みなもと太郎先生に聞いた! 貸本漫画のほんとのオススメは、これだ!

公開: 更新: テレ東プラス

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漫画家であり、日本漫画史の貴重な証言者でもある、みなもと太郎先生。著書の『マンガの歴史』(岩崎書店)は、あふれる漫画愛と膨大に蓄積された漫画の知識、そして漫画家として培ってきた経験・体験が盛り込まれ、"これだけ読めば60年代までの日本漫画史はコンプリできる!"という貴重な資料に仕上がっています。

そんなみなもと先生の原点となるのが、昭和20年台末~40年前後にブームだった"貸本漫画"の世界。さいとう・たかを白土三平松本零士、つげ義春などそうそうたる巨匠たちが活躍した貸本漫画界は、その後の漫画業界の発展に大きな影響を与えました。

今回は、そんな貸本漫画の中から「マストで読むべし!」な漫画家を、みなもと先生に教えていただきました。

※以下、敬称略

圧倒的画力の天才・平田弘史

manga_20200403_01.jpg▲平田弘史の代表作『血だるま剣法』(日の丸文庫 1962年刊)。長らく入手困難だったが2004年に青林工藝舎によって復刻版が出版される

みなもと:平田弘史は戦後の日本漫画の画力レベルを一気に押し上げてしまった人。ほかとはまるっきりレベルが違う。歴然としています。戦前から活躍していた漫画家のうち、この画力に匹敵する人はほぼいません。手塚治虫水木しげるだけは漫画家として卓越しているのでまた話は別ですが。

manga_20200403_02.jpg▲目の前で見ているかのようにリアルな切腹シーン

みなもと:平田がすごいのは、ルーツが謎なんです。普通は過去の漫画の影響が見えるものですが、平田はデビューからこの作風。とても映画的な運びですが、映画だけ見ていてもこうはなりません。漫画を読み込んでいないと絶対に描けない構図とコマ割りなのに、それが誰の影響なのかわからない。ただひとりで、いきなり誰にも描けない境地に到達した。切腹シーンの凄みも圧巻でした。漫画で切腹シーンが初めて登場したのは、おそらく平田作品です。唯一無二の存在です。

<プロフィール>
平田弘史
1937年、東京生まれ。1958年、設備会社の作業員から漫画家へ転身。迫力ある画とダイナミック且つ個性的なストーリーで独特の世界観を展開。

恐るべき才能・矢代まさこ

manga_20200403_03.jpg▲みなもと先生が生まれて初めて購入した貸本は、矢代まさこの『ピーナッツを一粒』

みなもと:私が生まれて初めてお金を出して買った貸本は、矢代まさこです。それまでにも手塚やさいとう・たかを、平田弘史などの天才に出会ってきましたが、そういった人気作家の作品は、古本で入手していました。当時、貸本雑誌を新刊で買うのは、業者かよほどのマニアだけ。普通のファンは、目的の漫画が古本屋に下りてくるのを待つのです。少女漫画は部数が少ないため古本が探しにくい、ということもありますが、なにより「一刻も早くこの作品を手元に置きたい」という気持ちでした。

矢代まさこの登場で、前時代が完全に終わってしまった。それまでの漫画手法が古くさく感じ、まったく通用しなくなる。それくらい、表現が斬新でした。萩尾望都も多大な影響を受けており、デビュー当時の作品は、矢代の影を強く感じるものが見られます。

詩的なモノローグ、絵画のように瞬間をとらえた画、漫画でなければできない大胆かつ複雑な構図、映画のような時間経過の表現など、矢代によって発明された手法は数多くあります。加えて、登場人物の心理描写が大変繊細で奥深い。

manga_20200403_04.jpg▲それまでの漫画にはない大胆な構図。この当時、矢代は十代の少女だった

みなもと:テーマも新しく、代表作の『ようこシリーズ』では、ファッション、ミステリー、ホームドラマ、メルヘン、社会問題など、のちの少女漫画で扱われるありとあらゆるジャンルが、すでに開拓されています。

manga_20200403_05.jpg▲みなもと先生は入手困難な『ようこシリーズ』をコンプリート

みなもと:矢代の作品と出会った当時私は17歳で、矢代はすでに巨匠として活躍していました。当然年上のベテランだと思っていたのですが、プロになって、23歳のときに漫画賞のパーティで出会ったら、なんと同い年。つまり18歳やそこらで、あの名作群を描いていた。矢代の才能の恐ろしさを、再認識させられた日でした。

<プロフィール>
矢代まさこ
1947年、愛媛県出身。少女漫画黎明期の天才・新城さち子に私淑し、1962年、弱冠15歳でデビュー。全28巻の『ようこシリーズ』が人気に。その後一般誌に移行し、叙情的な作品を多く残す。現在、ほとんどの作品が入手困難。

「それでも生きる」を描いた夭折の漫画家・楠勝平

manga_20200403_06.jpg▲楠勝平の貸本時代の単行本

みなもと:日本の漫画界で、もっとも高度な哲学的内容を内蔵している作家は、楠勝平だと思います。死生観的哲学が借り物ではなく、自分の中からにじみ出ている。その1点においては、彼の師である白土三平をしのぎます。

manga_20200403_07.jpg▲扉の大胆な構図がデザイン画みたいで格好良い!

彼の作品を山本周五郎のようだと評する人がいるけど、「一緒にすんじゃねぇ」と言いたい(笑)。周五郎原作の黒澤映画『どですかでん』は、貧しく悲壮な街が舞台ですが、そこにはすべてを悟り、街の人を優しく見守る「たんばさん」という人物が出てきます。しかし楠の漫画は、"たんばさんのいない『どですかでん』"なのです。

考えたら、人生はそんなもの。都合よくたんばさんがいてくれるわけがない。作家が描くべきは、たんばさんのいない世界で、どう生きるかなんです。「欲も得も、なんの救いもなくても、人間は死ぬまでちゃんと生きるんだ」というのが、楠の漫画です。

manga_20200403_08.jpg▲『彩雪に舞う...―楠勝平作品集』(青林工芸舎)は、古書市場でプレミアがついて現在1万円前後

彼は若い頃から心臓を煩っていたこともあり、「どう生きた証を残すのか」というのが登場人物たちのテーマになっている。どの登場人物もほとんど救いがない、でも確かに生きているんです。そこをきちんと描いているのは楠しかいない。日本の青年漫画というジャンルにおける、最高峰。私の中では不動の存在です。

<プロフィール>
楠勝平
1944年生まれ、東京都出身。白土三平の元でアシスタントをしたあと、1960年デビュー。市井の人々の日常を描いた繊細且つ深みのある作風で知られる。わずか30歳で夭折。

【プロフィール】
みなもと太郎さん
漫画家。1967年『別冊りぼん』(集英社)の『兄貴かんぱい』でデビュー。1968年に作画グループに入会、日本の漫画同人界の礎を作る。『週刊少年マガジン』(講談社)連載の『ホモホモセブン』がヒット。2004年に代表作『風雲児たち』(リイド社)で手塚治虫文化賞特別賞を受賞。

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