脳外科医・Drまあや、”カラフルデブ”はコンプレックスの打ち返し!?

公開: 更新: テレ東プラス

drmaaya_20200207_00.jpg
脳外科医でありながら、ファッションデザイナーとして世界デビューを果たしたDr.まあや。2018年には念願だったアトリエ兼ショップを巣鴨にオープン。昨年10月にはカナダ「バンクーバーファッションウィーク」で、自身初となるショーを行っている。

カラフルデブの原点は篠原ともえにあり!?

──バンクーバーでのショー、お疲れ様でした!ご自分のアトリエ兼ショップも完成し、デザイナーとしては、まさにこれからという感じでしょうか。

Drまあや:『やっとここまできた』という感じでもあり、『まだまだこれから』という感じでもあります。脳外科医も続けていきたいですね、その両輪があって私なので。

──アトリエ兼ショップのオープン初日には、篠原ともえさんが来店されたとか!

Drまあや:そうなんです。初日には篠原ともえさんも来ていただき、『記念に』とパーカーを買ってくれました(笑)。ともえさんとは、私がまだスタイリストのアシスタントの仕事をさせていただいていたときに、日テレの『PON!』という番組で毎週金曜日にご一緒させていただいたり、様々な現場でお世話になっておりました。懐かしいです。

──脳外科医とファッションデザイナー。なかなかその両方を職業にしている人は少ないと思います。

Drまあや:アートとサイエンスの融合はありますが、医者を職業にしている私にしか提供できないファッションがあるんじゃないかと思うんです。だからどっちも片手間にはしたくないですし、どっちも全力投球でやることで、やっと私という人間に価値がでると思っています。

Drまあやはデザイナーとしてデビューする前、スタイリストの大園蓮珠氏に師事し、芸能人のスタイリングに携わった経歴がある。その時に縁があった篠原ともえさんとは、今でもおつきあいがあるようだ。当時の篠原さんのカラフルでハッピーな気分にさせてくれるファッションは、デザイナーとしてのDrまあやのヒントになったのかもしれない。

医者を目指した理由。それは祖母の「お前は結婚できないから医者に」のひと言

髪を虹色に染め、カラフルなデザインでポップな世界観を表現するDrまあや。篠原ともえとの思い出を語る彼女は、実に明るくて豪快な人柄を感じさせる。

しかし、そうではなかった。

「コンプレックスの塊ですし、ネガティブな人間です。だから、色を纏っているんです」

そう、意味深な発言をする彼女。医師免許に世界的なファッションデザイナーという、誰もが羨むような肩書きを持ちながら、なぜ"コンプレックス"で"ネガティブ"なのかだろうか? そこには彼女の生い立ちが影響していた。

drmaaya_20200207_01.jpg▲写真はイメージです 画像素材:PIXTA

1975年に東京で産まれた後、岩手県北上市で育ったDrまあや。祖父母と暮らすことになった孫を不憫に思っていたのか、育ての祖母がこう言い放ったという。

「お前は結婚なんてできない、手に職を持って生きなさい」

とはいえこの言葉、突き放した訳ではない。彼女の祖父は開業医であり、幼い頃から「医者」は身近なところにはあった。そんな彼女は、中学1年で「医者になる」ことを決意する。

猛勉強の末、岩手医科大学に現役合格し、晴れて学医学部入学した。卒業と同時に医師国家資格を取得すると、慶応義塾大学病院外科研修を経て、脳神経外科に入局。その後、脳外科専門医を取得した。

──脳外科医ってすごいですよね、手術では脳みそを直接触るわけですし......。

Drまあや:そうです〜(笑)。大学病院にいた頃は外科医として、しょっちゅうオペをしていましたね〜。脳外科医はとにかく忙しくて、病院と自宅の往復で・・・。女医は、モテるわけじゃないですし。モテたことないから、"手に職つけて一生食っていけるようにしないといけない"ってことで医者になったんですから。

drmaaya_20200207_02.jpg▲ネガティブの塊であった生い立ちや性格を綴った、自身初となる著書『カラフルデブを生きる』(セブン&アイ出版)

──肩書きは華々しいのに、理由がネガティブですねぇ。それにしても、さまざまな医療ドラマでオペのシーンを見ますけど、あれを日常的にやっていたんですよね。興味津々なんですけど。

Drまあや:慶應義塾大学病院の医局にいた頃は、救急の患者さんも運ばれてくるので、オペは日常的に行われていましたね。関連病院である国立東京医療センターに配属された時期もありますが、そこでも"夜中に救急搬送されてきて緊急オペ。そのまま朝を迎えて病棟回診が始まり、そしてすぐ手術に"なんていうこともありました。眠くないかって?......眠いですよ、そりゃ! 医者だって人間ですからね(笑)。でも、患者さんは待ってくれません。次から次へと、いろいろ病状が変わっていくわけで......。当時はかなり体力勝負でした。

drmaaya_20200207_03.jpg

デザイナーを目指した理由。それは「大学院時代に心折れたから」

drmaaya_20200207_04.jpg
──病院での忙しい日々から、「ファッションデザイナーになろう」なんていう発想が起こりそうもないですが。

Drまあや:そこ聞いちゃいます? 実は、ある挫折がきっかけなんです。

大学病院は医療業務だけでなく、教育機関としての側面もあります。大学院の研究室で研究を行っていた時のことなんですが、研究内容の論文をプレゼンしたところ、教授にこっぴどく怒られまして。それが、大学院で博士号を取得するための、生命線に関わるような状況だったので、かなりショックでした。研究室を出たあと、脳外科医としてのこれからの人生について考えることになります。「脳外科医としての自分は、これからどうやって生きていこう? サブスペシャリティはどうしよう」と、悶々としながら山手線を2周ぐらいしていました。

大学を離れ、地方都市の病院で、脳外科医として手術を日々こなし、目の前の患者さんと向き合う生活が定年まで続く。そして、定年後は老人施設などで週3〜4回お年寄りの診察をしながら、なんとか独りアパートで過ごす日々。ある日、突然老人の孤独死で、警察や施設職員に発見される......と、死ぬ瞬間まで想像ついてしまったのです。そんな想像がつく人生で、本当に後悔しないのか。人生が楽しいのか。考えてしまったのです。

そうして、山手線の中でぼんやり景色を見ていたら、ある駅の看板に日本外国語専門学校の広告が見えたんです。よく見ると「海外芸術大学留学コース」と書いてある。瞬時に「これだ!」という閃きがありました。

子どもの頃から、ファッションやデザイナーへの憧れがあって、『セントラル・セント・マーチンズ』という、ロンドンの芸術大学に行きたかったんです。なので、その文字を見た瞬間に明るい兆しを感じ、その週末にはオープンキャンパスに行っていました。

drmaaya_20200207_05.jpg

なぜ"カラフル"にこだわるのか。その理由もネガティブ発想の裏返し

drmaaya_20200207_06.jpg
"カラフルデブ"を名乗るDrまあや。「カラフル」で「デブ」なんて、明るくて陽気なイメージが付きまとうが、よくよく話を聞いていくと、意外な言葉が返ってきた。

──ハッピーな気分になるカラフルなファッションは、先生のような個性的な人ならいいですが、私のような没個性では着負けしそうです。どうして、虹色を使って表現しようと思ったのですか?

Drまあや:このカラフルな色を着るのは、私にとってコンプレックスの反動なんですよね。黒い服を着こなし、存在感を保てる人の方が羨ましいです。

研修医時代のある日、私は黒い髪をして地味な感じだったんですが、その時はちょっと疲れてメガネを外して病棟のPCの前で仕事をしていました。そしたら、私を探しに来た看護師さんが『折居先生(Dr まあや)、どこ行った? さっきまで居たよね?』って、ナースステーションで探しているんです。

「え? 私ってメガネで認証されてるんだなぁ〜。メガネ取ったら私ってわからないんだな」って思いましたね。

個性がない私は、識別できるアイテムを取ったら、透明人間になっちゃうんです。カラフルになって自分を主張するというのは、安易かもしれませんが、私の存在を示すためのアイテムなんです。

──しかし、そのエピソードがきっかけとなって、創作コンセプトができあがりましたね! 方向性が決まれば、作る作業もより楽しくなるのではないですか。

Drまあや:自分のネガティブさから、嫌でも自分のコンプレックスを知ることになり、それをカバーしようとするとコンセプトにつながります。とはいえ、作業が楽しいなんて手放しで喜んだことはありませんよ。作品に向き合うということは、自分自身との真剣勝負でもあるので、産みの苦しみの方が大きいような気がします。

──それは、ある意味で商業だけを目的に、「売れる物を作ろう」という発想ではないからですね。

Drまあや:そうだと思います。『何か作って手っ取り早くお金に換えよう』というのではなく、自分の表現物を世の中に送り出し、それを評価して欲しいという、アート活動に近いものだと思います。

何度かお話してきましたけれど、私は小さな頃から自分に自信がなく、コンプレックスの塊でネガティブ。だからこそ、人一倍に承認欲求が強いのでしょうね。「これでいいんだ」と束の間の安心を得ながら、前に進んでいきたいんです。

drmaaya_20200207_07.jpg
「ネガティブ」とはいうものの、実はネガティブという名のポジティブ。Dr まあやのネガティブは、結局のところ原動力につながり、それが人並み外れた才能で形となる。

2019年のバンクーバーでのファッションショーに続き、2020年にはニューヨークでのファッションショーも予定されているといい、今後さらに評価がついてくることだろう。カラフルデブが創るブランド「Dr.MAAYA」に大注目だ。

【プロフィール】
Drまあや
脳外科医。ファッションデザイナー。岩手医科大学医学部卒業。セントラル・セント・マーチンズ卒業。2013年に「Dr.まあやデザイン研究所を設立。現在も、脳神経外科として勤務の傍ら、ファッションデザイナーとしての活動を続ける。2018年2月、アトリエ兼ギャラリーショップをオープン。

SHOP & ATELIER「Dr.まあやデザイン研究所」
住所:東京都文京区千石4-22-8千石マンション101号

インスタグラム(dr.maaya.labo)
オフィシャルブログ

PICK UP