借金35億円の理由を告白...さだまさしが「うらやましい!」と思った超大物アーティストOとは?:チマタの噺

公開: 更新: テレ東プラス

街の人への何気ないインタビュー映像をきっかけに、笑福亭鶴瓶とゲストがよもやま話を展開するトークバラエティ「チマタの噺」(毎週火曜深夜0時12分~)。6月23日(火)は、さだまさしが登場。

chimata_20200623_01.jpg【配信終了:6月30日(火)】動画はこちら

スタジオではソーシャルディスタンスをとり、2人の間にアクリル板を設置。さだに「オリンピックどうするの? 出るの?」と聞かれた鶴瓶は、聖火リレーに参加することを明かします。逆に鶴瓶が「オリンピック何か言われてるやろ?」と振ると、「走り幅跳びかな?」と涼しい顔でボケるさだ。スタジオは爆笑に。

40年来の付き合いがあるさだと鶴瓶。20代半ばで初対面した2人ですが、元々さだのファンだった鶴瓶が、メモに「ファンなんです」と書いてさだに渡したことから付き合いがスタートしたそう。そして、そのメモを見たさだが、鶴瓶がDJをしていたラジオ番組に乱入。鶴瓶は「(メモを)出したことが、40何年つらい目に遭うことになるとは...(笑)」と当時を振り返ります。

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28歳の時、「長江の最初の1滴を見たい」という思いから、ドキュメンタリー映画「長江」の製作に乗り出したさだですが、撮影が難航し、35億の借金を背負うことになってしまったそう。「借金っていうのはしんどいよねぇ」と話すさだですが、鶴瓶は「(さだは)辛いことがあると余計に奮起する」と分析します。

そんなさだの気になるチマタは、フォークデュオ時代の相方・吉田政美さん。今でこそソロシンガーとして活躍しているさだですが、実はグレープというフォークデュオでデビュー。デュオとしての活動期間は4年ほどでしたが、さだは「高校時代から一緒に音楽やってきた仲間だから、吉田がギター持ってくればすぐにでも再結成できる」と意欲的です。

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グレープ解散後は、サラリーマンとして映像・音楽のソフトメーカーで勤務している吉田さん。当時高校生だった吉田さんは、高額なため音楽スタジオを借りることができず、荒川の土手で練習していたとのこと。そこで、同じように練習場所に困っていたさだと出会ったと話します。

その後さだは大学生になり、体調不良で実家の長崎に帰郷。当時ギターの演奏で生活していた吉田さんでしたが、東京での仕事に違和感を感じ、さだがいる長崎へ。そのままさだの実家に住むことになり、さだの弟の部屋に1年いたそう。 実家で曲を書きためていたさだは、吉田さんに「一緒にやらない?」ともちかけ、自然な流れでデュオを結成しますが、どうにも声質が合わない2人だった...とのこと。吉田さんが「コーラスをしても全然気持ち良くないんですよ。綺麗じゃないんですよ。だから当時は、オフコースが羨ましくて...(笑)」と語ると、さだも「ほんとそうなのよ」と同調します。

「元々助っ人だと思っていた」と話す吉田さんは、「作るのも壊すのもまさしでいい。彼が1人でやれる判断をしたなら、まぁやればいいじゃん(という感じだった)」と、人気絶頂だったグレープの解散理由を明かし、「もう1回さだの音楽でビックリしたい!」とエールを送ります。さだも「あんなにギターがうまいやつ、僕の周りにはいなかった。天才的なギタリスト」と吉田さんを絶賛。

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お互いの音楽性に魅かれあい、学校が違うにも関わらず、バンドを組むことになった2人。吉田さんが東京の仕事をすっぽかして長崎に来た時も、本当は「『お前ふざけんな! すぐ仕事場に帰れ!』と言おうと思っていた」と語るさだですが、結局吉田さんの顔を見たら「風呂沸いてるから入れや」という言葉しか出なかったそう。実は「吉田が失踪した」という話を耳にし、さだはすぐ「あっ、長崎に来てるな」と思い、風呂を沸かしておいたと話します。

その他、憧れの先輩である小田和正との曲作り、成長した息子の話、さだの落語愛など、まだまだここでしか語ることができないエピソードが盛りだくさん!

この放送は、「ネットもテレ東」で、期間限定配信中です!次回は、山下真司が登場。どうぞお楽しみに!

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