夜回り先生こと水谷修が魂のリモート授業。親がいつまでもパジャマはNG! 「子どもたちもいい加減になる」

公開: 更新: テレ東プラス

名門校はなぜ、長きに渡り名門校でい続けることができるのか...。歴史や校風、卒業生のネットワークまで、名門校の知られざる姿を通してその秘密に迫。MCに登坂淳一角谷暁子(テレビ東京アナウンサー)、解説におおたとしまさを迎え、「名門とはいったい何か?」常識を打ち破る教育現場に密着する。

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今回紹介する名門校は、「神奈川県立横浜翠嵐高校」。わずか20年で東大合格者数を1人から26人にし、今や名門私立校に迫る勢いだ。昭和を代表するゲーム「ゼビウス」を開発し、ゲームの神様と称される遠藤雅伸さんや、歌人の水原紫苑さん、千葉大学ハドロン宇宙国際研修センターのセンター長・吉田滋さんなど、多彩な人材を輩出。「夜回り先生」として青少年と向き合う水谷修さんも翠嵐出身だ。

そこで「テレ東プラス」では、番組にゲスト出演した水谷先生をフィーチャー。おうち時間が増える今、家庭で実践して欲しい"愛のリモート授業"の様子も合わせてプレイバックする。

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独自の教育論を自ら実践してきた水谷先生。昭和50年に翠嵐を卒業後、上智大学を経て高校教師に。夜の繁華街をパトロールし、少年少女と向き合う「夜回り先生」と呼ばれ、現在は花園大学社会福祉学部臨床心理学科の客員教授、「水谷青少年問題研究所」の所長を務める。

水谷先生が翠嵐に進学した理由を尋ねると、「理由は簡単です。貧しかったから」。母子家庭で、小学校時代から貧しい生活をしていたという水谷先生。「成績は良かったので、中三の時に"公立ならどこでも行ける"と言われました。湘南高校と翠嵐高校を候補に上げられたけど、問答無用で翠嵐を選んだ。湘南はハイカラなイメージがあって、馴染まないような気がして...(笑)。当時、東横線沿線で真面目に勉強した貧しい子たちはみんな翠嵐でした」と振り返る。

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水谷先生といえば、「夜回り」。夜の繁華街を自らパトロールし、非行の防止や更生に取り組んでいる。

翠嵐高校に入学した頃、左翼の活動をしていた水谷先生。「とにかくこの国を貧しい人がいない幸せな国にしたかった。社会を変えるには体制を変える。だけどその体制が気に入らない人間がいる。だったら高校の教員になろうと。僕の教え子たちが、貧しい人が苦しむ社会はダメだと気づき、その子たちがまた気づく人を作っていく。そしていつか日本中を、世界中を気づいた人たちで埋め尽くしたら、一人も涙を流さない良い国になる」との思いから、教員という道を選んだ。

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こちらは、現役時代の水谷先生。当時の校風はバンカラだったというが、この頃の水谷先生はもはや伝説扱いになっていたそう。ためにならないと判断した授業はサボっていたという。「別に何も言われなかったですね。(授業は)教員と生徒、五分と五分の勝負でしたから。逆に絶対サボらなかった授業もある。そういう授業は、余分に受けたりもしました。他の授業をサボって廊下で聞いたり...」と水谷先生。

また、水谷先生の時代は、人前で勉強することが"恥"だったという。「勉強してないふりをして、学校帰りに横浜駅近くのコーヒー店で政治や哲学を語る。そして夜8時になると、走って帰るんです。コーヒー店で話していたロスの時間を取り戻すために、夜中まで勉強する」と当時の美学を語る。

今回は特別に、水谷先生がリモート授業を開講。家族で過ごすことが多い今だからこそ伝えたい、水谷先生魂の授業とは?

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「両親も子どもも家にいることが多い今だからこそ、家庭を"名門"にしてほしい。名門といっても血筋やお金持ちかどうかではなく、大事なのは家庭に"伝統"を作ること。例えば仕事が休みだからといって、遅くまで寝ていてパジャマでご飯を食べたり、いい加減な生活をしていると、子どもたちもいい加減になる。それを規則正しく、朝の挨拶をして、食事の時は洋服をきちっと着て、親は親の仕事、子どもたちは勉強を...。そういう家庭内での伝統を作れば、短期間で上手くいきます。なぜなら、(共働きの家庭であれば)普段は夜しかいないのに、今は一日中(親子で)一緒にいられるわけですから...。今こそ、家庭を名門に!」と水谷先生。

この放送は、「ネットもテレ東」で期間限定配信中です!

そして、明日よる9時放送! 「THE名門校!日本全国すごい学校名鑑」(BSテレ東)では、ブランド校「成城学園」の秘密に迫る。都内有数の住宅街にある「成城学園」。なぜ芸能人や著名人を数多く輩出しているのか? 出身者の俳優・石黒賢AKB48のメンバー武藤十夢とともにそのヒミツを探っていく。

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成城がブランド校として君臨し続ける理由に徹底した「個性重視」の思想が根強くある。自由すぎるスクールライフに教師と生徒との「平等な関係」。初等学校では生徒が教師を何とあだ名で呼ぶほど。その根底には創立者澤柳政太郎による当時ではありえない「個性重視」の理念が100年前から続いていた。なぜ澤柳は大正という時代にこうした理念を掲げるに至ったのか?

また、「成城」といえば都内有数の高級住宅街である。なぜ雑木林の土地が一等地に変貌を遂げたのか? そこには街づくりから見た名門校の作り方があった!

【ゲスト】石黒賢 武藤十夢

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