「一緒に飲みたい人」鶴瓶と意外な場所で遭遇していた! ノーベル化学賞受賞・吉野彰さんが語る「5年後の世界」:チマタの噺

公開: 更新: テレ東プラス

街の人への何気ないインタビュー映像をきっかけに、笑福亭鶴瓶とゲストがよもやま話を展開するトークバラエティ「チマタの噺」(毎週火曜深夜0時12分~)。1月7日(火)の放送は、ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんが登場。

昨年、リチウムイオン電池開発への功績を認められ、ノーベル化学賞を受賞した吉野さん。
実は以前、鶴瓶に会ったことがあるそうで「鶴瓶さんは覚えてらっしゃらないと思うけど、3〜4年前に羽田から伊丹に行く飛行機の中で、席が隣だったんですよ」という吉野さんの言葉に鶴瓶は驚がく。

さらに吉野さんのいとこが鶴瓶の大ファンということで、鶴瓶は以前サインを書いて喋ったことがあるそう。

そんな縁もあり、この番組のオファーを受けてくれた吉野さん。

「1981年から研究を始めて、今のリチウムイオン電池の原型が出来上がったのが4年後の1985年。その時に、"ひょっとしたら、これは世界を動かすものかもしれない"と感じた」と研究を始めた当時を振り返る。

ストックホルムでノーベル賞授賞式に続いて行われた、国王も参加する盛大な晩餐会について尋ねると「晩餐会は延々4時間以上やるけど、出てくる料理は前菜・主菜・デザートのわずか3皿。食べるよりもお喋りを楽しむような会で、参加者はみんな喋りまくり」という話にまたも驚く鶴瓶。

また、晩餐会の後に行われるダンスパーティーは、ダンスの経験がないことから出席を断ったそうですが「どんなもんかなと思って、見に行ったんです。そしたら、とんでもない! まるでディスコ状態(笑)。生バンドが演奏するポピュラー音楽に合わせて、皆が好きに踊ってました」という意外な裏話を聞かせてくれました。

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そんな吉野さんの気になるチマタは、"昔お世話になった赤松武志さん"。

30年以上前、一日でも早いリチウムイオン電池の実用化を目指し、電池メーカーやパソコンメーカーなどの同志たちが会社の枠を越えて意見交換をする"IBAセミナー"という会が発足し、その発起人となったのが赤松さん。

「とても個性的な方で、当時ずいぶんとお世話になった。だけどもう22年も会ってなくて、ノーベル賞のことも正式にご報告していない。今どこで何をしているのか...」

ということで、スタッフが赤松さんを探し、近況を取材してきました。

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当時、富士通の研究所で携帯電話やノートパソコンに使う電池を探していたところ、吉野さんのリチウムイオン電池の存在を知り、コンタクトを取ったのがきっかけで知り合ったというお2人。

現在79歳になった赤松さんは、兵庫県神戸市の海の見えるマンションにお住まいでした。

「気にしていただいて光栄です。吉野さんの姿はテレビや新聞で見ました。素敵な笑顔は面影があるけど、髪の毛がすっかり抜けていいおじいさんになりましたね(笑)。私は60歳でキッパリ仕事を辞め、蒜山高原に建てた山小屋に行ったりして遊んでます。毎年ノーベル賞受賞者発表の時期になると、当時の仕事仲間と"今年こそは"って吉野さんの受賞を期待していました」という赤松さんは、吉野さんがノーベル賞を受賞した時も山小屋におり、スウェーデン製のストーブの前で大喜びしたそう。

「やっと念願叶ってとても嬉しく思ってます。当時の吉野さんは学者然としてなくて、なんでも話しやすくてフランクな印象。一緒にお酒を飲んで、カラオケして、そんな中で電池技術の話をする。そんな"IBAセミナー"の25年ぶりの再現を、今度是非やりましょう」
と吉野さんにメッセージを送った赤松さん。

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「赤松さんは全然変わってない。少々のリスクを負ってでも、誰かがスタートしないとなかなか他の人も走り出さない。そんな中で、リチウムイオン電池が立ち上がっていくために、赤松さんは非常に大きな役割を果たした方。同時は怖かったですよ(笑)」という吉野さんに「今はいろいろ和らいでるんやろうけど、顔つきも雰囲気も、先陣切って走るにはピッタリな方。(VTR越しに)会えて良かったですね」と鶴瓶。

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今後のことについて鶴瓶に聞かれると...

「私がノーベル賞を受賞した理由は2つ。1つは今のモバイルIT社会を作ったことへの貢献。もう1つは"リチウムイオン電池の発明がこれから環境問題に大きく貢献する"という、未来的な理由。それはまだ実現してないので、大きな責務を感じています。リチウムイオン電池の周りにいろんな研究や技術が付随して、持続可能な社会(サステナブル・ソサイエティ)を作る...。意外と早く実現しそうな気はしてます。

2025年の大阪万博の頃には動き出していて、2030年には実用的になっているかも。2025年はきっと大きく世界が変わり始める時期。大阪万博で世界に対して"これから、こういう世界に生まれ変わるんだ"っていうメッセージを発信しないといけない」

...と未来への展望を語ってくださいました。

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