水面に浮く巨石「石の宝殿」に、震災を予言した「四口の神釜」...。「日本三奇」がある神社を訪ねる

公開: 更新: テレ東プラス

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古くから言い伝えられる不思議スポット、「日本三奇」をご存知だろうか。もともとは江戸時代の医者・橘南谿が、自著の中で「3つの奇跡」と紹介したのが始まりで、たとえば高千穂峰の山頂に突き刺さる「天の逆鉾」もその1つ。ここでは、由緒ある古い神社に残された、他の2つの「奇」をご紹介したい。

宙に浮く奇妙な石造物「石の宝殿」

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まず訪れたのは、兵庫県高砂市にある生石神社だ。竜山石の産地として古くから栄えた、竜山の中腹あたりに鎮座するこの神社は、3世紀頃の創建と伝えられる長い歴史を持っている。

ここに、世にも珍しい御神体が祀られている。国の史跡に指定される、「石の宝殿」である。「石の宝殿」は直方体をなす石造物で、寸法は横6.4メートル、高さ5.7メートル、奥行7.2メートルという巨大なもの。

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これが「日本三奇」の1つに数えられるのは、一見すると、宙に浮いているように見えるからだ。

かがみ込んで覗き込んでみると、水が張られた溜池の上に、まるで浮かぶように設置されているのがわかるだろう。おそらくは底面の中央部に台座が設けられているのではないかと想像するが、からくりはわからない。その異様さから、「石の宝殿」には「浮石」という別称が付けられている。

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ちなみにこの溜池は、水路が通じているわけでもないのに干ばつの際でもなぜか水位が変わらないというから、謎は深まるばかり。そもそもこの「石の宝殿」は、いつ誰が、何のために造ったものなのだろう?

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できるかぎりの記録をひもとくと、8世紀に編纂された『播磨国風土記』の中に早くも「石の宝殿」に関する記述が発見できる。当時は「大石」と呼ばれ、聖徳太子の時代に豪族・物部守屋が造ったものと紹介されているが、この説に懐疑的な学者も多い。今のところ、真相は藪の中だ。

多くの謎を擁したまま、今も水面に浮かぶ「石の宝殿」。その異景ぶりと醸し出る不思議なありがたみは、御神体として十分な趣がある。ぜひ一度、参拝に訪れてみてはいかがだろうか。

東日本大震災を予言した「四口の神釜」

nihonsanki_20191015_05.jpg画像素材:PIXTA

一方、今度は東北地方に目を移してみると、宮城県塩竈市の御釡神社にも「日本三奇」の一角、「四口の神釜」がある。

これは神器として重宝されてきた鉄製の釜のことで、その昔、この神社の祭神シオツチノオジが製塩に用いたものと伝えられる。もともとは7口あったそうだが、そのうち3口は盗難に遭い、後に「四口の神釜」として奉安することになったという。

この釜には、不思議な力が秘められている。普段はあふれることも涸れることもないと釜の水が、世の中に異変が起こるときのみ変色するというのだ(※撮影不可のため、イラストで再現しました)。

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たとえば江戸時代に編纂された『塩竈町方留書』には、寛永13年(1636)の2月に水の色が変わった際には、時の藩主・伊達政宗の病が発覚し、祈祷の甲斐なく3カ月後に逝去したことが記されている。

元禄2年(1689)にはあの松尾芭蕉もこの神釜を拝観するために御釡神社を訪れたというから、その神秘的な力は当時から全国的な話題を呼んでいたのかもしれない。実際、江戸時代には神釜の水の色を常に見張り、変色した際には藩への報告が義務付けられていたという。

そして近年になってからも、神釜の不思議な力を示す出来事があった。平成23年(2011)に発生した東日本大震災だ。

3月11日の朝、普段は赤茶けた色味の釜の水が、4口のうち2口のみ、透明に変化した様子が目撃されている。その後の惨事は誰もが記憶に新しいところだろう。猛威を振るう津波の被害を、神釜がすんでのところで回避しているのもなにやら意味深だ。

「四口の神釜」は普段、鍵のかかった社の中に安置されているが、拝観料を支払えば誰でも見学することができる。果たしてその日、釜の水はどのような色で出迎えてくれるのか――? 心して拝観してほしい。

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