宮藤官九郎がオファーの際に重要視するのは企画、枠、人? 野木亜紀子のテーマの決め方は?:コタキ兄弟と四苦八苦

公開: 更新: テレ東プラス

ドラマ24「コタキ兄弟と四苦八苦」(毎週金曜夜夜0時12分放送)、夢の競演を果たしている野木亜紀子宮藤官九郎。野木は脚本家として参加、宮藤は物語のキーマンとなるコタキ兄弟の先輩レンタルおやじ・ムラタを演じているが、お互いにファン同士というふたりは、脚本家として今何を思うのか? また売れっ子ならではの悩みとは? 自身の今後の展開は?「前編」に引き続きドラマファンならば唸ること請け合いの、貴重なお話をどうぞ!

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「言って伝わるなら言った方がいい。偉かろうが何だろうが知らねえや、って」

──そもそもの話なんですが、おふたりはこれまで面識があったのですか?

野木「きちんとお話ししたのはコタキ兄弟の現場でお会いしてからです。それとちょうど1週間くらい前に(取材は2019年12月末)、飲み屋さんでお話する機会があって。その時に『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)についてちょっと熱く語りすぎました(笑)。(NHK大河ドラマ)『いだてん~東京オリムピック噺~』の話も」

──宮藤さんは2000年の「池袋ウエストゲートパーク」(TBS系)の脚本で注目され、野木さんはその10年後の2010年にデビュー。どのあたりから、自分の意見を言えるようになるものなんですか?

野木「私は最初から言ってました。デビューしたのが35歳をすぎてと、遅かったもので」

宮藤「えっ!? そうなんですか? なんか、ずっと活躍されてる印象があるから」

野木「私は映画の専門学校出身で、卒業後は制作会社でドキュメンタリー番組をやっていて。脚本家を目指してからはバイトや派遣社員をしながら、フジテレビの『ヤングシナリオ大賞』に応募していたんですね、6年間くらいずっと。遅いデビューでもう後がないし、ドキュメンタリー時代はディレクターもやっていたので、言って伝わるなら言った方がいいなと。(相手が)偉かろうが何だろうが知らねえや、って」

kotaki_20200227_02.jpg第5話「五、愚慮弄苦」では、喫茶シャバダバの看板娘さっちゃん(芳根京子)が泥棒!?

──(笑)。宮藤さんの「池袋~」からのTBS一連のドラマ、野木さんとは「空飛ぶ広報室」(TBS系)などをご担当された磯山晶プロデューサー(TBS)は、「野木さんは"闘う脚本家"だ」と表現されていました。

野木「おっしゃってましたね。別に闘いたくはないんですけど、闘わざるを得ない時ってありません? ドラマをよくするためならいいんですけど、"何だかよく分からない何か"によって変更を余儀なくされそうな時とか──」

宮藤「......あ、ゴメンナサイ、聞いてなかったです。嘘です(笑)。ありますよね、確かに。
"よく分からない何か"って」

野木「(笑)、ドラマをよくしようという同じ思いで話し合っている時でも、思ってることがそれぞれ違ったり。かと言って偉い人の前で物おじして、言いなりで書いても話がブレるだけだし、面白いものにはならないよなあって」

宮藤「僕の場合、最近はなるだけ闘わないでいいように、『ここは、こう思われないようにこうしよう』って先回りして分かりやすく書いたり、変に気を遣ったりして。それはそれでイヤだし、そうなり過ぎる怖さもありますけど」

野木「わかりあうために必要な手間ってありますよね。気を遣うバナシで言うと、私は相手に過剰に気を遣われるとやりづらいです。何でも言うことを聞いちゃう人たちが相手だと、不安になるというか」

宮藤「打ち合わせで発言しない人は分かってくれてる人だと、どこかで思ってたんだけど、逆の方が多いですよね。発言しない人ほど、言わなきゃ分からない、伝わらない人なんだって、最近は」

野木「分かったような顔で聞いているけど分かってないパターン!」

宮藤「分かってなくて発言する人には分かるように言えばいいから、そっちの方が付き合いやすいですよね。『問題ないです』とか言う人で結果上手くいった場合はそれでいいんですけど、上手くいかなかった場合は『なんだよ~、あの時、黙ってたくせに!』......と、怒りが2乗になる(笑)」

野木「みんなが心の中で"なんか違うな""これどうなんだろう"と思っているまま進むのって一番怖いですよね」

宮藤「あと最近は自分が年上であることが当たり前になりつつあるので、若い人たちとどう付き合っていくのか、とか。新しい若い人ともやりたいんですけど、どこまで(意見を言って)大丈夫か? 力加減が難しそうだし。若くて熱い人ならいいんですけど」

野木「『負けないぞ!』っていう意識で来てもらえるといいですよね。少し疑った方がいいよ? みたいな」

kotaki_20200227_03.jpg第5話より。一路(古舘寛治)がさっちゃんを改心させる為にとった行動が二路(滝藤賢一)を混乱させることに。

「最近、脚本家になったのが35歳でよかったな、って思う」

──そういうおふたりが若かりし頃のお話なんですが、宮藤さんは、あるインタビューで「大学2年生の頃に(劇団)大人計画に入って、この歳になった。だから10代の頃にやりたかったこと、表現したいと思ったものを、そのままやっているんだと思う」というようなことをおっしゃっていて。

宮藤「そうですね。バイトもしていましたが、なんとなーく食えるようになった20代半ばから、劇的な変化がないままこの歳になって」

── 一方の野木さんは、就職をされて、35歳を過ぎて脚本家デビュー。宮藤さんで言う「やりたかったこと、表現したいと思ったもの」は何になるんですか?

野木「私の場合、挫折人生だったので」

宮藤「デビュー前は会社勤めをされてたんですよね?」

野木「"35歳までに入賞できなかったらもう後はない"と映像関連の仕事を一度辞めて、『ヤングシナリオ大賞』に応募し続けて、やっと受賞できて。その間はバイトとか、派遣社員として食いつないで。月末になると、"わ~金ねーな"......っていう。だから無職の(コタキ)兄弟の気持ちがよく分かるんですよ(笑)」

宮藤「昔からドラマは好きだったんですか?」

野木「映画学校に通っていたので、映画ばかり観ていたんですけど......それこそ『映画の日』は1日5本観られるようにスケジュールを組んで行ったり、名画座にも行ったり。年間で250本近く、劇場で観ていて。でも、社会人になると、映画館に行く時間がなくなるじゃないですか?」

宮藤「そう......でしょうね、きっと。就職したことがないから分からないけど(笑)」

野木「あんなに好きだった映画館に足を運ぶ時間も余裕もなくなっちゃって、ドラマを見るようになったんです。たまの休日はワインとか買って、録画していたドラマを朝から晩まで見るのが唯一の幸せ、みたいな。娯楽の摂取をしていました。

で、時期的にはちょっとズレますけど、その頃出会ったのが、宮藤さんと磯山さんコンビの『池袋ウエストゲートパーク』で。"なんじゃこりゃ~!?"と衝撃を受けて、当時でもあまり見かけなかったD-VHSに録り溜めてましたね(笑)」

kotaki_20200227_04.jpg第6話「六、世間縛苦」は、タワマンのホームパーティのゲストとして出張レンタル。

──高画質で録画できる代わりめちゃくちゃ高価でしたが(2000年当時、専用のビデオデッキが10~20万円ほど)、何度も見返したくなるドラマでしたからね、その気持ちはよく分かります。

野木「普通のVHSよりも長時間録画できたので、奮発して。ドキュメンタリーの制作会社でADとかやってた頃です。『今、宮藤さんとお話をしているよ!』と、20代だった自分に言いたいです」

宮藤「いやいやいや(恐縮)、ありがとうございます」

野木「最近、脚本家になったのが35歳でよかったな、って思うんですよ。その頃の蓄積があるから今、書けている気がする。

宮藤さんで言う"10代の頃にやりたかったことを書いてる"というのを私でいうと、脚本家になる前の私が抱いていた"視聴者としての思い"かもしれない。この原作でどうしてこうなっちゃったの? この妥協の塊みたいなドラマはどうしてできちゃったの? ってドラマに出会うと、『私ならこうするのに!』って思ってた(笑)。それで今、私ならこうするをやっている。実際に渦中に入ってみると、言うほど簡単なことじゃなかったですけどね」

「『どれか絞りなさい』と言われたら......やっぱ脚本だな」

kotaki_20200227_05.jpg第6話より。二路の前に別居中の妻が現れ大ピンチ!

──宮藤さんは『池袋ウエストゲートパーク』を経て、『木更津キャッツアイ』(TBS系)、『ぼくの魔法使い』(日本テレビ系)、『マンハッタンラブストーリー』(TBS系)など執筆。2005年公開の映画『真夜中の弥次さん喜多さん』で初めて監督に挑戦されるわけですが、野木さんは監督業に興味はありますか?

野木「学生の時は監督志望で、制作会社にいる時はディレクターをやったこともありますが、自分には向いてないと思いました。現場で、その場その場の状況に応じて考えなきゃいけないじゃないですか?」

宮藤「映画は特にそうですね。ロケ現場の状況とか天気とか、その場で判断しなきゃいけないことが多いので」

野木「私は瞬発力が乏しいんですよ。器用じゃないんです。ただ、原稿作成や編集作業は好きだったので、"そもそも私はフィクションをやりたかったはず"と思い出し、映画やドラマにかかわっていくには脚本を書くしかないと一念発起して。その点、宮藤さんはすごい。いろんなことを平行してやられているから」

宮藤「でも、ここ最近、この先どうして行こうかな......と思った時に、このままのペースじゃ1コ1コのスピードが遅くなっちゃうなと思って。どれか1コに絞んなきゃな、とは思っていて」

──それは作業進行が遅れたり、ということですか?

宮藤「集中力が落ちて、掛け持ちや、同時に何作品も並走させるのがキツくなって来たんです。30代の時は体力もあったし寝なきゃ寝ないでやれたけど、今後はどんどんキツくなるだろうし。」

野木「どれに絞るんですか?」

宮藤「結局は、脚本だと思います」

野木「おおーっ!」

宮藤「もし『来年までにどうしても、どれか絞りなさい』と言われたとして......って考えて、どんどん捨ててったら、やっぱ脚本だな、と」

野木「そもそも脚本を書いて、監督もやって、舞台もやって俳優もやって、バンドやってラジオも......とか、それがおかしいですよ。器用すぎる。私なんて脚本だけで手いっぱいなのに」

宮藤「どれも長くやらないって前提で始めたからできたんですよ。結果、長くなっちゃってますけど(笑)。でも、そろそろ年齢的にも体力的にも絞ってく時期なのかな、と」

野木「これからもずっと宮藤さん脚本の作品を見たいので、『絞るならバンドだ』と答えられたとしても責めはしないけど、『えっ、そっち......!?』って気分にはなります(笑)」

宮藤「奥さんにも言われると思います。『それ違うんじゃないの?』って(笑)」

野木「ともあれ脚本でよかったです」

宮藤「あと脚本だけに絞った時にどうなるのか、見てみたいというのもあります。専業の脚本家になったら急に説教臭くなったらどうしよう? とか(笑)。セリフを事細かに指定するとか、演出とか役者をやってたら絶対にやらないと思うんですよ。演出家の気持ちも役者の気持ちも分かるから。専業でやれば、こだわりとか出てくるのかな、と」

野木「なるほど~」

kotaki_20200227_06.jpg第7話「七、病苦」の依頼は"音信不通の女性の安否確認"。

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