなるので「1秒でも早く延ばさないとダメ」と井形さん。1分以内に、1.5mから4mに延ばしていきます。延ばせば延ばすほど細くなるそうめんですが、限られた時間で0.2mmまで引き延ばせるのは井形さんだけだそう。「まるで絹糸のようです。延ばしの作業が見られたなんて本当に感激です!」と嬉しそうなミランダさん。

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太陽の日差しで30分ほど乾かし、30cmに切り分ければ、最高のコシを持つ超極細麺「白髪そうめん」の完成です。

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全ての作業が終わると、井形さんは「慣れないのに一生懸命覚えようという気持ちがね、本当に嬉しかった。ありがとう」と涙ぐみます。「インターネットでは分からなかったそうめん作りの大変さを肌で感じることができました」とミランダさん。そうめん作りを体験して感じたことがたくさんあったようです。

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あれから3年...。現在ミランダさんは、新型コロナウイルスに苦しむ人々を救いたいとPCR検査を行う医療従事者として活躍中とのこと。

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ミランダさん、またの来日お待ちしています!

田んぼを作り、本物の藁で線香花火を作りたい...ベンさんの熱意に感動!

続いては...アメリカ・ミシガン州に住むベンさん。

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今から1年3ヵ月前に出会ったベンさんが愛してやまないニッポンの夏の風物詩は「線香花火」。江戸幕府を開いた徳川家康が日本初の観賞用花火を手掛けたとされ、その後「おもちゃ花火」と言われる庶民向けの花火が作られるようになりました。「線香花火」はその過程で誕生しました。

ベンさんは線香花火好きが高じて独学で作り方を研究し、自作の線香花火を作っていました。材料は松炭、硝酸カリウム、硫黄。松炭は庭の松の木を使った自家製です。こちらが、10年間試行錯誤して作れるようになった自作の線香花火!

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実はベンさん、科学実験動画のYouTuber。しかし、動画を月に1、2本程度しか作れず生活はギリギリ。ニッポンにはまだ1度も行ったことがないといいます。「私の線香花火は燃焼時間も短く、火花も小さいので上手く広がりません。どうしたら長く、そして上手く火花が広がるのかが知りたいです」と話すベンさんをニッポンにご招待!

向かったのは、江戸時代から花火製造が盛んな福岡県みやま市。90年以上の歴史を持つ「筒井時正玩具花火製造所」へ。約100人の職人さんが「玩具(おもちゃ)花火」と呼ばれる一般家庭向けの花火を手作りしており、上質な国産の線香花火を作り続けるニッポンに2社しかない製造元のひとつです。

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迎えてくださったのは3代目の筒井良太さんと奥様の今日子さん。お2人はこだわりの線香花火作りに取り組んでいます。線香花火専用部屋で初めてのニッポンの線香花火を体験させていただきます。一般的な花火は火薬の燃焼そのものを楽しみますが、線香花火の場合、火薬の燃焼に該当するのは先端に火の玉ができるまで。その後、火が消え入るまでに起こる現象を楽しむのが他の花火とまったく違うところ。線香花火には4つの変化があり、それぞれに花や木の名前がついています。

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線香花火は、かつて火縄銃にも使われた黒色火薬を紙で包むだけのシンプルな花火。筒井さんは、「美しく変化する理由は温度変化にある」と教えてくださいました。筒井さんのようにスムーズに温度が上がる作り方をすれば、長いものだと2分以上かけて4つの変化を楽しめると言います。ベンさんが独学で作った線香花火の火花はほとんど変化せず、大きさも広がり方も筒井さんのものと比べると小ぶりな印象。

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火薬の配合によって大きい火花が出るかどうかが決まるとのこと。早速ベンさんも、線香花火作りを体験させていただくことになりました。と、その前にベンさんが気になったのは、稲藁の先に火薬を付けた「スボ手牡丹」という線香花火。スボ手牡丹は、西日本で主流だったそう。

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江戸時代の絵には香炉に立てて遊んだ様子が描かれており、これがお線香のように見えたことから「線香花火」と呼ばれるようになりました。その後、紙すき文化が発達していた東日本で「長手(ながて)牡丹」と呼ばれる紙縒(こよ)りの線香花火が生まれたといわれています。現在、スボ手牡丹を製造しているのは、全国で唯一筒井さんの会社だけ。

いよいよ工房で、線香花火の作り方を教えていただくことに。まずは、門外不出の火薬の配合。原料は3つで硫黄と硝酸カリウムはベンさんと同じですが、もうひとつの材料は、ベンさんが使っていた松炭ではなく松煙。松を燃やした時に出る煤(すす)の方だったのです。

ニッポンでは松の根っこを燃やした煤が良質とされ、最大の特徴は、触るとベタつくほど多くの油を含んでいること。「油気が多いと温度上昇が緩やか。緩やかだとそれぞれの火花が出る」と筒井さん。ベンさんが使っている松炭では温度上昇が急激なためそれぞれの火花が十分に出なかったのです。

続いては線香花火の仕上げ、紙縒りを教えていただくことに。実はベンさん、火薬の配合を教わった際に筒井さんと同じ火薬と道具を使って紙縒りに挑戦しましたが、火花が出ず、失敗していました。「火薬の量はすごく重要で、多すぎると(火球が)落ちてしまうし、少なすぎると大きい火花が出ない」と話す筒井さん。薄葉紙(うすようし)と呼ばれる透けるほど薄い紙で黒色火薬を包みます。「一番いい火薬の量は0.08g」で、筒井さんは自作のすり切り一杯で0.08gになる専用のサジを使っています。

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火薬の量と同様に重要なのは空気を含まないこと。空気を含むと紙が一気に燃焼し、火花が出ない原因になってしまいます。火薬を巻き終わった「首」と呼ばれる部分は、800度の火の球を支えないといけないため、紙を重ねるようにきつく締めて頑丈にします。これが、高温の火の球を薄紙一枚で支える職人技!

持ち手の部分は色鮮やかに染色した部分が表に出るよう左手と右手を反対に回してよりあげます。

形になるまでに最低でも3ヵ月はかかるという紙縒り。ベンさんも挑戦します。黙々と縒り続けること2時間! 筒井さんに見ていただくと、首が締まった良い出来のものが何本かあったので、早速火花が出るか確認することに。

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見事! 大きな牡丹や松葉が出ました。火薬が若いため、最後の散り菊こそあまり出ませんでしたが、十分な完成度です。「(ベンさんの)吸収しようという力ができるようにしたんだね」と筒井さん。嬉しい一言をいただきました。別れの時。「僕もベンさんにいろんなことを教えたくなった」と、秘伝の火薬の配合を教えていただきました。

あれから1年...。ベンさんからのビデオレターを筒井さんのもとへ届けます。早速、線香花火作りを披露するベンさん。ご招待前のベンさんは原料に松炭を使っていましたが、さすがは科学系YouTuber! 松煙を作るための装置を自作していました。

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見事筒の中は煤だらけに。「一粒も無駄には出来ません」といいながら、少ししか取れない煤を刷毛でしっかり採取します。また、ニッポンで筒井さんからいただいた火薬を包む薄葉紙は、アメリカ中の紙を調べて似た質の紙で自作していました。長さや角度まで正確に測定し、染色まで忠実に再現しています。

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さらに、火薬を測るサジも筒井さんを見習って自作していました。筒井さんたちに見てもらうべく、カメラの前で慎重に火薬を量って縒っていきます。ポイントの首作りも見事!

とここで、スタッフがベンさんから届いた自作の線香花火と薄葉紙を筒井さんに手渡します。ベンさん、どうしても筒井さんに紙縒りの出来を見てもらいたかったのです。火薬の運送は難しいため、コーンスターチを入れて縒ったそう。

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筒井さんがまず気づいたのは、縒ったときに螺旋の柄が出るように染められた薄葉紙の模様でした。

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ベンさんは自身で染色するうちにこの技に気づいたそう。「すごいですね」と奥様の今日子さんも感心した様子。火薬の部分も空気を入れず硬く縒ることができています。100点満点中何点か伺うと、「100点やっていいかな。言うことないですよ!」と筒井さん。いよいよベンさんが自作の線香花火に火をつけると、見事に蕾から牡丹、松葉、散り菊へと火花がしっかりと変化していました。

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「最高の出来ですね。牡丹の花も出てるし、松葉が出たので」と師匠のお墨付きも。さらにベンさん、教わっていないスボ手牡丹まで作っていました。

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稲藁が手に入らないのでアメリカの穀物で代用していますが、ゆくゆくは筒井さんのように田んぼを作り、本物の藁で線香花火を作りたいと話すベンさん。「そこまでストイックに線香花火のことを...すごいな。見習わなければいけない」と筒井さん。ベンさんの熱意に刺激を受けたようです。

そしてベンさんのビデオレターには嬉しい続きがありました。帰国後すぐに結婚をしたそうで、今は奥様と2人で線香花火を楽しんでいるとのこと。ベンさんの線香花火が飛躍的に上達した要因は、やはり筒井さんからいただいた秘伝の火薬の配合にあり、そのメモは大切に額に入れて保管してありました。もちろん秘密の部分は黒塗りに。

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さらにベンさん、ニッポン滞在中に自身で撮影した動画を、帰国後YouTubeで公開。再生回数は約100万回! 世界中から「花火に注がれる職人技のレベルの高さをみて涙してしまった」「こんな美しい文化をこの目でみたい」など、賞賛のコメントが届いています。この動画の反響を受け、筒井さんのところにスペインのテレビ局から取材の依頼もきたそう。

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ベンさんをニッポンにご招待したら、線香花火を忠実に再現し、その素晴らしさを世界中に発信していました! ベンさん、またの来日お待ちしています!

400年の歴史を持つ「日本泳法」への情熱が止まらないピョートルさん

続いては、ポーランドに住むニッポンの夏の風物詩を愛してやまないこの方!

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初めてピョートルさんに出会ったのは3年前。ポーランドで行われた日本祭りでした。「水泳を10年以上やっていますが、甲冑を着たままでも泳げるという日本古来の泳法を極めてみたいです」とピョートルさん。日本泳法とは「古式泳法」とも呼ばれ、江戸時代に確立された日本古来の伝統泳法。出版社に勤めるピョートルさんは、「1932年のロサンゼルス五輪で、ニッポンが競泳種目の金メダルをほぼ独占したことを知りました。その背景に、日本泳法の存在あることを知ったのです」と話します。

ニッポンの水泳が世界で初めて注目されたのは、今から88年前の「ロサンゼルスオリンピック」でした。この大会でニッポンは、男子競泳6種目中5種目で金メダルを獲得! その裏には、400年の歴史を持つ「日本泳法」の存在がありました。日本泳法は、現在も全国に13の流派があり、愛好家は1100人以上いるといいます。

ピョートルさんはいつも慶応義塾体育会水泳部で日本泳法を行っている葉山部門の動画を見ているそう。日本泳法への情熱が止まらないピョートルさんは、おそらく海外では初となる日本泳法チーム「ポーランド水術チーム」を結成。

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メンバーには競泳の元ポーランド代表選手も。世界選手権にも出場したことがあるパヴェウさんはピョートルさんと同じく日本泳法に感銘を受け、自ら考えた練習メニューを仲間に教えています。誰1人ニッポンに行ったことはありませんが、慶應義塾大学の動画を参考にして独学で練習を行なっているそう。

そこで、「ニッポンに行って日本泳法の練習がしたいです。全国大会で色々な流派の泳ぎも見学したいです」というピョートルさんとパヴェウさんを、ニッポンにご招待!

まずは自然の中で生まれた日本泳法本来の姿を体験したいと千葉県勝山へ。快く受け入れてくださったのは、都立日比谷高校OBによる神伝流一水会(しんでんりゅういっすいかい)の皆さん。その中に、ピョートルさんがインターネットの動画で見たことがある方がいらっしゃいました! それは日本水泳連盟 前日本泳法委員長の日野明徳さん。

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皆さんが着ているのは、「水干(すいかん)」という昔の水着。平安時代の服装に由来し、江戸時代末期に水着としてこの形になったそう。ポーランドでは内陸の街・ワルシャワに住む2人、海で泳ぐのは初めてですが、果たして...?

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なんとピョートルさんとパヴェウさん、空を飛ぶ雁の群になぞらえた雁行(がんこう)もピタリと合わせることができました。これには神伝流一水会の方もビックリ! 皆さんとバーべキューで交流を深めた2人は感謝を伝え、次の場所に向かいます。

いよいよ、ピョートルさん憧れの場所であり、全国で唯一日本泳法を行っている体育会水泳部がある慶應義塾大学へ。近代競泳がまだニッポンになかった明治35年に創部。迎えてくださったのは、監督の北島浩司さん。OBの有吉伸久さんやOGの上妻沙紀さん、キャプテンの笠原敬太さんも、2人を指導してくださることに。

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とここで、北島監督からまさかのサプライズが...。「ピョートルさんとパヴェウさんは資格審査を受けることになっていますので、ぜひ頑張って欲しいと思います」。初耳のピョートルさんは、思わずこの表情。

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年に一度の日本泳法大会で行われる資格審査。審査は2種目行い、合否は総合的に判断されます。大会まで、練習できるのはたった3日間! まずは現状の実力をチェックしていただくと、パヴェウさんの一重伸(ひとえのし)に驚く慶応義塾大学の皆さん。

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続いてピョートルさんも。「動画を観ただけでここまでできるのは、本当にすごいなと思います」と上妻さん。審査で重要となる点は、「あおり足」という日本泳法の最も基本的な技術だそう。最重要ポイントということで、この「あおり足」を重点的に練習することになりました。

膝をしっかり閉じて水をとらえると大きな推進力を生みますが、ピョートルさんの場合、膝が離れがちでピタッと閉じず、推進力が少し弱いとのこと。

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2日目も課題のあおり足を特訓。この日も3時間みっちり練習し、ホテルに帰ってからも2人はベッドの上であおり足の練習をしていました。

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最終日。ピョートルさんは、まだ不安が残る「一重伸」をおさらい。「パヴェウは上手いし大舞台にも慣れているので大丈夫だと思いますが、僕は極度に本番に弱いタイプなので...正直かなり不安です」と弱気になるピョートルさんを、有吉さんは「相手いませんから。エンジョイ!」と勇気づけてくれました。

大会当日。長野県の会場に向かうと、全国各地の流派が一堂に会し、10代〜70代まで、幅広い年齢層の愛好家が集まっていました。

いよいよ運命の資格試験がスタート。ピョートルさんの番になると、審査員が口々に「両輪伸? なんか変だ」とざわつきます。

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ピョートルさんに緊急事態が発生! 果たして審査の結果は!?

さらにご招待から3年...ピョートルさんから驚きの近況報告が! 今夜の放送で紹介します!

今夜8時放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」の内容は...。

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▼落語を学びたいジョージア人女性
約2年前、ニッポンにご招待。「桂歌丸さんの落語の映像を観て以来、その虜になった」と話す彼女が浅草演芸ホールで特別に寄席の舞台裏を見学。さらに憧れの人、六代目 三遊亭円楽師匠、直々に2回にわたり稽古をつけてもらった。そんな彼女から円楽師匠へビデオレターが届く!
彼女は驚きの進化を遂げていた!

▼日本泳法の大会出場を目指すポーランド人男性
約3年前、ニッポンにご招待。江戸時代に確立された日本古来の伝統泳法に魅了された彼から、
お世話になった慶應大学の皆さんにビデオレターが。彼の書いた「日本泳法」に関する記事がなんと...!

▼新企画「ニッポンが好きすぎてニッポンに住んじゃった人応援団!」
海外に暮らしながらニッポンのあるものが好きすぎて来日し、そのまま住むことを決意した外国の方たちを応援!

どうぞお楽しみに!

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