あだ名は「ガリバー」「巨人」...暗黒の少女時代を救ってくれた、バレーボール元日本代表の恩師:先生、、、どこにいるんですか?

公開: 更新: テレ東プラス

人生を変えてくれた恩師に会いたい芸能人が自らの手で探し出し、ガチで居場所を突き止める「先生、、、どこにいるんですか?~会って、どうしても感謝の言葉を伝えたい。~」(毎週金曜夜6時55分放送)。今回は11月15日(金)の放送から、バレーボール元日本代表・益子直美が、コンプレックスから救いバレーを始めるきっかけをくれた先生を探す模様を振り返る。

先生の言葉が益子を救い、バレーを始めるきっかけに

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80年代、バレーボールで活躍し、今はスポーツキャスターでタレントの益子直美。小学校5年生までは「未来終わった...」と思っていたという益子の人生を前向きに変えてくれたのが、小学6年の時の担任、松村茂也先生。見た目はゴリラ、スポーツ刈りで体もがっちりした先生で、柔道をやっていたという。

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昭和41年、葛飾区金町に生まれた益子。幼い頃から大柄だった益子は、「ガリバー」「巨人」などのあだ名でからかわれ、暗い少女時代を過ごしていたという。

背が高いことを褒め、「絶対にスポーツをやった方がいいよ」と勧めてくれた松村先生の言葉により、益子は中学でバレー部に入部。そこで頭角を現し、卒業後に強豪校へ進学。高校生にして、全日本代表入りを果たすのである。

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卒業式で先生がくれたノートには、「努必達」と書かれていた。「努れば必ず達す」。益子はこれを人生の教訓とし、サインにもその言葉を記している。人生を変えてくれた先生に、会って感謝の言葉を伝えたい......。

柔道の達人だった先生

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まずは、生まれ育った金町を訪れ、母校の東金町小学校へ。卒業アルバムの益子の写真は、今からは想像できないほどの暗い表情をしている。ちなみに、将来の夢は「フォーク歌手になって、アリスと仲良しになりたい」と書いていた。

さらにアルバムから、松村先生はアジア大会で優勝した柔道の達人だったことが判明。校長先生や、学校の様々な行事を手伝っていた同級生の実家の協力により、道場をやっている整骨院を紹介してもらう。しかし、整骨院の方によると、先生はすでに亡くなったという。

「先生にお会いして聞きたいことがたくさんありました」と悔やむ益子は、手がかりを探し、娘さんに会えることに。

時を超えて、また先生に救われる

娘さんによると、松村先生は3年半前に91歳で他界。生前、益子のことを「僕の教え子なんだよ」と得意げに話していたという。また、「本当に素直で良い子だったよ」とも。先生にとって益子は自慢の生徒。ずっと見守ってくれていたのだ。

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アジア大会での優勝は、33歳。教師をしながらの優勝で、新聞でも「黒帯先生」と讃えられていた。定年後は柔道の総本山・講道館で指導者に。毎年1月、10日間にわたって実施される早朝寒稽古に63年間通い続け、亡くなる3日前に皆勤賞を授与された。没後にはその功績により栄誉ある九段を与えられたという。

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先生が亡くなったあと遺品を整理する中で、ノートに様々な言葉を記していたことに気づいた娘さん。その中でも特に印象に残った言葉を額に入れて飾っているという。そこには、直筆で「心正しく一途なれば 志必ず達す」と。正直に、一途にやれば志は必ず達成できる。

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先生の生き様そのものの言葉に、益子は「私に今一番必要な言葉かもしれない」と涙があふれる。現在、「監督は絶対に怒らない」というルールのバレーボール大会を主催して5年になるが、続けていく上で壁にぶつかっている。ただ怒らないだけでなく、どういう指導をすればいいのか。指導者として悩みを抱える益子に、亡き先生の言葉が沁み渡る。

「私も先生に負けないように、志を貫いてコツコツと地道にやっていこうと思います」と決意を新たにし、勇気をもらった益子。先生の言葉を写真に撮らせてほしいと申し出ると、なんと娘さんは額ごと譲ってくれたのだ。

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「ありがとうございます。大事にします」と感謝する益子に、「そう言っていただけると父も喜ぶと思います」と娘さん。41年前と同じように、先生の言葉が益子を救った。

次回11月29日(金)夜6時55分からの放送は、幼なじみのお笑い芸人・カミナリがコンビで共通の恩師を探す。

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