膝の痛みをすっきり解消~東京駅から5分「亀田病院」:読むカンブリア宮殿

公開: 更新: テレ東プラス

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東京駅から歩いて5分ほどの京橋にある「亀田京橋クリニック」。女性専用の待合室もあり、婦人科など、女性向けの診療科が充実しているのが特徴だという。他にも内科や外科をはじめ、診療科は全部で22ある。

手術後の経過観察のため訪れた宇津見トシ子さん(72)。夫婦で出歩くのが楽しみだったが、3年前に膝を痛め、杖なしでは歩けない状態になっていた。変形性膝関節症だった。膝が大きく曲がるなど、高齢者に多い。老化などで軟骨がすり減ると、クッションの役割が失われ、痛みが出るのだ。

宇津見さんを治療したのが、膝のスペシャリスト、スポーツ医学科部長・加藤有紀医師。治療には人工関節を使う場合もあるが、加藤は、宇津見さん自身のヒザの軟骨の運動に差し支えない部分を欠けた部分に移植する、「自家骨軟骨柱移植術」を行った。

宇都見さんは痛みがなくなっただけでなく、正座までできるように。さらに加藤は、曲がっていたヒザをまっすぐに整える手術も行った。

「アクティビティの非常に高い方、農作業でしゃがんだり正座したりが多い方には、もし治せるのであれば、人工関節以外で治せたら一番良い方法だと思います」(加藤)

このクリニックの母体は房総半島南部、千葉県鴨川市にある「亀田総合病院」だ。地元をはじめ全国から1日3000人の患者が押し寄せる。その理由は、国内トップレベルの医師を多く抱え、高水準な医療が受けられることと、ホテル並みの病室など、徹底した患者サービスにある。

カンブリア宮殿でも7年前に取り上げ、亀田信介院長に登場してもらった。

その後も進化を続ける亀田が東京に開業した「京橋クリニック」は、いわば出先機関だ。京橋に作った最大の理由は、遠方からの患者がアクセスしやすいこと。診察は京橋で受けて、手術が必要なら鴨川の本院へ。そして、術後の診察や治療などは再び京橋をベースに。患者にとって利便性がぐっと高くなる。

「亀田京橋クリニック」に通う、都内に住む三浦健一さん(52)。20代からトライアスロンなど激しいスポーツを続けてきた結果、膝の軟骨がすり減ってしまった。

亀田の本院で三浦さんの手術が行われた。執刀するのは加藤だ。治療法は患者自身の軟骨を使った最先端の再生医療、「自家培養軟骨移植術」。スポーツや交通事故などで、軟骨を広範囲に損傷した患者が対象となる。

富士フイルムの子会社が、事前に採取した三浦さんの軟骨を4週間かけて培養していた。出来上がったのは500円玉ほどの軟骨シート。これを軟骨が欠けたところに移植する。続いて、培養軟骨の上にコラーゲンでふたをする。縫い合わせると、1年ほどで綺麗な軟骨に生まれ変わるという。

この手術数で加藤は、昨年度国内最多。保険がきき、高額療養費制度により、患者の自己負担は6万から25万円程度だ。

「テニス、ゴルフ、マラソンを続けたいという人が、やめなくて済む可能性がある。患者にメリットがあると思えば、新しいことをどんどん導入するところが亀田の魅力だと思います」(加藤)

その加藤を頼って京橋にアテネオリンピックの柔道金メダリスト、鈴木桂治さんがやって来た。現在は男子日本代表のコーチ。長年の選手生活でヒザはボロボロの状態だという。

「全ての手術を入れ込み、フルコースで元の状態に戻そうと思っています」(加藤)

「やはり柔道をやる者としては、正座ぐらいはできるようになりたい。この先生しかいないという気がしています」(鈴木さん)

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胸を切らない乳がん治療~「亀田」の医療を東京で

鴨川の海でサーフィン大会「亀田カップ2019」が開かれていた。医療関係者が多数参加。中には「2019年度のオリンピック強化指定選手に入っています」(看護師・庵原美穂)というプロサーファーも。一方、浜辺のステージでは地元の人も盛り上がっている。

「向こうではサーフィン大会、こっちはお祭りみたいでしょう。一日中いろいろやっているんです」と言うのは、亀田メディカルセンター理事長・亀田隆明。このイベントの目的は、医療者と地域の人をつなぐことにある。

亀田家は鴨川で300年以上続く医師の家系。11代目となる隆明自身も、心臓血管外科医として多くの患者を救ってきた。いまや、9つの病院やクリニックを経営する亀田メディカルセンターのトップ。「亀田京橋クリニック」は隆明の主導で生まれた。

京橋には、患者の利便性以外にも狙いがあるという。それは病気の早期発見。そのため人間ドックに力を入れている(標準コース・5万7240円~)。がんや心疾患に特化した特別コースもある。

たとえば最新鋭のCT。撮影が難しい血管の内部も詳細に3D化。病気の前兆の発見につなげている。

「ここは何か異常が見つかったら本当に早い段階で治療まで持っていくことがほとんどのケースでできる。そこが京橋の最大の特徴だと思います」(亀田)

早期発見と最先端の医療で多くの女性を救ってきたのが、乳腺科主任部長の福間英祐医師。福間は乳がんの治療に世界で初めて内視鏡を取り入れた、乳房温存術のパイオニアだ。

その福間が確立した最新の治療法が、「針だけを刺してがんのところを凍らせてがんを死滅させる治療法。『凍結療法』と言っていただければ」(福間)。

凍結療法とは、がん細胞だけを狙い撃ちして凍らせるもの。胸の形もほぼ変わらず、再発率も低いという。ただし凍結療法を受けるには条件がある。大きさが15ミリ以内のがんであること、増殖しにくい「おとなしい」がんであること、さらにリンパ節への転移がないことだ。

「病気になってもハンディを負わないような治療をしたい。できるだけ負担の少ない治療をしたいと思います」(福間)

使うのは直径3ミリほどの針。これに液体窒素を流すと、針先がみるみる凍っていく。マイナス170度でがんを凍らせるのだ。局所麻酔だから、治療中も会話ができる。1時間ほどでがん細胞を完全に死滅させた。保険はきかず、60万円ほどかかるが、入院は基本2泊3日。中には日帰りで済むケースもあるという。

「新しいことに対するチャレンジは、我々にとって必須だと思っている。それがないと存在意義がなくなってしまう」(亀田)

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最先端のがん診断~地方病院も救え

滋賀県湖南市に住む上西保さん(68)は、肺がんを疑われ手術を受けるところだった。だが、亀田のある仕組みによって、免れたという。

「手術もなく、いろいろな方向で診てもらって、この患者にはこれがいいと決断してもらえたので、非常に有り難かった」(上西さん)

その秘密は、「亀田京橋クリニック」が始めた世界初の診断システムにある。それは、病気の疑いをCTやMRI画像で見つける放射線科医と、顕微鏡で細胞を調べる病理医が合同で診断するというもの。通常はそれぞれで診断を下し、交わることはほとんどないという。

上西さんの場合、当初は放射線科医が肺の影を指摘していた。がんと診断された場合、肺の手術が必要だ。このとき、同席していた病理医が別の見解を示した。両者の見解をすり合わせることで、上西さんは「がんではない」と診断され、不必要にメスを入れずに済んだのだ。

このシステムを作り上げたのが、臨床病理科特任包括部長の病理医、福岡順也だ。

「難しい症例はある一定の頻度であります。全症例を1人で責任もってやるのは無理なところがある。みんなで意見を出し合いながら、今の段階で自分たちにできるベストな診断を出すのが望ましいと私は思います」(福岡)

このシステムは、地域の医療を支えるのにも役立っている。

兵庫県・淡路島にある唯一の公立病院。「兵庫県立淡路医療センター」。医師130人で島民13万人の医療を支えている。

加島志郎医師はこの病院でたった一人の病理医だ。病理医は、手術の途中で組織の一部を検査して、がんが取り切れたかどうか判断するのも仕事。その段階で手術を終えていいかどうかの判断を下す重要な役割を担う。判断を誤ってがんの取り残しがあれば再発の恐れもある。そんな重要な役割を一人で背負っているのだ。

この日行われた胃がんの手術。がんは2カ所あり、胃を全摘。さらに胃の上にある食道にがんが広がっていないか、検査する必要があった。

組織の一部をとると、手術室から看護師が飛び出した。組織を急いで病理の加島医師のもとへ送る。組織を入れたカプセルは、病院内に巡らせたパイプを通ってあっという間に病理室へ。すぐさま組織を凍らせ、検査できるよう薄くスライスする。さらに細胞を見やすいように染色して加島医師の元へ。ここまでおよそ15分。

今回は見つけにくいタイプのがん。一人で判断するのは大変難しいという。そこで、スキャナーで読み取りデジタル化して東京の「亀田京橋クリニック」に送る。病理医の福岡が、受け取ったデータを見ながら、淡路の加島医師と検討を始める。

亀田のこのシステムなら、従来はできなかった細胞の詳細な画像をネットでやり取りできるのだ。2人で検討の末、出した結論は「陰性」。およそ3分で診断し、執刀医に連絡。2人の病理医の連携により、最小限の切除で済んだ。

「同じ画面で同じ画像を見ながら会話しながら、その場で答えが出せる。これはある意味革命的だと思います」(加島医師)

この「遠隔デジタル画像診断システム」は現在、海外も含め25の施設とつながっている。全国の病理医はわずか2500人ほど。この仕組みが広がれば、地域の医療格差をなくすことにつながると亀田は考えている。

「離島の病院であっても、僻地の病院であっても、等しく最高の医療を与えることができる空間を提供できると思います」(福岡)

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亀田家最先端の歴史〜電子カルテも先駆け

民間病院としては早い時期に「救命救急センター」に指定された亀田には、必要に迫られて開発したものがある。それが「電子カルテ」。今では診療所でも当たり前に使っているが、実は亀田がその先駆けなのだ。

当時はまだパソコンが普及しておらず、カルテは個々の医師が手書きしていた。亀田の倉庫には紙のカルテが山積みに。いざ急患が来ると、カルテを探すのに大わらわで、処置が大幅に遅れることもあった。

そこで亀田は、カルテの電子化を決断。前例のないシステムを、全くゼロから作り上げ、1995年、ようやく完成させたのだ。

24時間365日保育~地域とともに進化

亀田のスタッフはおよそ3000人。人手不足のなか、これだけの人材を集めるために、先進的な取り組みもしている。

理学療法士として働く彦田由子が勤務を終えて向かったのは、病院から車で7分のこども園「OURS」。預けていた5歳の長女を迎えに来た。別室には4歳の長男、1歳の次男も。「子育てをしているスタッフがたくさんいますが、心配が何もないです」と言う。

ここは亀田が3年前に作った認定こども園。幼稚園と保育園が一体になった施設で、0歳児から24時間365日預かっている。亀田の関係者でなくてもOKだ。母体が病院だから3人の看護師が常駐。急に熱を出したりしても、保護者が慌てて駆けつける必要がない。夜の延長保育は1時間100円(22時まで)。400円で夕食も付けられる。

仕事を終えた亀田の産婦人科医が、子どもを迎えに来た。「結構遅くまで預かってくれますし、ご飯もあげてくれるので、そういうサービスはすごく助かっています。妻が麻酔科医で、今日は当直なので」と言う。

午後になると小学生がやってくる。放課後の小学生を預かる「学童保育」もやっていて、地域の共働き家庭に、重宝されている。

こうした環境が気に入り、東京の病院から亀田に移ってきた医師もいる。

「保育の環境がしっかりしているので、鴨川に来る価値があるかなと思って来ました」(整形外科医)

園長の米倉和昭は「医療との連携もスムーズですし、地域のみなさんと一緒になって、子どもを希望をもって育てられる、育てやすい町づくりに貢献させていただいてます」と言う。安心して働ける環境を整え、亀田は地域を丸ごと支えている。


~村上龍の編集後記~
「鴨川の亀田」医療界で知らない人はいない。患者はもちろん、医師、看護師など職員にも、そして地域にも配慮があり、電子カルテなど先進的な取り組みも早く理想の病院のように言われている。
「なぜ鴨川にそんな病院が?」その問いそのものが間違っている。大都市ではなく鴨川だから、江戸時代の開業から絶えざる挑戦を続け、時代変化の速度を把握しなければ生き残れなかった。最新鋭の京橋クリニックは、その象徴で集大成だ。
経営は黒字、だが採算は最優先ではない。最優先は「患者にとってのより良い治療」それだけである。

<出演者略歴>
亀田隆明(かめだ・たかあき)1952年、千葉県生まれ。日本医科大学医学部卒業後、心臓血管外科医に。2008年、亀田メディカルセンター理事長就任。

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