パラグアイで人生を捧げた70歳日系人女性が29年の歳月を経て、愛する弟たちと再会「姉さんはどんな時も味方だった...」:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時~)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

パラグアイで日本語教育に捧げた人生

遠く離れた家族の絆を繋げる企画「ニッポン里帰り応援団」の感動ストーリーをご紹介。ニッポンにルーツを持つ人たちの里帰りを応援してきたこの企画。今回は、南米パラグアイの世界遺産「イグアスの滝」上流にある、約60年前に日系移民が開拓した街・イグアスで、ニッポンに行きたい人を捜索しました。

120年前に始まったニッポンから南米への移民政策。1934年に最大の移民先・ブラジルで新規受け入れが制限されると、新たな移住地として選ばれたのがパラグアイ。猛獣が潜むジャングルを切り拓き、ニッポンから持ち込んだ野菜を栽培。中でも、当時ほとんど作られていなかった大豆作りは日系人がパラグアイ全土に広め、世界第4位の輸出国にまで成長させました。

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現在も800人以上の日本人と日系人が暮らす街を歩いていると、何人もの人々が「こんにちは」と日本語で挨拶をしてくれます。日系人ではないのに日本語が話せる方も多いのでお話を聞くと、パラグアイでは日本語や日本文化を学ぶため、幼稚園に日本語カリキュラムが組まれているそう。日系人への信頼や尊敬から日本語を学ぶパラグアイ人が多いとのこと。

1963年に開校したイグアスの日本語学校を訪ねてみると、児童のおよそ4割がパラグアイ人でした。子どもたちに話を聞くと、ほぼ全員のお父さんかお母さんがニッポンにいるとのこと。イグアス出身者は日本語のレベルが高いので日本へ仕事に行く人が多く、仕送りをして家計を助けているのです。

その後もイグアスの街でニッポンに行きたい人を捜索していると、ナカヤマソフィアさんという方がずっとニッポンに帰っていないとの情報が。早速イグアス郊外のお宅を訪ねると、日系2世の中山ソフィアさん(70歳)と近所に住む姪で日系3世の中山エレナさん(41歳)が笑顔で出迎えてくれました。

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ソフィアさんの父・栄助さんは、15歳の時、長崎から家族でパラグアイに移民。「(父は)チャコ戦争が終わったと同時に来ましたから、すごく怖い所だったっていうのはありましたね」と話すソフィアさん。チャコ戦争とは、石油利権をめぐり1932年~35年にパラグアイとボリビア間で行われた戦争のこと。栄助さんは明日の暮らしも見えない中を必死に生き抜き、26歳の時に同じ長崎から移民してきたツマさんと結婚。

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長女・ソフィアさんが誕生すると、その後も子宝に恵まれ、10人の大家族になりました。「(昔は)この辺りは全部山だったんですよ。テントを張って入りましたね(入植しました)。泥棒されたり乱暴されたり色々ありましたよ」。戦後も治安は最悪で、各地に盗賊団が出現したという。そんな過酷な暮らしの中、働き通しの両親を少しでも支えたいと幼いソフィアさんも弟たちの世話をしていたそう。

苦労が絶えないパラグアイでの暮らし...それでも両親が大事にしていたのが「日本人の誇り」。特にお母さんが日本の伝統的なことを大事にしており、子どもたちにも日本人の誇りを持ってほしいと懸命に働き、8人兄弟全員を日本語学校に通わせました。両親から受け継いだ日本人の誇りを胸に、ソフィアさんは高校卒業後、学校の先生になります。

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年上の人には挨拶をする、土足で家に入らないなど、パラグアイの子どもたちにもニッポンの作法や礼儀を伝えたいと奮闘したソフィアさん。イグアスの幼稚園や小学校には今でもソフィアさんの教えが根付いており、パラグアイの日本大使館からもその功績を表彰されました。弟たちもそれぞれ家庭を持つと、「家族に少しでも楽をさせてあげたい」と給料の良いニッポンへ。

ソフィアさんは教育研修のため、40年前にニッポンに短期留学を果たしたものの半年でパラグアイに戻り、教師一筋の人生。ニッポンに渡った弟たちに代わって両親の面倒を見ることになります。そして29年前に父・栄助さんが、12年前に母・ツマさんが他界。栄助さんとツマさんは、孫にあたるエレナさんにも「日本人は本当に素晴らしい民族であなたにもその血が流れている」と話していたそうです。

そんな栄助さんとツマさんが、生前ずっと気にかけていたことは兄弟を大切にすること。ニッポンでの生活が忙しく母の死に目にも会えなかった三男・タデオさんと四男・フェリペさん。タデオさんとは18年、フェリペさんとは29年会っていないそう。ソフィアさんはどうしても元気なうちにニッポンにいる弟たちに直接会って、両親が伝えられなかった思いを伝えたい、とのこと。

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定年後も大学で働き貯金を続けていますが、給料は日給制で、大雨が降れば道路が冠水して職場に行けない日も多く、月にもらえるのは6万円がやっと。生活はギリギリで、とてもニッポンへの旅費が捻出できる状況ではありません。

ソフィアさんにはもう一つニッポンで叶えたいことがありました。弟・タデオさんの娘・エレナさんも母親やソフィアさんの面倒を見るためパラグアイに残り、父親とはもう18年も会っていないので、会わせてあげたいと話します。「お父さんと過ごした時間は短かったので、散歩をしたりご飯を食べたり普通のことをするのが夢です。一目でいいから会いたい...」涙ながらに話すエレナさん。

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そんなソフィアさんとエレナさんをニッポンにご招待!

「急だから心の準備できてないよ」感動の姉弟・親子再会!

ニッポンに来日したソフィアさんとエレナさん。昼間は40℃にもなるイグアスから一気に気温8℃の東京へ。そんな気温差もなんのその。ニッポンの紅葉に感動!「素晴らしい景色だわ。これが見たかったのよ。ママがいつも言っていたのは(ニッポンは)パラグアイみたいにずっと夏じゃないって」とソフィアさん。

母・ツマさんからよく聞いていたニッポンの四季が織りなす紅葉。ソフィアさんは、いつかその目で見たいと思っていたそう。そしてソフィアさんがどうしても叶えたいのは弟たちとの再会。そこでサプライズで登場したのは、協力をお願いした甥の松男さん(42歳)。タデオさんの長男でエレナさんの1つ上のお兄さんです。

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2人に協力したいと迎えに来てくれました。イグアスにいた頃は、ソフィアさんが息子のように可愛がっていたそう。当時は反抗期だった松男さんも教師だったソフィアさんに勉強やしつけを叩き込まれ、今ではニッポンにあるパラグアイ共和国大使館で働くほどになりました。

早速、埼玉県坂戸市にあるタデオさんの家に向かいます。タデオさんには、2人がニッポンに来ることを秘密にしています。口数は少ないけれどパラグアイへ欠かさず仕送りをしており、兄弟で一番家族想いだというタデオさん。ニッポンからの手紙には、いつも「姉さんや娘に会いたい」と書かれていました。松男さんの提案で、まずはソフィアさんから会いに行くことに。ちょうど家の外に出ていたタデオさん(64歳)は、「嘘だろ...」と信じられない様子。

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「急だから心の準備できてないよ」と照れ笑いをしながらも嬉しそうなタデオさん。家に招き入れようとするタデオさんに、「父さんに会いたい人がもう1人いるよ」と松男さん。18年間会うことができなかった父と娘が念願の再会を果たします。

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リフォーム関連の会社で働いているタデオさんは、次男・光男さんが建てた家で一緒に暮らしています。

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家に入ると家族想いのタデオさんらしく、両親や兄弟たちとの家族の写真が飾ってありました。額に飾られていたのは両親や兄弟たちとの家族写真。「パラグアイにおった時は、何か問題があったら姉ちゃんとこ行って話して相談に行っていた」と話すタデオさん。ニッポンでつらかった時も、この写真を眺めて元気をもらっていたそう。するとソフィアさんがある写真を取り出しました。

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ツマさんが亡くなる直前に撮った写真。ニッポンにいる弟たちに直接渡したかったお母さんの最後の写真です。その頃、ニッポンで家族を養うのに精一杯で金銭的にもパラグアイへ戻れなかったタデオさん。最愛の母の死に目に会えなかったことをずっと悔やんでいました。

「家族全員で集まって暮らした方が一番いいと母にいつも言われていた。遠くにいても集まれって」とお母さんの写真を見ながら涙ぐみます。亡くなる数時間前に母から電話があり「姉弟絆を確かめ合うように」と言われたそう。お母さんの写真を渡し、「姉弟を大切にすること」という両親の想いを直接伝えられたソフィアさんは、満足そうに微笑みます。

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夜になり、18年ぶりに会いに来てくれた姉と娘をもてなしたいと、タデオさんがキッチンに立ちました。「お父さん専用の冷凍庫だから弟たちも絶対触れない」という肉専用の冷蔵庫。タデオさんは、スタッフの分までたっぷり肉を焼いてくれました。

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肉料理中心のパラグアイではどこの家庭にも肉専用の冷凍庫があり、肉屋さんに行って豚半分、30キロを買っていつも冷凍庫に入れてあるそう。「友達全員呼んで、25人くらいでペロって食っちゃうから」とタデオさん。18年ぶりのお父さんの手料理を噛みしめるエレナさん。

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ソフィアさんも久しぶりに食べる弟の手料理でしたが、「しょっぱい...。昔から言おうと思っていたけど、塩入れすぎよ」と語り、みんなで大笑い。そこに「すみませ~ん」と訪ねてきたのは、ソフィアさんの弟で、タデオさんの2歳年上の兄・エンリケさん(66歳)!

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定年後に一度パラグアイに帰国し、2人と再会を果たしたものの、今は隣町の川越市に住んでいます。みんなで昔の家族写真と現在の自分たちを見比べたりしながら、家族水入らずの楽しいひと時を過ごしました。

両親の生まれ故郷でまさかの出会い

ソフィアさんには、ニッポンで弟たちと実現したい夢がありました。父・栄助さんと母・ツマさんが生まれ育った長崎県久賀島(ひさかじま)。「もう一度、故郷を見たい」と願いながら叶わなかった両親の思いを継ぎ、姉弟で島を訪ね、自分たちのルーツを探したいというソフィアさん。ニッポンで暮らす弟たちも訪れたことがないというので、翌日、一路西へ!

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久賀島があるのは長崎県の五島列島。雄大な自然と美しいキリスト教の教会群が残るこの島は、去年、世界文化遺産に登録されました。

栄助さんとツマさんは、まだ中学生だった1936年、家族に連れられ久賀島をあとにします。乗船代を捻出するため財産や家財道具はすべて手放し、裸一貫でパラグアイに渡ったので、島にいた頃の写真や思い出の品を子ども達に見せられない事をいつも残念がっていたそう。さぁ、2人が生きた痕跡を探しにいざ久賀島へ!

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人口300人ほどの久賀島。椿の原生林が広がり、良質な椿油の産地としても知られています。両親と島をつなぐ唯一の手がかりは、エンリケさんが持っていた父の戸籍謄本。まずは戸籍の住所を頼りに、栄助さんが住んでいたであろう地区に向かいます。島の南端、海に面した外上平地区。幼い頃、栄助さんが見ていただろう景色、遊んでいただろう海岸を見て回るソフィアさんたち。

栄助さんが生きた証を探して地元の方に聞いてみると、その方が地区の歴史に詳しいナカヤマミネコさんを紹介してくださいました。栄助さんと同じナカヤマという名字! 期待を胸に訪ねてみると...。この地区で生まれ育ったという中山ミネ子さん(73歳)が快く迎えてくださいました。

お宅に上がらせていただき、旅の目的を伝えると、なんとミネ子さんのおじいさんの兄弟がパラグアイに行ったとのこと。「シンマツさんって知ってます?」とミネ子さん。「シンマツはうちのおじいちゃん」と答えるソフィアさん。するとミネ子さんは驚きのあまり「ウソーウソー!」と何度も言いながら部屋を走り回ります。

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なんと! ソフィアさんとミネ子さんのおじいさん同士が兄弟だったのです! 80年前に久賀島から栄助さんを連れてパラグアイに移民した祖父・新松さんと、ミネ子さんの祖父・申松(さるまつ)さんが兄弟ということは...ソフィアさんとミネ子さんは血の繋がったはとこ同士!

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まるで栄助さんが導いてくれたかのように、故郷の島で新たな家族との出会いがありました。一気に距離が近くなったソフィアさんたちとミネ子さん。残念ながら栄助さんが暮らした家は残っていませんでしたが、かつて通った小学校は残っていたので、ミネ子さんがすぐに見学できるよう連絡を取ってくださいました。栄助さんが幾度となく懐かしんでは語ってくれた故郷の小学校...田ノ浦小学校を訪ねます。

30年以上前に廃校したものの、取り壊されることなく残っていました。校舎を管理している坂谷さんの案内で中を見せてもらうと、一部改装されてはいましたが、廊下や天井などは当時の面影がそのままに...。

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「なんか嬉しい悲しい。こう混ざって、すごく分からない。言えない状態ですね」と話すソフィアさんの目にとまったのは、廊下中にあった不思議な絵の数々。案内の坂谷さんいわく「五島市が合併してから、松井守男さんという方が"この久賀島の緑が一番五島で綺麗だ"と気に入って、ここをアトリエとして借りたんです」とのこと。

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光の画家として知られる松井守男さんは"ピカソ最後の弟子"と言われ、フランス政府から最高勲章も授与された世界的画家。神田明神や京都三千院のほか、ルーブル美術館に展示予定のものなどその作品には、数千万円の価値が。かつて父が学んだ教室に入ると...新作に取り組む松井守男さんご本人がいらっしゃいました! ソフィアさんたちがこの島を訪ねた経緯をお話すると、2年かけて挑んでいる大作「世界遺産 久賀島」に「お帰りなさい」と書き込んでくださいました。

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ソフィアさんたちの思いが心を打ち、筆が動いたそう。今度は、はとこのミネ子さんからツマさんに関する情報が入ります。五島列島は古くからの教会が多く残り、全国でもカトリック教徒の割合が多い地域。ツマさんが教徒なら教会に洗礼の記録が残っているかもしれないと、知り合いの神父さんに連絡してくださったのです。そこで急遽、教会で神父さんと会うため、福江島へ戻ることに。教会の記録を管理する福江教会の下原神父が見せてくださったのは洗礼台帳。

洗礼台帳とは、信者になるために洗礼を受けた人の情報が記入された台帳のこと。ツマさんが生まれた大正15年からパラグアイに渡る昭和11年までの記録の中から、旧姓・田中ツマの名前を探すと...100年近く経っているにもかかわらず記録が残っていました!

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80年の時を超え、最愛の母・ツマさんが久賀島で生きた証に出会うことができました。翌日すっかり仲良しになった、はとこのミネ子さんに誘われ久賀島の集会所へ行くと、地元の皆さんが故郷の味を知ってもらいたいと五島うどんの地獄炊きなどを準備してくださいました。実はパラグアイでも、ツマさんが「故郷の味だ」といって作ってくれたそう。

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懐かしい母の味をしっかりと噛みしめるソフィアさん。さらに画家の松井さんが、即興で描いたソフィアさんの肖像画をプレゼントしてくださいました。実りが多かった五島への旅を終え、ソフィアさんたちは東京に戻ります。

甘えん坊の弟と29年ぶりの再会!

東京では、タデオさんの長男・松男さん家族と合流。実はソフィアさんたちが久賀島に行っている間、松男さんがニッポンに出稼ぎに渡って以来29年会っていないという弟のフェリペさんに連絡を取っていました。フェリペさんはソフィアさんとは8つ違いで、小さい頃からよく面倒を見ていた甘えん坊の弟です。

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ソフィアさんとエレナさんには「富士山を見に行く」とだけ伝え、車で山梨県へ。食事を終え、レストランの駐車場に向かうと、そこには29年離れ離れになっていたフェリペさんの姿がありました。

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こうして姉弟が会うのは30年ぶり。長年の夢がニッポンで叶いました。その後は松男さんが予約したロッジで再会の祝杯をあげ、翌日は、一生に一度は見たいと願っていた初めての富士山を見ることができました。

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「日本人として心の故郷にやっと帰れた気がする」としみじみ話すソフィアさん。エレナさんは、「誇らしい気分になります」と、祖父母から受け継いだ自分の中に流れる日本人の血をしっかりと確かめたようでした。

そしてソフィアさんの来日を聞きつけ、ニッポンに渡った教え子たちも大集合!

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富士山が見えるバーベキュー場でタデオさんがパラグアイ名物のアサードを作ります。そしてお約束の、塩かけ過ぎ(笑)。

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かけがえのない家族の絆を確かめ合ったソフィアさんたち。帰国の時間が迫り、いよいよ別れの挨拶をすることに...。

「みんなの元気な顔が見られて本当に嬉しかったですよ。実はずっと、この幸せな時間が止まらないかなと思っていたの。短い時間だったけど可愛い弟達に会えたから...。もう思い残すことはないわ」とソフィアさん。弟たちを代表して、タデオさんから「18年ぶりに日本で再会できてとても嬉しかったです。いろいろとありがとうございました。今までなかなか言えなかったけど、姉さんはどんな時も味方で母さんのように見守ってくれたね。心から感謝します」と書かれた手紙が手渡されます。

今度は、エレナさんから父・タデオさんへの手紙。「18年ぶりに会えて嬉しかったです。久しぶりに過ごした時間はとっても楽しかったし、自分が子どもに戻って毎日父さんにたくさん甘えました。どんなに離れても父さんが大好きで、父さんの事をいつも思っています」。

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目にいっぱい涙を浮かべて娘の言葉に聞き入るタデオさん。再会を約束し、別れの途につきます。

家族の深い繋がりと新たな絆が生まれたニッポン滞在。帰国を前にソフィアさんとエレナさんは、「本当にありがとうございます。この夢のような一時は、私もエレナも一生忘れません」「お陰様で父にも会えましたし、長崎の人たちの優しさに感動しました」と語ってくれました。

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ソフィアさん、エレナさん、またの来日お待ちしています! そして、滞在中ご協力くださった皆様、本当にありがとうございました!

そして1月27日(月)夜8時放送! 「世界!ニッポン行きたい人応援団」の内容は...。

「ニッポンにご招待したら人生が変わっちゃった!感謝のビデオレターが届いちゃいました」スペシャルと題してお届けする2時間。約3年前にご招待した「箱根で寄木細工の伝統技術を勉強したい」アメリカ人男性。NASAに約20年間勤めたという彼は職人歴43年、寄木細工の創始者・石川仁兵衛の子孫であり伝統工芸士の石川さんに指導いただいたのだが、その技術を生かし、驚きの進化を遂げていました!

また、新たにニッポンにご招待する外国人にも密着。日本酒を愛するあまり、ブルゴーニュで唯一日本酒を作っている蔵で働く「日本酒の作り方を学びたい」フランス人男性をご招待。創業230年の老舗・鶴野酒造で、杜氏を務める日本人女性から日本酒の作り方を伝授され、感動!「切り絵の作り方を学びたい」ブルガリア人女性も登場します。

どうぞお楽しみに!

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