人生が激変した外国人のいま&石灯籠をこよなく愛するアメリカ人:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時~)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。まず紹介するのは、ご招待後、人生が変わってしまった2人から届いたビデオレター。

伊勢型紙にハマり、カナダで個展を開催

1人目は、3年前、カナダ・カルガリーからご招待したアリーシャさん(27歳)。

nipponikitai_20191111_01.jpeg
アリーシャさんは当時美術大学に通い、伊勢型紙と出会い、その魅力の虜になりました。実はアリーシャさん、名門ハーバード大学に合格するも辞退し、ニッポンの伝統技術を学んでいました。3年前、伊勢型紙の大半が作られている三重県鈴鹿市在住を訪ね、職人歴39年・伊勢型紙彫師・小林満さんに大変お世話になったのです。

伊勢型紙とは着物の生地に模様を付けるために使われるデザインの原型のこと。破れにくい特殊な紙を使い、すべて手作業で職人によって作られています。非常に細かいものもあり、1円玉の大きさに数百個ほどの穴を開けていきます。

nipponikitai_20191111_02.jpeg
その高度な技術から、今では伊勢型紙を作れる人はごく少数。貴重な伝統技術なのです。アリーシャさんは小林さん指導のもと、引き彫りと錐(きり)彫りを駆使し、伊勢型紙を製作。その型紙を使い、京都で反物を染め上げました。

nipponikitai_20191111_03.jpeg
あれから3年。アリーシャさんから小林さんへビデオメッセージが届きました。小林さんに教わったおかげで伊勢型紙がもっと好きになったというアリーシャさん。今は個展を開くため、新作を製作中とのこと。

nipponikitai_20191111_04.jpeg
10日間182時間かけて作った羽ばたくカラスの図柄です。この細かさには小林さんも「細かいところはプロが彫ったのとそんなに変わらない」と驚きを隠せません。アリーシャさんは陶芸教室などで生計を立てながら、残りの時間はすべて伊勢型紙に費やしているそう。小林さんと出会ってから技術がぐんぐん進歩し、地元の図書館や大学の美術展に作品を出展させてもらえるまでに。お世話になった小林さんと奥様への手紙を読みます。

nipponikitai_20191111_05.jpeg
「小林さん、奥様へ。見ず知らずの外国人の私に丁寧に技術と知識を教えていただき感謝します。伊勢型紙を受け継ぐ職人としての姿や仕事に対する姿勢を大変尊敬しています。奥様もまるで家族のように私を受け入れてくれました。皆さんと出会えたことは私の人生の一生忘れられない宝物です。本当にありがとうございました」。

nipponikitai_20191111_06.jpeg
アリーシャさん、またぜひ、伊勢型紙の勉強をしにニッポンへ来て下さいね!

独自のアイデアを駆使し、鐘鋳造しています

続いてのビデオレターはアメリカ・サウスカロライナ州から。ニッポンの鐘を愛するあまり鐘撞き堂まで自作してしまったドンさんです。

nipponikitai_20191111_07.jpeg
当時ドンさんは「欧米の鐘には深みを感じないのですが、ニッポンの鐘には精神を統一させてくれる効果があるんです」と話していました。その秘密はニッポンで独自に発展した長い余韻と、その余韻が大きくなったり小さくなったりする「うなり」。幼い頃からニッポンの合気道などを学んだドンさんは、なんとプロパンガスのタンクを利用し、3年で100個以上の鐘を自作していました。

そんなドンさんに鐘作りを教えてくれたのが、創業200年、富山県にある「老子製作所」の皆さん。銅を溶かして造られる鐘には、職人の知恵と技の結晶がありました。「老子製作所」で学んだことを必ず実践すると誓い、アメリカへと帰っていったドンさん。あれから2年。ドンさんから届いたビデオレターには、当時「老子製作所」の皆さんからプレゼントされた鐘が映っています。

nipponikitai_20191111_08.jpeg
「この鐘は老子製作所の皆さんからいただいた宝物で、道場の上座に飾ってあります。いただいた時は震えが止まりませんでした。あまりに嬉しかったので、台座も自分で作って飾っています」とのこと。そして、「老子製作所」で学んだ鐘作りの中でも特に鋳造に感動したと話すドンさんは、試行錯誤の末、なんと今では鋳造で鐘を作るようになっていたのです! 良い粘土が手に入らない上、金銭的余裕もないドンさんは、3Dプリンターで鐘の型を作っていました。

nipponikitai_20191111_09.jpeg
10年ローンで3Dのデザインプログラムを購入し、3ヵ月の独学で鐘の型を作れるようになったそう。これに石膏を流し込み、鐘の型を取ります。

nipponikitai_20191111_10.jpeg
一晩寝かせて固めた後、窯で熱すれば、石膏部分は残って、中のプラスチック型は溶けてしまうそう。この石膏の中には鐘の形どおりに原料を流し込む空洞ができるのです。鐘に使う金属は錫製のお皿。銅は高くてなかなか買えないため、使い古した錫製のお皿を溶かして鐘の原料にしていました。そしてできた鐘がこちら。

nipponikitai_20191111_11.jpeg
音も高めの澄んだ美しい音で、しっかり「うなり」もありました。職人さんたちも「やるだろうなとは思ってたけど、こんなに早く形にするとは」と嬉しそう。

nipponikitai_20191111_12.jpeg
最後にドンさんが手紙で「2年前に皆さんと出会い、私は強く確信したことがあります。魂を込めて鐘を作っている職人がいるからニッポンの鐘は世界最高なんだと。遠く離れていてもいつも皆さんを想い、尊敬しています」と綴ると、感無量で涙を浮かべる人も。ドンさん、これからもアメリカで鐘作りを頑張ってください!

石灯籠が好きすぎるあまり、オリジナルの材料と製法で自作

そして今回ニッポンにご招待するのは、アメリカ・ミシガン州で暮らすクリスさん(42歳)。

nipponikitai_20191111_13.jpeg
クリスさんが愛してやまないのはニッポンの石灯籠。クリスさんの庭にはいくつもの石灯籠が。

nipponikitai_20191111_14.jpeg
ニッポンのお寺や庭園でよく見かける石灯籠ですが、元々は飛鳥時代、神仏に火を奉納する道具として伝来しました。火を灯す部分はお堂の形を模しています。その後、大名や商人が権威を示すために職人の技を凝らした様々な形の石灯籠が誕生。日本独自の進化を遂げ、今は約300もの種類があります。

nipponikitai_20191111_15.jpeg
20年前、シカゴの植物園で日本庭園を初めて見たとき、石灯籠の美しさに心奪われたというクリスさん。元々はIT業界で働いていましたが、自然と関わる仕事がしたい、と園芸用品の店を開店。仕事の研究のために訪れた日本庭園で石灯籠の佇まいに感動し、自ら石灯籠を作るまでになりました。なんと週に5日は石灯籠作りに打ち込んでいるとのこと。

本来は石を削って作りますが、クリスさんの技術と本やインターネットの知識では想像以上に難しく、石からの制作を断念。1年以上の試行錯誤の末、ある方法にたどり着きました。それは園芸用の土やガラス質の火山岩、セメントなどを混ぜ合わせて独自に開発したオリジナルの材料を石灯籠のパーツごとに木製の型に入れて固めるやり方。固まったパーツを削ったり磨いたりしていくと、まるで石から削ったような質感に仕上がります。

nipponikitai_20191111_16.jpeg
見た目はかなり本物に近いですが、クリスさんは満足していないようで、本物の石から石灯籠を作るのが夢。「私の材料で作る石灯籠は、20年間も形を保つことができません。雨風に晒されても朽ちることなく、味わいを増していくニッポンの石灯籠が本当に憧れなんです」とのこと。
そんなクリスさんをニッポンへご招待!

約2000基の石灯籠が佇む「春日大社」に感動!

ニッポンに来たら真っ先に行きたかった場所は若者の街・原宿。車を停めたのは表参道の交差点。たしかに道の両側に巨大な石灯籠があります。

nipponikitai_20191111_17.jpeg
「この石灯籠は明治神宮建立の際に建てられたんですよね。100年前にできたと思えないほどしっかりとした佇まいですね」とクリスさん。

続いてクリスさんが向かったのは、奈良県にある世界遺産「春日大社」。春日大社には多くの石灯籠が並び、その数は日本一。

nipponikitai_20191111_18.jpg
境内には900年近く前から寄進されてきた石灯籠があり、参道だけでもその数は約2000基。苔がたくさんついた石灯籠や、珍しいデザインの石灯籠など目に入るすべての石灯籠に興味津々なクリスさん。そこへ春日大社国宝殿の学芸員・秋田真吾さんがやってきました。

nipponikitai_20191111_19.jpeg
クリスさんの熱い思いを伝えたところ、案内してくださることに。「こんなにたくさんの石灯籠が見られて天国にいるような気分です」と話すクリスさんに、秋田さんは「江戸時代には毎晩これらの灯籠に火が灯っていた」と教えてくれました。その様子を想像してクリスさんは一言。

nipponikitai_20191111_20.jpeg
石灯籠は神社仏閣だけでなく、千利休が茶室の庭に取り入れたことで美術品としても大きく発展しました。そこで京都に場所を移し、クリスさんが向かったのは「白沙村荘(はくさそんそう)庭園」。
この庭園には、平安時代からの名品と呼ばれる石灯籠の数々があります。ここで案内してくださるのは、日本庭園の設計を手がける重森千靑さん。

鎌倉時代に作られた灯籠は、いたるところに欠けた跡が見られます。「お茶の文化によって、こうなっても(欠けてしまっても)いいじゃない、これも美しいじゃない、ということになって...。再び活躍の場を持てるのはすごい話だと思います」と重森さん。千利休以来日本人の中にある"わびさびを愛でる心"を教えてくださいました。

nipponikitai_20191111_21.jpeg

灯籠の原石を切り出している山へ

この日クリスさんは日本有数の石の街・愛知県岡崎市へ。岡崎市では安土桃山時代、岡崎城の城下を整備するため、大阪から優秀な石職人が集められ石材業が発展。彫刻や石材のお店が120軒以上あり、その数は日本一。

クリスさんの熱意を伝えたところ、快く受け入れてくださった職人さんがいました。この道54年の石職人・上野房雄さん(70歳)です。上野さんは伝統的工芸品に指定された「岡崎石工品」の技を受け継ぎ、これまで3000基以上の石灯籠を作ってきた伝統工芸士です。その功績から、去年、瑞宝単光章を受賞しています。

nipponikitai_20191111_22.jpeg
さらに娘の梓さん(38歳)は、全国初となる女性の石職人。クリスさんがやってくると、早速灯籠の原石を切り出している山へ案内してくださいました。本物の石を採掘する現場を見るのは初めてなので、興奮気味のクリスさん。こちらは60年かけて切り開かれた石切り場。

nipponikitai_20191111_23.jpeg
こちらを1人で仕切っているのが、職人歴38年の中根浩二さんです。ここの地層は7500万年くらい前のものだと聞いてその古さに驚くクリスさん。岡崎は茨城県の真壁町、香川県の庵治町と共に日本三大石都と呼ばれる石の名産地。岡崎の山を形成するのは、7000万年以上前にマグマがゆっくりと固まってできた花崗岩です。特に岡崎で採れる石は「岡崎御影」と呼ばれ、粒子が小さく均質なことから石灯籠などの細かい細工に適しており、30センチ四方の塊で20万円以上するものもあります。

nipponikitai_20191111_24.jpeg
まずは火薬で爆破して山から大きな塊を切り出し、矢と呼ばれる杭を差し込んで割ります。花崗岩には、マグマが冷えて固まる際にできた「石の目」と呼ばれる目に見えない細かな割れ目があり、その目に沿って矢を打ち込まないとキレイに割れないとのこと。失敗すれば何万円もの石が一瞬にしてただの石くずになってしまいます。

nipponikitai_20191111_25.jpeg
中根さんは長年の経験と勘で石の目を読み、注文通りのサイズに割っていきます。「アメイジング!まさに職人技ですね」と関心しきりのクリスさん。
そして石灯籠作りに使うのは、飛鳥時代から変わらない石工道具。

nipponikitai_20191111_26.jpeg
石灯籠は主に6つから7つの部位に分かれており、そのすべてを手作業で彫り上げるため、一基の灯籠を作るのに1ヵ月ほどかかることも。今回教えてもらうのは灯籠の笠の部分。

一基仕上げるのにノミを打つ回数は5万回以上

nipponikitai_20191111_27.jpeg
その曲線は石灯籠全体の印象を左右する最も重要な部分。まずはノミと石頭を使い、石の表面にノミ跡を刻んで石本来の風合いを引き出すノミ仕上げという作業。ノミ仕上げされた灯籠は庭園に馴染む柔らかな温かみが加わると同時に、表面の凸凹に水分がたまることで苔が生えやすくなり、自然と調和する石灯籠になるとのこと。

nipponikitai_20191111_28.jpeg
このノミ仕上げをすべての面に施します。クリスさんも挑戦しますが、「とても手が疲れます」となかなか思うようにはかどりません。根気がいる地道な作業で、一基仕上げるのにノミを打つ回数は5万回以上。しばらくすると上野さんはクリスさんのノミ仕上げを見て、「ノミ仕上げに変わりはないんだけど、力がないというのかな」とアドバイス。

nipponikitai_20191111_29.jpeg
上野さんのノミ跡と比べると、クリスさんのノミ跡は浅いことが分かります。ノミ仕上げは遠くから見ても分かるよう、深く凹凸を刻むのがポイント。すると娘の梓さんが「私が最初に作った時もこんな感じで細かかった。力がなくて上手く打てなかったから」と語ります。

nipponikitai_20191111_30.jpg

nipponikitai_20191111_31.jpg
打ち続けること1時間。上野さんから「一番最初と比べるとリズムが違ってきた。素質があるね」と嬉しい一言。2時間かけてようやく笠の裏側が完成しました。

nipponikitai_20191111_32.jpg
その夜、工房の軒先を使ってクリスさんの歓迎会を開いてくださいました。食卓には奥様の光子さんが半日がかりで準備してくれた豪華な料理の数々が並びます。

nipponikitai_20191111_33.jpg
娘さん家族も集まり、にぎやかな歓迎が始まります。

nipponikitai_20191111_34.jpg
地元三河湾で獲れた鯛のあら煮や三河牛の牛タンに舌鼓を打つクリスさん。

nipponikitai_20191111_35.jpg
クリスさんがノミ仕上げで手にできた豆を光子さんに見せると、娘の梓さんが始めた頃も豆ができては潰れていた...と苦労した話を教えてくださいました。

nipponikitai_20191111_36.jpg
100キロ以上の重い石を扱う職人の仕事は男社会。それでも「父の代で終わらせたくない」と、梓さんは高校卒業と同時に弟子入りを申し出たそうです。

曲線を生み出すのは職人の感性で測ったりはしない

翌日、いよいよ笠の表側(曲線)を彫っていきます。上野さんが実際に削りながらコツを教えてくださいます。まずはコヤスケとノミを使い大まかな輪郭を取っていきます。目には見えない石の目を、割れ具合で見定めながら削るそう。削り過ぎてしまうとここまでの作業が台無しになってしまうので、一振り一振りが一発勝負。

nipponikitai_20191111_37.jpg
これは一面の荒削りが終わったところ。4面の輪郭を揃えていきます。カーブのラインは「頭で考えるのではなく、体が勝手に彫っていっちゃう」と上野さん。曲線を生み出すのは職人の感性で、そのために測ったりはしないとのこと。

クリスさんも挑戦してみることに。石頭を高く打ち下ろしてノミに力を強く与えなくてはいけませんが、「手を打ってしまうのが怖いんです」とクリスさん。すると梓さんが「力強く打とうと思ったら間違って手を叩くことが最初の頃はよくあります。ハンマーが跳ね返ってくる力を利用して打つという感じ。体が覚えれば、よそを向いていても当たるようになる」とアドバイスをしてくださいました。そしてもう1つ、大事なのはノミを持つ左手。一打ごとに握る強さと角度をコントロールすることで、必要な石だけを削るのです。

いよいよ1面の仕上げの工程を任されることになったクリスさん。何度も手を打ちながらも、それでも根気よく打ち続けます。上野さんが彫った曲線と照らし合わせながら3時間。

nipponikitai_20191111_38.jpg
上野さんも「だいぶノミの音がよおなってきたもんな。弾んどるよ」とクリスさんの成長ぶりを褒めてくださいます。結局、3時間半かけて笠の一面を完成させました。

nipponikitai_20191111_39.jpg
上野さんから合格点をもらい、嬉しそうなクリスさん。「自分の石の体験の思い出にしてほしいな」と言う上野さんに「永遠に忘れません」と答えます。

翌朝。クリスさんが帰る前に完成した姿を見せたいと、梓さんが早朝から大急ぎで残りの面を仕上げてくれていました。完成した笠を同じ型の灯籠に乗せてみると...。

nipponikitai_20191111_40.jpg
3人で3日間かけて削り出した灯籠の笠。コヤスケとノミだけで作った曲線ですが、梓さんと上野さんが削った面は測ったかのようにぴったりとバランスが取れています。「私が作った部分のカーブだけ歪んでいますね」とがっかりするクリスさんですが、上野さんは「初めてでこんだけやれるってことは、生まれ持った感性があるんじゃないかな」と認めてくれました。

「一振り一振り本当に大変な思いをして作っているので、職人の心もこめられると思う」と梓さん。「自分で経験してみてそう感じました。この笠には1人ではなく3人の魂がこもっていますね」とクリスさんが言うと、上野さんも梓さんも笑いながら大きく頷きます。

3日間お世話になった上野さんと別れの時...。感謝の手紙を読みます。「どこの馬の骨かわからないアメリカ人を受け入れていただき、ありがとうございました。おもてなしいただいたこと、辛抱強く教えて下さったこと、そしてこの友情を一生忘れません。お2人から学んだ技術と魂を注ぎこむ姿は私の今後の道しるべです。すべての時間が素晴らしかったです。また会えますように。ニッポンの家族の皆さんありがとうございました!」

nipponikitai_20191111_41.jpg
クリスさんの言葉を聞いて涙を流す上野さんと梓さん。お互いの石灯籠に対する情熱は言葉の壁を越えて通じ合ったようです。最後は上野さんが、「ニッポンの文化を大事にしてください。ありがとうございました。一生忘れません」とクリスさんが使った石工道具を一式プレゼント。「私も忘れません」と答え、いよいよクリスさんが上野さんのもとを去ります。

帰国を前にクリスさんは、「とても感動的な体験でした。ニッポンに来ることはとても大きな冒険でした。日本庭園に行って春日大社を見て、上野さんのご家族と出会って...。僕にとって夢が叶う以上の出来事でした」と話してくれました。

nipponikitai_20191111_42.jpg
クリスさん、またの来日お待ちしています! そして今回もお世話になった多くの皆さま、本当にありがとうございました!!

そして今夜8時放送! 「世界!ニッポン行きたい人応援団スペシャル 温泉&豆腐を愛する外国人」は...。

nipponikitai_20191111_43.jpg
モロッコで、ニッポン好きを探すイベントを開催。イベントに参加できずも熱烈なアピールをしてくれた、「温泉を愛する」モロッコ人男性をニッポンにご招待することに。日本三古湯の一つ、和歌山県・南紀白浜へ向かい、1300年以上の歴史を誇る日本最古の露天風呂・崎の湯で大興奮!

秋田県仙北市では発見から330年の歴史をもつ秘湯・黒湯温泉へ。旅館を手伝い、きりたんぽ鍋を堪能する。続いて、東京・戸越銀座温泉に向かうと、そこにはなんと当番組応援団員のサバンナ・高橋茂雄が! プライベートでも銭湯をめぐるほどお風呂好きの高橋が銭湯の楽しみ方を伝授する。

そして、勤めていた銀行を辞め、豆腐店をオープンさせるほど「豆腐を愛する」フランス人男性をご招待。「TOFU」として世界各国に広まっているニッポンの豆腐作りを学ぶ。富山県八尾市では経済界から芸能界まで食通の有名人がこぞって訪れ、ネット販売でも完売続出のお店「長江屋豆富店」へ。生しぼり製法で作る木綿豆腐を学ぶ。口に入れた途端溶けるような食感の豆腐に驚愕!

また、沖縄県宮古島では幻の豆腐を作る「石嶺とうふ店」へ。一般的なにがりを使った製法ではなく、海水を加えて豆腐にするという。海水を使用しているお店は5、6軒ほどしかなく、キレイな海がなくては作れないため、「幻の豆腐」と言われている。その信じられない方法にフランス人男性も衝撃!

どうぞお楽しみに!

PICK UP