タミヤを愛するディエゴさん、64年前に生き別れた兄に会いたい...アルゼンチンで暮らす日系人移民の気になるいま:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時~)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。今回は、「ニッポンにご招待したらスゴい人が応援してくれちゃったスペシャル」をお届け。

最初にご紹介するのはこの方!

▼タミヤを愛してやまないアルゼンチン人・ディエゴさんを、大御所俳優・石坂浩二が応援!

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6歳の時に祖父に買ってもらったことをきっかけに"タミヤの模型"の虜になったディエゴさんを、約2年前にご招待。京都観光の予定をキャンセルし、毎日7時間以上、2週間にわたってタミヤ専門ショップで模型作りを一から勉強。亡き祖父から受け継いだニッポンのバイクを、へこみや錆まで忠実に再現した素晴らしい模型を完成させました。

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ディエゴさんはその模型を携えて、37年間夢見たタミヤ本社を訪問。憧れの存在・田宮俊作会長と面会することができました。そして会長から「世界一タミヤの模型に情熱を持っている、一番のファン」とのお墨付きをいただいたのです。

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ご招待をきっかけにタミヤと模型への情熱がますます加速したディエゴさんは、世界最大級の模型の祭典「静岡ホビーショー」に行くために帰国後1年間休みなく働き、資金を貯め、約1年前に再来日! ご招待時に2週間お世話になったタミヤ専門ショップで、模型愛好家でもある俳優・石坂浩二さんと意気投合。石坂さんの模型仲間の間でディエゴさんは有名らしく、初来日時の放送も皆さんご覧になったそう。

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念願の「静岡ホビーショー」では、お世話になったタミヤの皆さんと再会を果たし、個人では参加できない合同作品展に石坂さん主催「ろうがんず」の一員としてブースに作品を出展させていただきました。

ご招待から約2年、再来日から約1年が経過。ディエゴさんから石坂さんへ感謝と近況報告のビデオレターが届きました!

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実は今年も「静岡ホビーショー」に参加するつもりで貯金を続けていたそうですが、新型コロナウイルスの影響で中止となってしまいました。これは、60年の歴史の中で初めてのことで、「石坂さんや田宮会長のことを想うと胸が張り裂けそうです」とディエゴさん。石坂さんは「(ディエゴさんは仲間の気持ちが)本当に分かるんですよね」と話します。石坂さんは田宮会長と会食した際、ディエゴさんの話になったことも明かしてくれました。

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続けてビデオレターを見ていると、ディエゴさんの横に元気な子どもたちが登場! 「ろうがんず」のようなチームを作りたいと、弟の子どもたちと一緒に模型クラブを作ったそう。

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甥のセグンドくん(5歳)と姪のベゴニアちゃん(8歳)は、ディエゴさんからニッポン仕込みの模型作りの指導を受けていました。子どもが作ったとは思えない精巧な模型に「彼(ディエゴさん)が作ったのかと思いました」と石坂さんも驚き。

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「静岡ホビーショー」が中止になり、生き甲斐をなくしていたと語るディエゴさんでしたが、そこへある朗報が飛び込んできたといいます。なんとディエゴさん、2021年に開催予定の「ろうがんず杯」へ参加するそう。

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「ろうがんず杯」は、石坂さん主催のプラモデルコンテストで、2014年から毎年開催されています。賞金総額は60万円! 今年11月に写真審査が行われ、通過者のみ、来年1月の本選に出場することができます。

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ディエゴさんの決意を聞いた石坂さんは、「どこでどう調べたのか...(笑)」と驚きましたが、早速「ろうがんず」の皆さんにメールを送り、ディエゴさんの参加の意志を伝えてくださるとのこと。「みんなもすごく喜ぶと思いますよ。ディエゴさんが応募してくださることを心待ちにしております」とエールを贈ってくださいました。

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ディエゴさん、ぜひまたニッポンに遊びに来て下さいね!

続いては、「ニッポン里帰り応援団」。このコーナーでは、ニッポンから遠く離れた場所で暮らす日系人の方々をご招待し、家族の絆を繋いできました。

▼64年前に生き別れた兄に会いたい...アルゼンチンに住む佐藤昌弘さん

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世界遺産・イグアスの滝で有名なアルゼンチン北東部・ミシオネス州。約60年前、アルゼンチン最北の日本人移住地として開拓されたプエルトリコという町で暮らしているのが、こちらの佐藤昌弘さん。64年前の1955年、昌弘さんが8歳の時、父親が先に移住していた兄に「一緒に仕事をしないか」と誘われたことがきっかけで、北海道美唄から家族で移住。しかし、たどり着いた先は電気も水もないジャングルの奥地で、家族の生活は困窮してしまいます。

昌弘さんは高校卒業後、紅茶工場に勤務し、20歳で結婚。5人の子宝に恵まれますが、昌弘さんにはある心残りがありました。それは、生き別れた11歳年上の兄・幸一さんの存在。

アルゼンチンに移住することを決めた時、兄・幸一さんはすでに就職先が決まっていたため、たった一人で美唄に残りました。手紙のやり取りはしていたものの、30年前に母・サダ子さんが亡くなってからは、昌弘さんが日本語を書くことができないため音信不通に。遠く離れていてもいつも幸一さんのことを思い、心配していた母・サダ子さん。幸一さんに子どもが生まれた時には、写真を見て「(ニッポンに)行って抱きつきたい」と泣いていたそう。

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「ニッポンに帰りたい」と願いつつも果たせなかった母の夢を叶えるため、そして、母が「いつも幸一さんに会いたがっていたこと」「写真を眺めては幸一さんを思っていたこと」を伝えるため、昌弘さんをニッポンにご招待。

ところが、かつての故郷美唄に兄・幸一さんはおらず、幸一さんのことを知る人にもなかなか出会えません。多くの方々にお話を伺い、やっと幸一さんが23年前に勤めていた消防署を定年退職し、引っ越したという情報をつかみますが、今度はその引っ越し先が分からず、気落ちする昌弘さん。付き添いで来日した昌弘さんの息子・サンドロさんが、優しく父を励まします。

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ローラー作戦を続けていると奇跡的に親戚の方に出会うことができ、写真で兄・幸一さんに抱かれていた甥・浩幸さんと連絡を取ることができました。そして苦労の末、旭川で感動の対面を果たした昌弘さんと兄・幸一さん。幸一さんは、一目見ただけですぐに昌弘さんと分かったようです。

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昌弘さんが母・サダ子さんの思いを伝えると、幸一さんもサダ子さんから送られてきた写真を眺めては同じように家族に想いを馳せていたことを話してくれました。

翌日は、兄弟揃って故郷・美唄に向かい、思い出の場所を巡ります。その後は従兄弟にあたるお互いの息子を含めた4人で温泉に入り、兄弟で背中を流し合う一幕も。幸一さんと浩幸さんが住む旭川では、プレゼントされた浴衣を着て地元のお祭りにも参加しました。サンドロさんが盆踊りに夢中になっている間、2人は楽しそうに語り合い、長かった64年の時を埋めているようでした。

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あれから約1年...昌弘さんから幸一さんへ近況報告のビデオレターが届きました!

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ビデオレターで昌弘さんやサンドロさんに再び会えたことを喜ぶ、幸一さんと浩幸さん。

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ここでサンドロさんが「見せたいものがある」と、カメラを持って庭に出ました。そこには野菜や植物が少しずつ植えられていました。

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幸一さんと浩幸さんのご自宅にあった家庭菜園を見て始めたとのこと。そこには「兄弟で歩いた街並みに少しでも近づけたい」という昌弘さんの思いがありました。ニッポン滞在中、昌弘さんは毎朝幸一さんと散歩をしており、緑豊かな街並みを歩くのがとても楽しかったそう。

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サンドロさんの一番の思い出は「一緒に温泉に入ったこと」だそうで、家族4人水入らずの時間が印象深かったようです。

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今回は、サンドロさんが昌弘さんの孫にあたる自分の子どもたちを紹介してくれました。

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娘のマイアナさんと息子のニコラスさんは、いつかニッポンに行った時、幸一さんたちと話ができるようにと日本語を勉強しています。浩幸さんとは、日本語をローマ字にしてメールのやり取りを始めていました。

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昌弘さんとサンドロさんがニッポンに来たことによって、佐藤家の絆が再びしっかりと繋がりました。皆さんいつまでも仲良く、これからも家族の絆を育んでくださいね。

▼将棋を愛してやまないベラルーシ人小学生・エカテリーナちゃんを国民栄誉賞受賞の天才・羽生善治さんが応援!

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5歳から将棋を始め、当時、将棋歴3年の小学生であり、モスクワで行われた国際大会では9歳以下の部で優勝するほどの腕前だったエカテリーナちゃんを、約2年前にご招待。将棋の街・ 山形県天童市で行われている「人間将棋」に参加し、大喜びだったエカテリーナちゃん。ニッポンの小学生との対局も経験しました。

天童市にある「ほほえみの宿 滝の湯」では、「竜王戦」の対局の場として知られる「竜王の間」を見学させていただき大興奮! 東京・千駄ヶ谷にある将棋会館では、将棋界初の永世七冠を達成し、国民栄誉賞も授与された羽生善治九段から直々に将棋の手ほどきをしていただきました。

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▼相撲を愛してやまないポーランド人女子高生・アグニエシュカさんを、大相撲 佐渡ケ嶽部屋の大スターたちが応援!

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8歳から相撲を習い始め、当時、相撲歴10年であり、「65kg未満 軽量級」でヨーロッパチャンピオンになるほどの実力の持ち主・アグニエシュカさんを、約4年前にご招待。100年の歴史を持つ名門「立命館大学 相撲部」の稽古に参加し、同じ階級の「全日本女子相撲大会 軽量級」で7連覇を達成した日本女子相撲界の絶対的エースとも対戦しました。

千葉県松戸市では、大相撲 佐渡ケ嶽部屋の稽古を特別に見学。元関脇琴ノ若 佐渡ケ嶽親方、元大関琴欧洲 鳴戸親方、関脇琴勇輝、大関琴奨菊を前に大感激! 親方から直々にアドバイスをいただき、部屋の皆さんと一緒にちゃんこ鍋をいただきました。

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ご招待から3年後の2019年には、ポーランド代表として世界大会への初出場が決まり、再来日。結果は残念ながら予選敗退となってしまいましたが、アグニエシュカさんは「これからもっと経験を積んで次の世界大会にも出場したい」と話してくれました。

▼三味線を愛してやまないアメリカ人・ジャクリーヌさんを、憧れの世界的音楽家・吉田良一郎が応援!

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インターネットで吉田兄弟の津軽三味線の演奏を聴いて以来、三味線の虜になったジャクリーヌさんを、約4年前にご招待。和楽器の弦の約8割を生産している滋賀県を訪れ、絹糸作りや弦作りを見学。

浅草にある民謡酒場では、デビュー作が10万枚の大ヒットを記録した三味線界のレジェンド、吉田兄弟の兄・良一郎さんが、忙しいスケジュールの合間を縫ってやって来てくださいました。ジャクリーヌさんは、憧れの人の前で三味線を披露。さらに特別に、良一郎さんの生演奏を聴かせていただきました。

そして、今夜8時放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」は、【ニッポンにご招待したら人生変わっちゃった!SP】をお届け。

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▼神社仏閣を愛すポーランド人女子中学生
約3年前、ニッポンにご招待。その時には、世界最大級の木造建築である奈良県東大寺の大仏殿や、日本三大大仏の盧舎那仏に大興奮! さらに、奈良女子大学附属中等教育学校で学生たちと交流した。そんな彼女からビデオレターが。今新たに興味を持っているニッポンの文化とは? 驚きの報告も!

▼本物の焼きそばの作り方を学びたいハンガリー人男性
約1年前、ニッポンにご招待。その時には日本三大焼きそばの一つ、"横手やきそば"の名店「藤春食堂」で秘伝の焼きそばづくりを教わった。さらに、一緒に同行していた恋人にまさかのサプライズプロポーズをし大成功! そんな彼は現在華麗なる転身を遂げていた!

▼からくり人形の作り方を学びたいカナダ人男性
約3年前、ニッポンにご招待。江戸時代から約300年続くニッポンを代表するからくり人形師の九代・玉屋庄兵衛さんの元で作り方を学んだ。そんな彼の現在とは...?

どうぞお楽しみに!

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