卵と出汁の割合は2対1! 京都の老舗秘伝の出汁巻きレシピを大公開:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時~)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

築地の有名店で玉子焼き作りを体験

今回ニッポンにご招待したのはお2人。1人目は玉子焼きの魅力にハマったモロッコ人のイルハムさん(27歳)。

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イルハムさんはニッポンのアニメが大好きで、玉子焼きを知ったのもアニメがきっかけ。登場人物が食べるお弁当にある黄色い食べ物が気になり、調べたんだそう。以来、自分でも、丸いフライパンで器用に巻いて玉子焼きを作っています。こちらがイルハムさんの作った玉子焼き!

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大学で日本語教師のアシスタントをしているイルハムさんの月収は5万円ほど。まだニッポンに行ったことはなく、ニッポンで本物の玉子焼きを学びたい、と話します。

そして待望の初来日。まず向かったのは築地。江戸時代後期、築地にはたくさんのお寿司屋さんがありました。その看板メニューが玉子焼き。とある一軒が店の前で玉子焼きを販売したところ評判になり、その後それを真似たお店が続々登場し、現在は8軒の玉子焼き専門店が。作っているところが見えるお店があったので、早速目の前で職人さんの技を研究。初めて見るプロの技に興味津々です。

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ずっと見ているうちに玉子焼きが食べたくなってしまったイルハムさん。行列に並び念願だったニッポンの玉子焼きをいただきます。

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「本当に美味しい。とても甘いです」。東京の玉子焼きは昔から甘い味が定番。江戸時代、卵と砂糖は高級品。「うまいは甘い」という言葉があり、甘い玉子焼きが生まれたと言われています。そんな昔ながらの味を守っているのが「山長」。ご厚意で店主の松江雄二さん(68歳)から直接焼き方を教えていただけることに。

まずは鍋を持つことから始めますが、最初は重くて持てません。それもそのはず。なんとこの玉子焼き鍋は2kgもあるのです。お鍋が四角い理由を雄二さんに尋ねると、お寿司屋さんで使う海苔のサイズと同じ大きさだと教えてくれました。普段よく見る握りの玉子が登場したのは明治の頃。江戸時代後期は薄く焼いた玉子を海苔巻きのように巻いて出されていました。そのため、玉子を焼く鍋のサイズは海苔と同じ大きさ。

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「山長」では、卵にカツオと昆布の出汁、砂糖などを独自にブレンド。甘くてコクのある味が人気です。雄二さんに説明してもらいながら挑戦してみると、イルハムさん、初めてながら上手に返すことができました。

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「お~できた! 今のうまい、その調子! 上手です。」と雄二さん。早速自分で焼いた玉子焼きを食べてみると、「美味しいです。こちらの玉子焼きは甘いだけでなく、しっかり出汁の味も感じられます」と大満足の様子。お礼にモロッコの伝統的なスリッパ・バブーシュをプレゼント。「山長」の玉子焼きをお土産にいただきました。

池波正太郎が愛した究極の玉子焼き

続いて訪ねたのは、創業134年、銀座の老舗「寿司幸本店」。食通としても知られる小説家・池波正太郎が好んだ究極の玉子焼きを作るお店です。見た目、食感共に玉子焼きの概念を覆す逸品。

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イルハムさんの熱意を伝えたところ、職人歴9年の荒川敦史さん(29歳) が、究極の玉子焼きの作り方を教えてくださることに。「寿司幸」では、認められた人だけが玉子焼きを焼くことができます。まず取り出したのは「あたりバチ」。いわゆるすりばちです。そこへ茹でた芝海老を入れ、あたり棒でエビの形がなくなるまであたっていきます。

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予想もしなかった工程にイルハムさん興味津々。

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エビの形がなくなってきたところで、砂糖と白身魚の練り物を加え、粘りが出てくるまでまぜ続けます。とろみが出てきたところでようやく卵を投入。1枚に使う卵は10個。軽く溶いた卵を数回に分けて少しずつ合わせていきます。こうすることで空気が入らず、焼きむらのない生地に仕上がるそう。じっくり混ぜること30分。

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最後に醤油とほんの少しの塩を加えてやっと生地ができました。「私も家でこの玉子焼きを作ってみたいです」と話すイルハムさんでしたが、荒川さんにあっさり「難しいと思います」と言われてしまいました。それもそのはず、生地ができるまでにかかった時間はなんと50分!

「寿司幸」の玉子焼きは、油をひいた玉子焼き鍋に、出来上がった生地をすべて流しこんで焼くのが特徴。その時、荒川さんが「換気扇を消します」と言いました。いったいなぜ? 理由は2つ。換気扇によって熱を持っていかれるのを防ぐためと、超弱火で焼き上げるので、わずかな風で火が消えてしまうのを防ぐためです。さらにもう一つ驚きの工程がありました。下から超弱火で焼きつつ、上からも、2kgの炭火で40分かけて焼いていくのです。

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最初は四隅を焼き、水分を真ん中に寄せて、最後に真ん中から水分を抜きます。焼き目がついたら炭を動かし、それを40分。この手間暇こそが究極の玉子焼きと言われるゆえんだったのです。

「寿司幸」では、様々な修業を積んでようやく玉子焼きを焼くことができます。担当して半年ほどの荒川さんは、1枚焼くのに約2時間、1日平均4枚焼き上げています。イルハムさん、焼きたてをいただくことに...。

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「本当に美味しいです。甘い。エビなどを入れて驚きましたが、甘みがあってとてもフワフワです。カステラみたい」。

老舗の出汁巻き玉子の作り方を学ぶ

イルハムさんが最後に向かったのは京都。「東京と京都では玉子焼きの作り方が全然違うので、その違いを見てみたい」と話していたイルハムを受け入れてくださったのは、創業107年の「丸太町十二段家」。三代目主人の秋道賢司さん(71歳)。笑顔で出迎えてくださいました。以前、出汁巻き玉子に挑戦したものの、出汁の取り方が分からず断念したと話すイルハムさん。まずは出汁巻き玉子がついた定食をいただきます。

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初めて食べる出汁巻き玉子の深い味わいに一瞬言葉を失ったイルハムさん。

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関東では砂糖を入れるのに対し、京都は醤油と出汁しか入れないと聞き、驚きます。京料理の味付けは昆布や鰹節でとる出汁が基本。そのため甘くない出汁巻き玉子が生まれ、広まっていったのです。まずは出汁の取り方を教えていただくため、朝5時にお店へ。

【「十二段家」こだわりの出汁のとり方】
・18リットルのお水に対し、最高級と言われる利尻昆布2種類(色の濃いものと薄いもの)を300g使用。2種類の昆布を使うことで旨味の中にスッキリとした味わいの出汁がとれる。
・ごく弱火で沸騰させないよう、3時間火にかける。
・ほんのり色づいた昆布出汁が完成。

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・昆布を引き上げたら火を強火にしてあく取り。
・枕崎産のかつお節を1kg投入し、苦みが出ないように20秒で引き上げる。

ご主人が毎朝5時から3時間以上かけて作る和食の命!「十二段家」の出汁の完成です。

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この出汁を薄口醤油だけで味付けし、出汁巻きの準備が整いました。ご主人が巻き鍋という出汁巻き専用の鍋を取り出すと、イルハムさん、あることに気づきます。東京の玉子焼き鍋とは形が違って、巻き鍋は長方形。その理由をご主人に尋ねると、京都では手前から巻くのでこの形の方が巻きやすいとのこと。手前から奥へ巻く京都の出汁巻きは断面が年輪状になりますが、奥から手前にたたむ東京の玉子焼きは断面がジグザグになるのです。

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有精卵は味が強すぎて出汁の味が負けてしまうので使わず、さらに、ふんわりした食感を出すために空気をたくさん入れながらかき混ぜるのがポイント。卵と出汁の比率は2対1、これが絶妙な出汁巻の秘密。卵と出汁が分離しないように火は強火で始め、手前から奥へ箸を使いながらクルクルと巻いていきます。イルハムさんが帰国後も作れるようにと出汁巻き作りを体験。お箸だけで巻くのに苦戦していたイルハムさんでしたが、最後はご主人に手伝ってもらって完成! この時ご主人が教えてくれた大事なコツは、箸を開き、卵に刺しながら巻くとうまく巻ける、とのことでした。切り口を比べてみると、ご主人のものはきれいな年輪状ですが、イルハムさんのものはちょっといびつ。

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ふわっとした食感もなかったよう。それでもご主人は3回目まで巻けたことを褒めてくださいました。「当たり前なんです。難しい。京都の料理人はお魚をおろすのと、大根の剣、出汁巻。この3つができたらどこか雇ってくれる」。それほど難しいものなのだ、と教えてくださいました。

この他、銅製の様々な鍋を手作りしている「中村銅器製作所」(東京・足立区)では、玉子焼き鍋の製作過程を学ばせていただいたイルハムさん。銅は熱伝導率が高く均一に温まり、表面にスズをコーティングすることで熱が冷めやすくなるそうで、鍋の温度をコントロールしやすいプロの料理人が絶賛する鍋になるんだとか。中村さんからは、イルハムさんが作った玉子焼き鍋と親子鍋をプレゼントしていただきました。

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帰国を前に「ニッポンの料理人の方たちの繊細で伝統を重んじる姿勢に感銘を受けました。また、みなさんの優しさは本当に感激しました。初めてのニッポンでしたが、まだ帰りたくないです。東京と京都しか行っていないのでもっとニッポンを知りたいです。感謝、感謝です。またニッポンへ行きたいです」と熱く語ってくれました。

急須を愛するあまり、自作するアメリカ人

続いてニッポンにご招待するのは、アメリカ・ワシントン州に住むアルトゥーロさん(32歳)。

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アルトゥーロさんが愛してやまないのがニッポンの急須。古くから日本人の食卓に欠かせない急須は、江戸時代、湯沸しやお酒を温める道具として伝来。それまでは武家や貴族の飲み物だった煎茶が庶民にも広まると、手軽にお茶を入れる道具として使われるようになりました。さらに茶こしがつけられるなど、ニッポン独自の発展も。

急須で淹れるとお茶がおいしくなる理由が知りたいと本やインターネットで独学したアルトゥーロさんは、理想のお茶の味を追い求めた結果、なんと急須を自作。

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急須作りを始めて3年。しかし、理想の急須には片まだ達していない。「急須は毎日使うものなので軽さと丈夫さを両立させなければいけないんですが、僕の技術では、お茶を入れるときに片手で持つには重すぎるんです」ニッポンで急須作りの技術を学ぶのが夢だと語ります。

今回念願の初来日を果たしたアルトゥーロさんですが、アメリカでお会いした時とは違う印象に。なんと職人さんに失礼がないように、とヒゲを剃っていました! 気合いが伝わります。

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常滑焼を代表する陶芸家に学ぶ

まず向かったのは有名な急須の産地、愛知県・常滑市。よく見かける朱色の急須はほとんどが常滑焼。急須といえば常滑、といわれる名産地です。アルトゥーロさんの熱意を伝えたところ、受け入れてくださったのは陶芸歴54年の村越風月さん(69歳)。村越さんは人間国宝に選ばれた三代山田常山に15歳で弟子入りし、その技を受け継いでいます。急須で初めて日本工芸会賞を受賞するなど常滑焼を代表する陶芸家。そんな村越さんを前にガチガチに緊張するアルトゥーロさん。

まずはお宅で、村越さんの作品を見せていただくことに。棚に飾られた作品を見てあまりの素晴らしさにため息をつきます。

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「気に入ったものがあれば、手に取って見てください」と勧められ、手にしてみると「ワーオ! とても持ちやすくて、使うことを考えて作っているのがよく分かります」とアルトゥーロさん。

村越さんの急須の最大の特徴は日常の使いやすさにこだわった「用の美」。まさにアルトゥーロさんが目指す急須そのものです。すると奥様の明美さんがお茶を淹れてくださることに。明美さんは急須でお茶を美味しく淹れる「煎茶道」の師範。明美さんが村越さんの急須で淹れたお茶をいただくと、「嫌な渋みや雑味がなく、とてもまろやかです。こんなに美味しいお茶は初めてです。」とアルトゥーロさん。大切なのは温度と時間。ぬるめのお湯でゆっくり淹れると甘みの強いまろやかな味に、高温のお湯でさっと淹れると香りが立ちスッキリした味になるんだそう。さらに、常滑焼急須にはお茶の渋味を抑える効果があり、様々な急須で入れたお茶を測定したところ、常滑焼急須は渋味が減ったという結果も。

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そしていよいよ、念願の急須作りを見せていただくことに。まず向かったのは村越さんのお宅のお庭。そこには原料となる田んぼの土「田土(たつち)」が。田土には鉄分が豊富に含まれており、お茶の渋みを抑える効果があるとのこと。田土を水を張った甕「かめ」で攪拌して不純物を取り除き、漉し器にかけます。この工程を1日2回、1ヵ月間繰り返し、軽くてきめ細やかな土だけにしていきます。
できあがった土を触らせていただくと、とても滑らか。焼き上げると土に含まれる鉄分が酸化し、常滑焼独特の朱色に変わるといいます。

急須の胴の部分の作り方を見せていただくと、ろくろを使ってものの5分でできてしまいました。アルトゥーロさんは「すごいスピードですね。この速さで形を整えるなんてまさに神業です!」と感動! 作る速さだけでもスゴイのですが、この胴の部分に使いやすさの秘密がありました。村越さんは糸をアルトゥーロさんに渡し、せっかく作った急須を半分に切るよう指示します。

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実はこれこそ村越さんが見せたかったもの。この断面の薄さが急須の使いやすさの秘密だったのです。わずか2ミリの薄さに仕上がった胴は強度と重さのバランスが絶妙。急須は芸術品ではなく、日用品。だからこそ外見からは分からない薄さにもこだわるのだと。

アルトゥーロさんも薄い胴作りに挑戦しますがことごとく失敗。村越さんは指先の感覚と絶妙な力加減で、満遍なく同じ薄さに仕上げていたのです。挑戦すること10回...やっと壊れることなくなんとか合格点をいただけました。

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続いて作るのは急須の蓋。村越さんは1つ作るのに3分もかからず、次々と作っていきます。それを見ていたアルトゥーロさん「大きさを測ったりしないんですか?」と素朴な質問を。ところが、完成した胴と合わせてみると測っていないのにどれもピッタリ!

「感覚だけで同じものが作れるなんて信じられません」と驚くアルトゥーロさんに、「私は50年以上やっていますので」と笑顔で返す村越さん。村越さんは、限られた時間で少しでも感覚をつかんでもらおうと、暗くなるまでつきっきりで教えてくださいました。

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茶こしと注ぎ口の技術&作り手の心遣いに感動!

翌日は茶こしの作り方を教えていただきます。「一番知りたかった工程です」と話すアルトゥーロさんがアメリカで作っていた茶こしは、胴にキリで穴を開けて作るもの。穴も村越さんのものに比べるとかなり大きめ。村越さんは先を丸めた木の棒で土をドーム状にしてからある道具を取り出しました。それは「ポンス」と呼ばれる茶こしの穴を作る道具。

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一見簡単な作業に見えますが、実はかなり神経を使います。穴の面積が大きく、数が多い方が目詰まりが少なく注ぎやすいのですが、開けすぎると焼いた時に割れてしまうことも。中心は穴の小さい道具に変えて穴を開けます。出来上がった茶こしを手にして再び驚きが隠せないアルトゥーロさん。「すごい! 割れないギリギリまで穴が開いています」。アルトゥーロさんも作らせていただきますが、どうしても穴が繋がってしまわないか気になって穴の間隔が離れてしまいました。

そしてここからは、急須を組み上げる作業です。まずはコンパスで胴に穴を開け、水で溶いた泥を塗ったら、茶こしをはめて接着します。そこに注ぎ口と持ち手をつけますが、実はここに急須の使いやすさを決める大切な2つのポイントが。

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1つ目のポイントは持ち手を注ぎ口に対して直角よりわずかに内側に向けること。角度は88度か87度。人間は持ち手を持って内側に注ぐので、少し内側に向けて付けることで注ぎやすさが格段に良くなるとのこと。これこそ人間国宝・三代山田常山から受け継ぎ、使い勝手を突き詰めた究極の角度だったのです。

2つ目のポイントは注ぎ口。注ぎ口を接着したら最後に先をカットしますが、これも水平ではなく、わずかに持ち手側に傾斜していました。注ぎ口が水平なアルトゥーロさんの急須はお茶を注いだ時に液だれがありましたが、村越さんの急須は切れが良く、最後の一滴まで美味しく飲めるように作られていたのです。「注ぎ口を斜めにするアイディアは僕もすぐに使いたいです」とアルトゥーロさん。飽くなき探究心から生まれた匠の技に感心していました。

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アルトゥーロさんも自分で作った急須を組み立て、いざ注ぎ口を切ってみましたが、十分に薄くできていなかったため穴が小さくなっていました。そこは村越さんに微調整していただき、組み立て完了。1週間乾燥させた後、村越さんの急須と一緒に窯で焼いていただけることに!

いよいよ別れの時。アルトゥーロさんは村越さんと奥様・明美さんに宛てた感謝の手紙を読み上げます。「お忙しい中、僕のためにお時間をいただきありがとうございました。村越さんの卓越した技術や急須づくりの道具など、見るものすべてが刺激的で学ぶことばかりでした。明美さん、美味しい夕食をありがとうございました。ここで過ごした時間は絶対に忘れません。ありがとうございました」。

「ささやかなものですが用意しました」と言ってアルトゥーロさんが取り出したのは、アメリカで作った茶壷。中には大好きなピーナッツのお菓子が入っています。すると明美さんは大喜び。実は豆類が大好物だったよう(笑)。

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村越さんからも「これを差し上げます」と茶こしの穴を開けるための「ポンス」がプレゼントされました。村越さんが使っているポンスは現在販売されていない貴重なもの。アルトゥーロさんも「こんな貴重なものを...」と感無量。さらにアルトゥーロさんが作った急須も、焼き上がったらアメリカに送っていただけることに。

この後、アルトゥーロさんは、南部鉄瓶発祥の町である岩手県盛岡市へ。創業117年の「岩鋳」さんで、南部鉄器の製造過程も学ばせていただきました。鉄瓶にカルキなどの不純物が吸着されるため、水道水でもまろやかな味わいのお湯を沸かせるのだそう。この道26年! 南部鉄器の伝統工芸師にも認定されている八重樫亮さん(49歳)から、出来上がったばかりの南部鉄瓶をプレゼントしていただき、「信じられない! 今日から使います」と感動した様子。

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そして帰国から2週間後。村越さんが仕上げてくださった急須がアルトゥーロさんのもとに届きます。ドキドキしながら箱から出すと、「僕が作ったものとは思えない! 村越さんが手直しして下さっています!」と満面の笑みを浮かべるアルトゥーロさん。

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しかも持ち手の下には「アルトゥーロ」の名前入り。早速、「岩鋳」でいただいた南部鉄瓶でお湯を沸かし、ニッポンで買った煎茶を自分で作った急須で淹れて飲んでみると...。「最後の一滴まで液だれしない。いいですね。味がまろやかです。やっぱり急須で入れるお茶は最高です。日本での経験は本当に貴重なものでした。もっといい急須を作ることで恩返しをしたいです」と話してくれました。

イルハムさん、アルトゥーロさん、またのご来日お待ちしています! そして今回もご協力くださった皆様、本当にありがとうございました。

そして今夜6時55分放送!「世界!ニッポン行きたい人応援団」は、「ニッポンにご招待したら人生が変わっちゃった!」4時間拡大版スペシャルをお届け。

これまでにご招待したニッポンを愛する外国人の方々は29カ国152人!その中で、ニッポンご招待後、人生が変わっちゃった人を追跡!約3年前に来日した「本物の和菓子について勉強したい」チェコの女子高生の現在とは...? 「本物の着物文化を学びたい」ハンガリー人女性の今は...?

さらに、日系移民の両親を持つ8人兄弟の長女が南米・パラグアイから18年以上会えなかった兄弟の元もとへ...生前の母の想いとは?

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また、新たなる"ニッポンに行きたくて行きたくてたまらない"外国人もご招待。「いなり寿司の作り方を学びたい」アメリカ人女性が来日。祖母が日本人であり、幼い頃、祖母が作ってくれたいなり寿司がとても思い出深く、大好きになった彼女は祖母のふるさとニッポンで様々な種類のいなり寿司を学ぶ!

どうぞお楽しみに!

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