衝撃の結末! 「人と比べる必要はない。個性を磨けばいい」問題児だった名バイプレイヤーの人生を変えた美術教師:先生、、、どこにいるんですか?

公開: 更新: テレ東プラス

会って感謝の気持ちを伝えるため、芸能人が自ら恩師を探し訪ねる、涙と感動のバラエティ「先生、、、どこにいるんですか?~会って、どうしても感謝の言葉を伝えたい。~」(毎週金曜夜6時55分)。レギュラー初回10月4日(金)放送の2時間スペシャルの中から、俳優・津田寛治が人生を変えてくれた小学校の先生を探しに行く様子を振り返る。

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津田が今どうしても会いたい先生とは、小学校4年生の時の担任の谷口先生。「僕は先生に人生を変えて頂いた」という谷口先生とは、小学校卒業以来約40年会っていないという。

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谷口先生の担当は美術。津田は、「お酒が好きだったのかな」「赤ら顔だったかな」と記憶をたどりながら色鉛筆を走らせ、楽しそうに谷口先生の似顔絵を描いていく。完成した似顔絵がこちら。特徴は「長靴を履いている」「クタクタのジャケット」「農作業用のズボン」。

幼稚園の頃から集団行動ができない子だったという津田は、いろんな先生から「津田くんだけだよ、できていないのは」と繰り返し怒られ、学校に通うのさえも嫌になってしまった。その頃の心の傷は大きく、津田は今でもこの言葉が苦手なのだそう。

集団行動ができない問題児だった津田を、谷口先生だけは褒めてくれた。他の生徒から「津田の絵は何を書いているか分からない」と言われる中、谷口先生は「スゴく個性的で魅力的だよ」と褒めてくれた。そして、津田の絵のどこが魅力的か、生徒の前で説明してくれたのだ。

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その絵がこちら。テーマは「車」。まわりの生徒はスポーツカーや消防車を描く中、津田だけは「小人が夜中にプラモデルを作ってくれている」という頭の中の空想の世界を描きだした。

それまで教室のみんなの前で褒めてもらったことがなかった津田は、「これは現実なのかなと、夢心地でそこにいた」と振り返る。

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「今まで怒られていた人と同じことができないということ、それが個性だということを教わった」

飛び込んだ役者の道で、ここまでやってこられたのも、あのときの谷口先生の言葉があったから。「個性を磨けばいい」

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それから、今でも絵を描いているという津田は、「あのとき谷口先生が僕の絵を褒めてくれたから、今の僕があるんです」と伝え、お礼をいいたいと語る。

毎日通った映画館、夢の世界を目指し俳優の道へ

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谷口先生を探すため、津田が生まれてから18歳で上京するまで暮らした福井県福井市へ。まずは学生時代から通いつめ、今も交流のある映画館に向かうと、なんと偶然にも同じ小・中学校の後輩と遭遇。テンションが上がったのか、方言も飛び出す。残念ながら情報は得られなかったものの、見つかりそうな予感が。

この地に昭和40年に生まれた津田。新聞記者だった父親は中学2年のときに他界し、以来、母親に女手ひとつで育てられた。

学校では問題児だった津田が、毎日のように通っていたのが映画館。「学校も嫌いで、福井の街もあまり好きではなかった」という津田にとって、スクリーンを見つめていれば怒られてばかりの辛い現実を忘れられた。

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「ずっと夢の世界に浸っていたい......」

18歳で高校を中退し、俳優を目指して上京。そこから「35歳まで食えなかった」という長く続いた下積み時代、くじけそうになったとき支えになったのが、やはり谷口先生の教えだった。

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「他人と比べる必要はない」

どんなにケチョンケチョンに言われても、相手にされなくても、それはその人の価値観でそう思っているだけ。その価値観に合わせる必要はない。それを根本的に教えてもらったのが谷口先生だったのだ。

先生の手がかりを発見! しかし事態は急変

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母校を訪れると、現在の校長先生のご厚意で当時のアルバムを見せてもらえることに。卒業アルバムの中に、長靴を履いた谷口先生を見つけ大興奮!

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津田の描いたイラストと当時の谷口先生を比べてみると、特徴をバッチリおさえている。

先生を探すため、小学校の時の親友の連絡先を入手。少しずつ再会へ近づいてきていると思った矢先、事態は急変。電話で親友に谷口先生のことを尋ねたところ、彼の口から出てきた言葉は......

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谷口先生は亡くなったという。親友のご両親から改めて谷口先生の訃報を聞いた津田は、全身から汗が滝のように流れ出る。もっと早く先生をさがしていれば......後悔が消えない。

これで終わりにはしたくない......津田は親友の力を借りて先生の親族を探すことに。そしてついに先生の息子さんと対面。津田は、先生への感謝を伝え、「谷口先生の絵を見たい」をお願いした。

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畑仕事が好きだったという先生の絵を見た津田は、「人と自然の融合を描かれている。本当に精神が清らかな方だったんだな。僕の想像以上に立派な方だったんだなと、絵を見ると伝わってきますね」と感動。

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「農業を愛して、絵を愛して、人を愛してという人生って、誰かの伝記でしか読んだことなかったから、そういう先生に褒めて頂いた事、その先生を心の中で大事にしてきたことが誇らしいです」

津田は谷口先生の遺影を前に手を合わせるのだった。

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翌朝、息子さんとともに谷口先生が眠るお墓へ。自身の絵の写真を「先生に教えてもらった。今、こういう絵をかいています」と墓前に手向け、42年ぶりに先生に絵を見てもらった。

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そして感謝の気持ちを込めた手紙を読み上げる。谷口先生の教えは、津田の人生を変え、として津田の子供へと受け継がれている。

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最後に先生の息子さんから思わぬサプライズが。谷口先生の絵をプレゼントしてくれたのだ。「家宝になります」と、ここで初めて津田から笑顔がこぼれた。

谷口先生は津田の卒業後も10年間、60歳の定年まで教鞭を振るった。退職後は長靴を履いて大好きな畑仕事に精を出し、87歳で亡くなる直前まで絵を描き続けていた。谷口先生の葬儀には、定年から27年後にもかかわらず、生徒が100人以上もお別れに訪れたという。

残念ながら恩師と対面できなかったものの、津田は「亡くなっていたからこそ垣間見られた谷口先生の人生があって。僕の人生で本来は触れられなかった場所で、こういう機会をいただけたからこそ、先生の人生、考え方やお人柄を見ることができた」と、今回の旅を振り返り、先生への思いをかみ締めた。

この番組は、現在「ネットもテレ東」で限定配信中です。

次回10月11日(金)夜6時55分からの放送は、石田純一大和田伸也加藤雅也橋本マナミが恩師の足跡を追う。果たして再会することはできるのか? 感動必至! ハンカチをお忘れなく!!

【石田純一】
高校生のころ、お世話になった都立青山高等学校の現代国語の先生に会いたい!大捜索の末、先生の長男と連絡が取れたが...衝撃の結末が!先生の足跡を追う!

【大和田伸也】
小学生のころ、学芸会で浦島太郎役に抜擢してくれたという大和田伸也。なぜ主役に抜擢したか知りたいという。役者としてきっかけをあたえてくれた先生と感動のキセキが!

【加藤雅也】
大学生の頃、当時芸能界に進むか悩んでいた加藤雅也。加藤は自分のことを理解してくれて背中を押してくれた先生に会いたい。果たして先生を探し出せるのか!?

【橋本マナミ】
高校生のころ、山形から上京してきた橋本マナミ。上京して頼りのない中、お母さん的存在だったダンススクールの先生に会いたい。東京で、先生の足跡を追う!

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