印税でビル建設、副業で大もうけ、3度の薬物逮捕...横浜銀蝿・翔が波乱万丈の人生を語る:じっくり聞いタロウ

公開: 更新: テレ東プラス

売れっ子から懐かしのスターまで、芸能人が驚きの近況を報告する番組「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告」(毎週木曜深夜0時12分放送)。11月21日(木)の放送では、伝説のロックバンド・横浜銀蝿のボーカリストだったが、解散の真相と、当時の金銭事情を大暴露!

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1980年にデビューすると、瞬く間に頂点に上り詰めたロックバンド、横浜銀蝿。リーゼント、革ジャン、白ドカンという銀蝿ファッションがそこかしこに見られ、社会現象となった。暴走族から成り上がった横浜銀蝿だったが、わずか3年3ヵ月で解散。一体何があったのか!?

当時のギャラについては、作詞・作曲はすべて横浜銀蝿がやっていたため、給料とは別に印税が入っていた。「印税とか貯まってくると、1500万円ボンって入ってきたりとか」と驚愕での額で、翔のCORVETTEをはじめメンバー全員車を買い、渋谷の一等地に4階建ての銀蝿ビルを建設。ビルにはレッスンスタジオもあったことで、弟分の嶋大輔、グリースの杉本哲太、妹分の岩井小百合など銀蝿一家が育っていった。

さらに翔は勢いに乗って、車好きという趣味を生かした副業を展開。買い付けができるように古物商許可を取ったり、いろんなことができる場所を探し、平成元年くらいから中古車販売を始めたところ、これが大当たり。20年ほど続けたそう。もちろん本業も日本武道館を満杯にするなど順調だったが、なぜかバンドは結成から3年3ヵ月で解散してしまった。

翔によると、横浜銀蝿は、デビュー時に3つの目標を立てて、それを2年間で絶対にやり遂げるという公約をレコード会社にしていたという。それが、こちら。

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しかし、シングル1位だけが実現できなかった。同時期に、寺尾聰の「ルビーの指環」があったためだ。それでもう1年やって、シングル「あせかきベソかき Rock'n Roll run」が初登場1位を獲得。公約をオールクリアして解散したという。

電撃解散から14年たった1997年、翔は覚せい剤に手を染め3度の逮捕を繰り返してしまう。現在は、その過ちを深く反省し、来年からオリジナルメンバーで「横浜銀蝿40th」として1年間限定でライブ活動を再開する予定だ。

この番組は、現在「ネットもテレ東」で限定配信中!

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