クラスでイジメられ引きこもり寸前......下町のプリンスを救った言葉:先生、、、どこにいるんですか?

公開: 更新: テレ東プラス

先生と会いたい芸能人が自らの手で探し出し、ガチで居場所を突き止める「先生、、、どこにいるんですか?~会って、どうしても感謝の言葉を伝えたい。~」(毎週金曜夜6時55分放送)。今回は11月1日(金)の放送から、お金持ちキャラで人気のタレント"東MAX"こと東貴博が、自分を守ってくれた小学校の先生を探す模様をお届け。

先生が守ってくれたから、閉じこもらずにいられた

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8年前に安めぐみと結婚し、現在は一児のパパ。そんな東貴博(49歳)が会いたい先生とは、小学校1年生の担任・池沢美津子先生。当時40歳くらいだった池沢先生は、東の記憶によると「赤ら顔で、ちょっとぽっちゃり目のおばちゃん的な感じだった」とのこと。

小学生の頃クラスに馴染めず、ケンカして負けては泣いていたという。そんな東を守ってくれたのが池沢先生だ。体が小さかった東に先生は「すぐ大きくなるから大丈夫だよ」と声をかけ、給食の時間は自分の牛乳をくれた。東は「先生が守ってくれなかったら、閉じこもっていたと思う」と当時を振り返る。

東が覚えているのは、先生が上野のお寺の娘で、小学1年の時にひとりでバスに乗って会いに行ったこと。怒られるかと思っていたが、先生は「よく来たね」と優しく迎えてくれたという。小学生がひとりで遊びに行くほど大好きだった先生。自分を守ってくれた先生に、43年ぶりに会ってお礼が言いたい......。

東が育った東京の下町・浅草で手がかりを探す

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まずは、東が生まれてから24年間過ごした浅草へ。子供のころは、「浅草寺で亀を捕まえて怒られたり、花やしきでイタズラして怒られたり」と、イタズラ好きだったらしい。

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昭和44年、昭和の喜劇王・東八郎の次男として誕生した東。昭和63年、父が他界すると、萩本欽一に弟子入りし、お笑いコンビTake2を結成。浅草から一気にお茶の間の人気者に。

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まず、母校の台東区立千束小学校へ。創立70周年記念の全校生徒と先生が写った1枚の写真から、東は愛用のハズキルーペをかけ、先生を探す。なんとか先生の姿を見つけるが、学校ではこれ以上情報が入手できない。同級生に連絡を取り卒業アルバムを見せてもらったりするが、先生の連絡先は分からない。

数日後、池沢先生は上野のお寺の娘だという東の記憶から、そのお寺を突き止めた。お寺があったのは、上野ではなく文京区。入り組んだ住宅街の中にあるお寺に、先生は今もいるのか?

お寺に向かう中、43年ぶりの再会に「ドキドキ。最初なんて話しかけよう。まず、俺のこと覚えているかどうか」と緊張する東。しかし、先生は17年前、71歳で亡くなった。先生の弟さんの話によると、先生は「東八郎の息子さんが私の教え子」と東のことを気にかけてくれていたという。

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今回、先生に伝えたい思いを手紙にしたためてきた東。残念ながら直接伝えることは叶わなかったが、先生の墓前で手紙を読み上げ、感謝の言葉を伝える。

芸能人の息子であることを、遠慮なくイジってくる同級生に馴染めなかった東。「お前の親父ってテレビでバカなことばっかりやってるやつだよな」とからかわれたという。東の気の強い性格からケンカになることが多かったが、体が小さく負けて泣いてばかり。先生は東も叱るのだが、最後にいつも優しい言葉をかけてくれた。

「あなたは本当にお父さんのことが好きなのね。私も大好きよ。とっても面白いもの。先生もお父さんの大ファンなのよ」。
この先生の言葉に、東は何度も救われたという。

「あの時の先生の支えがなければ、僕はものすごく大人しい子どもになっていたかもしれない。本当に感謝しています。ありがとうございました」
手紙を弟さんに託すと、教え子との思い出を聞けて「良かった」と、感慨深そうな表情を見せた。

池沢先生は、東の担任を務めた後、3つの小学校で教鞭をとった。その後、両親の介護のため50代後半で退職。平成14年、71歳で帰らぬ人に。最後まで、教え子や同僚の先生に愛されていたという。

次回11月15日(金)夜6時55分からの放送は、関根勤と、元バレーボール日本代表・益子直美が恩師を探す。関根の笑いのベースを作ってくれた小学校の先生とは? そして益子の涙のワケとは?

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