メロンパンをこよなく愛するギオルギさんが緊急帰国? 嬉しい人生の一大事!:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時~)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

ギオルギさん、パン修業のために再来日!

これまでにご招待したニッポンを愛する外国人の方々は32ヵ国、166人! その中でニッポンにご招待した後、スゴイことになっている人を大追跡。今回は、2年前にご招待した"メロンパンを愛してやまない"ジョージア出身のギオルギさんをフィーチャーします。

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今から2年前、熊本にある「ふくやまベーカリー」で、福山満さんからメロンパンの作り方を学んだギオルギさん。

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ご招待をきっかけに、ギオルギさんはパン職人になることを決意。今年3月1日、「ふくやまベーカリー」で修業をするため、金融関係の仕事を1カ月お休みして再来日を果たしました。今回は、パン職人になるための修業ということで、福山さんも前回とは違って厳しい目でギオルギさんの仕事ぶりを見つめます。福山さんが借りてくれたお店近くの家に住み、毎日メロンパンの成形を練習し続け、1週間でメキメキと上達したギオルギさん。

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1ヵ月間でメロンパンをより美味しく作れるようになること、将来パン屋さんを開くために、多くの種類のパン作りを覚えることが目標です。

ニッポンのスーパーにも大感動! 買ったものは...?

修業9日目。この日も朝4時からパン屋さんの仕事がスタートします。この日はメロンパンではなく、あんぱんの包み方を教えていただくことに。ジョージアでも、大好きなあんぱん作りに挑戦していましたが、あんこが生地から飛び出してしまい、あえなく失敗。

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福山さんが作り方をチェックすると...。ギオルギさんは、多くの生地を持ち上げてあんこを包んでいたため反対側の生地が薄くなり、失敗していたことがわかりました。ポイントは、できるだけ生地を伸ばしながら包むこと。そうすることで上の面に生地が残り、あんこが飛び出さず、ボリュームのあるあんぱんになるのです。さらに、クリームパン、ジャムパンの包み方も教えていただきました。

その日の日記には、「あんぱんを包む時、生地を持つ手の形に気をつけなければならないと知ることができた」と書かれていました。そして今日覚えた日本語は...「くるみパンは美味しくできる可能性がある」。

仕事帰りの夕方。ギオルギさんが向かったのは近所のスーパー。スタッフがジョージアとニッポンのスーパーの違いを尋ねると、「(ジョージアも)だいたい同じようなスーパーですけど、ニッポンのスーパーはなんでもある気がします。夢があります」と、カップ麺がズラリと並ぶ棚の前で目を輝かせるギオルギさん。

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前回来日した時に気に入ったという大福、お目当てのカレールーを購入。ジョージアにいる時、ネットでカレールーを注文して作り、その美味しさに感動したそう。お肉はちょっと節約して鶏肉をチョイス。レジで会計をすると、店員さんから「『ふくやまベーカリー』で修業してるんですか? 頑張ってね!」と声をかけられたギオルギさん。地元ではすっかり有名人です。

帰宅し、早速カレー作り。何日か食べられるようにと、4食分のカレーを調理します。お肉と野菜を煮込んだ鍋に、分量も確認せずカレールーを1箱(12 食分)全部投入。スタッフが濃すぎないか心配しましたが、「この方が好き。味が濃くなって私の好みです」とのこと。さらに10分煮込めばギオルギさん特製!濃いめのカレーライスの完成です。

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よほど美味しかったのか、5分で完食!

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100点満点中82点の出来だそう。食後はお風呂に入り、お気に入りの大福を食べて午後8時に就寝します。

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疲労困憊なギオルギさんに、学生たちから嬉しいサプライズ

パン修業1日の主なスケジュールは...。

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大好きなパン作り中心の生活を送っているとはいえ、徐々に疲れが見え始めたギオルギさん。休憩時間は少しぐったり。

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翌朝は、起床時刻の3時を過ぎてもなかなか起きることができませんでした。2度寝をし、急いで朝食を済ませ、3時58分にギリギリの出勤。早朝からのパン修業と、慣れない異国での生活で疲労はピークに達していました。そんな中、店頭で接客していると「頑張ってください」とお客さんが声をかけてくれます。さらに、「ふくやまベーカリー」の近くにある、熊本県立岱志(たいし)高等学校(美術工芸コース)に通う生徒さんたちが、あるモノを持ってやってきました。

あるモノとは...小さな焼き物1枚1枚に絵を描き、それらを組み合わせて作ったギオルギさんの似顔絵!

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10人以上の生徒さんで1週間かけて作ったそう。今は修業中なのでヒゲを剃っていますが、似顔絵は、ジョージアでのギオルギさんの姿にそっくり。「みんな私のことを応援してくれて、本当に嬉しい。恩返ししたいから本当に頑張ります」と再び元気が出たようです。

古くから伝わる陶器・小代焼の職人技を体感

休日。福山さんご夫婦が、ギオルギさんを荒尾市などで古くから伝わる陶器・小代焼(しょうだいやき)を取り扱う「小代焼ふもと窯」に連れて行ってくださいました。小代焼とは、鉄分が多い小代粘土を使った400年の歴史を持つ陶器のこと。福山さん、ギオルギさんに気分転換してもらいたかったようです。

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その日の日記には、「今日は小代焼を見ました。素晴らしいところでした。簡単そうに見えたけど絶対にできない職人技でした。やっぱりニッポンの職人さんはスゴイです」と書いてありました。そして今日覚えた日本語は「粘土」。

地元の新聞がギオルギさんを取材!

ニッポンの伝統文化に触れ、リフレッシュしたギオルギさん。休みが明け、成形の練習に励みます。焼き上がりをチェックした福山さんは、「あんぱんもクリームパンもうちの店で出していいような出来だから、"僕が作ったパンです"ってお客さんにあげたら?」とアドバイス。練習を始めた頃に比べ、あんぱんはふっくらとした焼き上がりに!

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クリームパン、ジャムパンも中身が飛び出さず、この出来栄え。

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お客さんに無料で配布すると、「美味しい!」と好評でした。福山さん、荒尾市の皆さんに支えられ、着実にパン職人の道を歩んでいるギオルギさん。そんなある日、地元の新聞社がギオルギさんの取材にやってきました。後日発行された新聞記事には、「彼には素質がある。彼だったら私のパンを作ってくれると確信した」という福山さんの嬉しいコメントが! ギオルギさんの頑張りを福山さんも認めてくださっていたのです。

風味豊かな「ふくやまベーカリー」の食パンに感動!

修業13日目。福山さんから嬉しい提案がありました。「ニッポンの食パンを教えます。食パンはまだ作ったことないでしょ?」。実は再来日した際、「ニッポンのパンは全部好きなので、できれば全部学びたい。特に食パンとか...。一番普通に見えるんですけど、一番面白いと思います」と話していたギオルギさん。この提案は、願ってもないチャンスでした。

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ギオルギさんが、高級食パンの「高級」の意味が分からないと尋ねると、「普通の食パンの倍以上バターが入っています」と福山さん。「ふくやまベーカリー」の食パンは、通常の2倍以上ものバターを使用。風味豊かなこだわりの逸品です。

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「おいしい食パンを作るところにはそれなりの職人さんがいます。菓子パン生地は他の具材を入れるからごまかせるけど、食パンは生地そのものを食べるから。私も一番勉強になる」と話す福山さん。おいしい食パンが作れるようになれば、パン職人として一人前です。

食パンで最も注意するのは生地づくり。中でも重要なのは生地の温度と発酵時間で、わずかな温度の違いによって、発酵のスピードが変化します。28℃だと約1時間発酵させますが、それ以上の温度の場合、発酵時間を微調整しなければなりません。その見極めを誤ってしまうと、発酵しすぎて弾力のないパサパサしたパンになってしまうのです。

発酵具合を決めるのは職人の感覚。これができないと一人前のパン職人とはいえないそう。そしてこちらが、ギオルギさんが福山さんに教わりながら作った初めての食パンです。

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果たしてそのお味は?

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「普通の食パンと違う匂いがしますね。おいしい! 他の食パンと比べたら味が違います。バターの味が強い。何もつけなくても大丈夫」とギオルギさん。ここで福山さんから「ギオルギさんがせっかく来てくれたから(ジョージアの)ハチミツを使って、一緒に作ってみましょう。私もハチミツを入れた食パンを作ったことがないから...」と提案が。福山さんは、ギオルギさんが開く店のオリジナル商品として「(ジョージアの)ハチミツ」と「ふくやまベーカリーの食パン」を組み合わせた新しい食パンを作ることを考えてくださったのです。

実はギオルギさん、来日した際にジョージアで大人気の「クルミ入りハチミツ」を福山さんにプレゼントしていました。

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ジョージアは紀元前からハチミツの生産が盛んで、「ハチミツの故郷」ともいわれています。また、ハチミツは長生きの秘訣といわれ、ジョージアでは、毎日大さじ1杯をそのまま食べる習慣があるそう。試しに、福山さんの食パンにクルミ入りハチミツつけて食べてみると...。

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「本当においしい。子どもの時に、よくこういうのを食べていました」と満足そう。「今度はハチミツを入れて仕込んでみましょう。どういう味になるか!」と福山さん。

その日の日記には「今日は新しく食パンを学んだ。ハチミツ入り食パンを早く作りたいです」と書かれていました。今日覚えた日本語は...なぜか「おしりたんてい(笑)」。

人生の一大事で、ギオルギさん、急遽帰国

仕事が終わったギオルギさん、ジョージアにいる妻・タムタさんに電話します。

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「仕事はどう?」と聞くタムタさんに、「すごく大変だね。毎日少しずついろんなことを勉強しているよ」と答えます。すると突然ギオルギさんが外へ...。タムタさんに、テレビ電話で家の近所の風景を見せてあげたのです。タムタさんは、初めて見る異国の景色に感動している様子でした。

「何日も2人で話せなかったから、喜んでくれてる。話せてよかった!」とギオルギさん。タムタさんから大きなパワーをもらいました。その日の日記には、「ちょっと疲れてたけど、奥さんと久しぶりに話せてよかった。元気になった」、今日覚えた漢字「奥さん」と書かれていました。

ニッポンにやってきて15日目、修業の折り返し地点となったこの日。店が落ち着いた午後1時、
ギオルギさんが福山さんのもとへ。ギオルギさんが「福山さんちょっといいですか? 実は私と奥さんに子どもができるんです」と話すと、「おめでとう! よかったね」と福山さん夫妻も祝福。

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実は昨日の電話で、ギオルギさんはタムタさんから「出産が早まる」との報告を受けていました。「お店のことはいいから早く帰ってあげて!」と福山さん。

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福山さんの優しい計らいによって修業は一時中断し、急遽帰国することになりました。

福山さんのもとに、ギオルギさんからビデオメッセージが!

あれから2ヵ月後。福山さんのもとにビデオメッセージが届きました。「福山さんお久しぶりです。お元気ですか? 私は元気です」と話すギオルギさんは、再び立派なヒゲをたくわえた姿に!

「福山さんに教えたいことがありますので、このビデオレターを送ります。福山さん、この前子どもが無事に生まれました」と言うと、奥さんのタムタさんが生まれたばかりの赤ちゃんを連れてきてくれました。

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「名前はマルタと言います。小さくてカワイイでしょ?」。赤ちゃんを見ると福山さんたちも満面の笑顔になり、「おめでとうございます。よかったね。あぁかわいい! 丸々してる」と嬉しそう。帰国から1ヵ月後、ギオルギさんに長女・マルタちゃんが誕生していました。「私たちに孫ができたように、主人と喜んで見ています」「会って抱きしめてやりたい」と、福山さんご夫婦も喜びを口にします。

「ジョージアはコロナのせいですごく大変な状況になりました。ニッポンも大変ですよね」とギオルギさんのメッセージは続きます。ジョージアもニッポン同様、新型コロナウイルスの被害が大きく、様々な規制が敷かれているそう。そんな状況でも、福山さんから教わったことを忘れまいと、ギオルギさんはパン作りに励んでいるといいます。

「修業は途中で終わってしまいましたが、また戻って早くハチミツ入りの食パンを作りたいです。食パンに合うハチミツをニッポンに持っていきます。また早く会えますように...」最後にそう結ばれたギオルギさんのビデオメッセージを見て、福山さんも「待ってますよ。できるだけ早くコロナが終わって、(ニッポンに)来てもらうことを望んでます。コロナに負けないように一生懸命私も頑張ってるから、ギオルギさんも一生懸命頑張って早くニッポンに来てください。待ってます!」と答えます。福山さんが、大事な弟子の帰りを心待ちにしている様子が伝わります。

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ギオルギさんが再来日できる日を、スタッフ一同、心よりお待ちしています。そして今回もお世話になった皆様、本当にありがとうございました!

約4年前にご招待した「和菓子を愛する」チェコの女子高校生だった・エリシュカさんも再来日。実はニッポンご招待後、さらに和菓子日本文化に興味を持った彼女は大学で1枠しかないニッポンへの留学を勝ち取り、京都府・立命館大学に通うことになっていました。エリシュカさんが、留学の報告と新作の創作和菓子を渡すため、お世話になった「老松」を訪問すると、皆さん大感動。「留学中、いつでも和菓子を学びに来てください!」とありがたいお誘いを受け、エリシュカさんは再び「老松」で和菓子を学ばせていただけることになりました。

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さらに、約3年前にご招待した「かつお節を愛する」アメリカ人男性・ケンから感謝のビデオレターが。ニッポンご招待時、静岡県西伊豆町・創業138年の老舗である「カネサ鰹節商店」を訪問し江戸時代から続く幻の製法で作るかつお節作りを教わったケンさん。あれから3年...ケンさんが作るかつお節は驚きの進化を遂げており、さらに彼が執筆した記事「かつお節の物語」は、アメリカで最も権威がある食の専門誌に掲載されていました。

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そして、今夜8時放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団 3時間スペシャル」の内容は...。

<特別企画>ニッポンにご招待したらスゴい人が応援してくれちゃった!SP

▼将棋を愛してやまないベラルーシ人少女を国民栄誉賞受賞の天才・羽生善治さんが応援!
5歳から"将棋"を始め、当時将棋歴3年の小学生であり、モスクワで行われた国際大会では9歳以下の部で優勝するほどの腕前だった彼女を約2年前にご招待。将棋の街 山形県天童市で行われている人間将棋に参加し、大喜び! ニッポンの同年代の小学生との対局も経験。天童市のホテル 滝の湯 では、プロ将棋界の頂点とも言われるタイトル戦・竜王戦の会場に使われてきた「竜王の間」を見学させてもらい、大興奮! 千駄ヶ谷にある将棋会館では、将棋界初の永世七冠を達成し、国民栄誉賞も授与された羽生善治九段から直々に将棋の手ほどきをしていただいた。

▼相撲を愛してやまないポーランド人女子高生を大相撲 佐渡ヶ嶽部屋の大スターたちが応援!
8歳から"相撲"を習い始め、当時相撲歴10年であり「65kg未満 軽量級」でヨーロッパチャンピオンになるほどの実力の持ち主であった彼女を約4年前にご招待。100年の歴史を持つ名門・立命館大学相撲部の稽古に参加し、全日本女子相撲大会軽量級で7連覇の日本女子相撲界の絶対的エースとも対戦。千葉県松戸市では夢だった大相撲 佐渡ヶ嶽部屋の稽古を特別に見学。元関脇琴ノ若 佐渡ヶ嶽親方、元大関琴欧洲 鳴戸親方、関脇琴勇輝、大関琴奨菊を前に感激。親方から直々にアドバイスをいただき、部屋の皆さんと一緒にちゃんこをいただいた。

▼三味線を愛してやまないアメリカ人女性を憧れの世界的音楽家・吉田良一郎が応援!
インターネットで津軽三味線の吉田兄弟の演奏を聴いて以来、"三味線"の虜になった彼女を約4年前にご招待。和楽器の弦の8割を生産している滋賀県で絹糸作りや弦作りを見学。浅草にある民謡酒場では、デビュー作が10万枚の大ヒットを記録した三味線界のレジェンド吉田兄弟の兄・良一郎と対面し、大感激。憧れの人の前で三味線を披露させてもらい、さらに特別に生演奏を聴かせていただいた。

▼タミヤを愛してやまないアルゼンチン人男性を大河ドラマ常連の大御所俳優・石坂浩二が応援!
6歳の時に祖父に買ってもらったことをきっかけに"タミヤの模型"の虜になった彼を約2年前にご招待。37年間夢見たタミヤ本社を訪問し、憧れの存在・田宮俊作会長と面会。「世界一タミヤの模型に情熱を持っている、一番のファン」とのお墨付きを頂いた。京都観光の予定をキャンセルし、毎日7時間、2週間以上かけてタミヤ専門ショップで模型作りを一から勉強。そして約1年前に再来日! 世界最大級の模型の祭典、静岡ホビーショーのために1年間休みなく働き資金を貯めた彼は横浜のタミヤ専門ショップで模型愛好家であり俳優・石坂浩二と模型話で意気投合。念願の静岡ホビーショーではお世話になったタミヤの皆さんと再会を果たし、石坂浩二主催「ろうがんず」の一員としてブースに作品を出展させていただいた。

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ご招待から約2年、再来日から約1年、そんな彼から石坂浩二へ感謝と近況報告のビデオレターが! 今はあるコンテストに向けて頑張っているという。その内容とは...?

<特別企画>遠く離れた家族の絆をつなげたい!ニッポン里帰り応援団

▼64年前に生き別れた兄に会いたい日本人男性
世界遺産イグアスの滝で有名なアルゼンチン北東部、ミシオネス州。約60年前、アルゼンチン最北の日本人移住地として開拓された地域に暮らす彼。1955年、64年前に父が先に移住していた兄に仕事を誘われたことがきっかけで小学3年生8歳の時に北海道美唄から家族で移住。しかし、たどり着いた先は電気も水もないジャングルの奥地であり、生活は困窮することに...高校卒業後、紅茶工場に勤務し、20歳で結婚。5人の子宝に恵まれたが彼にはある心残りがあった。それは生き別れた11歳年上の兄の存在...そして来日した彼に感動の結末が...。

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ご招待から約1年、彼から兄へ近況報告のビデオレターが! アルゼンチン帰国後、始めたことがあるそう。それは一体?

どうぞお楽しみに!

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