行列ができる農林水産省の”社食”。フレンチ出身の料理人が総料理長を務めるその理由

公開: 更新: テレ東プラス

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農林水産省の庁舎内に、「手しごとや 咲くら」という職員向けの食堂があります。ランチタイムは一般向けにも開放していて、オープンは11時30分。いつも多くの人が、この店の料理を楽しみに行列を作っているそうです。

総料理長の伊藤誉志さんは、かつてフレンチの料理人でした。フレンチと職員食堂、一見ミスマッチに思える組み合わせですが、そこにはある共通点があったのです。

今回は職員食堂でありながら、この店を外来からの行列ができる人気店に育てた伊藤さんに、その料理へのこだわりを聞いてみました。

"受け身"の姿勢から生み出される食材仕入れのキホン

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──「手しごとや 咲くら」さんでは、食料自給率をあげるべく国産食材を主に利用していると伺っています。メニューにも自給率が書かれていますが、どのように仕入れをしているのでしょうか?

「前日の18時から19時ぐらいに、明日の朝の仕入れについての情報が入ってくるので、そこから何を買い、どんなメニューをするかを毎日考えています。食材というのはその日に多く採れた旬のものが、一番安くて旨いわけじゃないですか。自分がこれを作りたいからとグランドメニューを作り、それに合わせて材料を買っていると、やりにくくてしょうがない。そうしていると、自然と国産の食材を使うようになり、自給率があがっていくわけです」

──毎日メニューを変えているんですか!? それはかなり手間がかかりそうですが。

「それはもちろん大変ですよ。だからこそ、皆さんは安定して大量に供給できる、海外の食材を使っているわけです。例えば、今日もサバのフィレで、これまで仕入れていたサイズのものが無くなってしまったんです。でも、もっと大きなサイズのもので、美味しくてグラムあたりの安いものがあるなら、それをカットして調理する。今月は『牛バラ中華風煮込み』を限定ランチとして出していますが、これもバックリブの端材を集めてもらって、まとまった量が安く手に入ったからこそ提供できたものです」

──「自分がこれを作りたい」のではなく、ある意味で受け身になることが、本当に美味しいものを作ることにつながると。

「このお店は農林水産省の職員の方の食堂なので、毎日の食事の選択肢になるように、少しでも安く提供したいという面もあります。そうなると、海外からの仕入れでは、どうしても大企業や他国に買い負けてしまう部分もあるので、国内で安くて美味しいものを探すのが自然なんです」

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──実際にどの料理も手間がかかっているのに安いですよね。ビュッフェでおかずを二品頼んで、ごはんと組み合わせても1000円以内で食べられます。カレーや丼ぶり、御膳といったセットメニューを20品近く提供しながら、ビュッフェも30種類ぐらい提供するというのは、実際かなり大変なのでは?

「そこなんですよね」

──本当にどうしているのかなぁと。農林水産省のパイプで、凄い仕入先でもあるんじゃないかと(笑)。

「そういうのは全くないです(笑)。だから、月末になると、いつも目をふさぎたくなるような状況ですね」

──原価率が高そうですものね。

「高いんです。高いうえに、どんどん仕入れ値が上がっていますが、10年間変わらない値段でやっているので。本当に大変ですよ」

食材が調理で美味しくなる理屈、土地ならではの料理法を共存させる

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──伊藤さんは10年前にはフレンチの料理人だったと伺っています。それが、なぜ「手しごとや 咲くら」で料理を提供されるようになったのでしょうか。

「フランス料理を作っていると、実際に現地の味を確かめたくなって、長期に渡ってフランスに行ったことがあったんです。そこで改めて実感したのは、フランス料理とは日本でイメージされる洒落た料理ではなく、フランスの郷土料理だということ。例えば、日本でフランス料理と言われているものにブイヤベースがありますが、これは地中海に面したマルセイユが本場で、北海側のブルターニュにいっても出てこないわけじゃないですか。なのに、遠く離れた日本で、フランス料理としてお客様にお出ししている。これって違和感がありませんか?」

──フランス国内ですら地元でしか提供しないものを、日本で提供するのは不自然だと。

「少なくとも理にかなっていないかなと。それに、フランスにはチェーン店がありませんから」

──あれ、そうなんですか?

「食については、ほぼそうですね。効率を追求したらそうなるのは分かりますが、せっかく向こうで採れた食材を、はるばる日本まで送ってもらって食べるというのは、どうなんだろうと」

──そこで、日本で無理なく手に入るもので、料理を作ろうという思考にたどり着いたわけですね。そういえば、「手しごとや 咲くら」には、フレンチや日本料理といった枠組みもないような。

「ないですね。食材を美味しくするにはどうすればよいかは、今ではすべて論理的に解明されています。私はどちらかというと、そういう分子調理のようなものをやっていたので、例えば肉なら低温で火を入れて柔らかく仕上げるなど、理屈で料理を作っていたんです。今でも青魚であればガンガンに焼いて油を落としますし、逆に戻りガツオなんかは脂肪分が少ないので、脂の多いソースにする。食材と話しながら理屈を入れれば、ちゃんと旨いものが作れるんです。そこにフレンチや日本料理といった区別はありません」

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──職員食堂で国産食材にこだわった料理を出すという、新しいことにチャレンジしているようでも、根本は変わっていないんですね。むしろ、理屈で料理してきた土壌があったからこそ、食材ありきの受け身になっても応用が利くという。

「まぁ、頑固な個人店ですよ(笑)。例えば、今ならトマトが安くて美味しいから、いろいろなメニューを作りますし、セミドライにしてオイルに漬けこんで、いつかはパスタフェアをやろうかなと考えたりするわけです。そうして、資源を活かせば無駄がなくなり、自給率があがり、作ってくれた人も喜ぶと思うんですよね」

──いろいろと食材と料理のことを考えると、最後はそこに着地すると。

「絶対にそういう考え方になると思います。そうしていくと、単に日本の食材を使うという話だけでなく、日本の食材を美味しく提供する食文化も守らないといけないなと。だから、うちではクジラやジビエなども料理としてお出ししているんです」

実際に見て、知った食材を使うことが、質の上でも安心安全となる

──食料自給率を上げるというのは、仕入れだけではなく、もっと広い話なんですね。

「広く考えた方が良いということですね。『食料自給率をあげるぞ』って常に考えながら仕入れを続けていると、どこかで疲れてしまうんです(笑)。四季折々の美味しいものが日本にはあるので、それをきちんと分かった上で仕入れて、火を通してお客様に提供する。そんなに難しくはないと思ってやるのが、一番ストレスを抱えないのかなと」

──何か目標を決めて自給率を上げる努力をしているというわけではないと。

「それはもちろん目標は100%ですけど、例えば家畜の飼料まで考えたら、なかなか現実的には難しいですよね。結局のところ、魚をメニューに出そうとしても、漁師の方に漁に出ていただかないと、私は何もできないわけです。今、うちではクジラ料理を出していますが、以前にクジラを獲りに行きたいと漁師の方に話したら、半年は船の上だし、そんな簡単なものじゃないからやめた方がいいと言われました」

──ちょっと待ってください、クジラ漁に行こうとしたんですか!?

「本気で行きたいとは思いましたが、さすがに半年間も店を離れるのは無理でしたね(笑)」

──それは、先ほどおっしゃっていた、"日本の食材をきちんと分かるため"に必要なことだと。

「そうですね、3年前ぐらいは毎週のようにカツオ漁の船に乗っていましたし。ほかにも、海に潜ってワカメを採ったり、江の島でシラス漁の船に乗せてもらったこともありますよ。そこで仕入れているのが、今お店で出している『釜揚げしらす丼』です」

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──現地に行って、一つ一つ確かめたものを仕入れたいと。

「やっぱり知っているものを仕入れるのが、安心で安全じゃないですか。例えば、シラスなら、一目で良いか悪いかが見分けられるようになりました。そこまで分かっていると、相手も良いものしか持ってこなくなるんですよね」

──受け身といっても、一度攻めたうえでの受け身なんですね。クジラも漁にこそ行かれてはいませんが、料理の講演をされるぐらいお詳しいと聞いています。

「最初は農林水産省の職員の方が食事に来られるので、その流れからクジラ料理をお出しするようになったんです。そうしたら、捕鯨協会からクジラ料理を作ってくれないかと言われるようになって、6月には『捕鯨の伝統と食文化を守る会』でクジラ料理を作らせていただいたこともありました。僕はクジラを一番美味しく食べる方法はお刺身だと思っています。だから、生レバーの感覚でユッケを作ってみたところ、これが店で人気になってしまいまして」

──クジラをユッケで食べるんですか!? それは、聞いたことがありませんね。

「僕も他所では見たことはないので、多分オリジナルなんじゃないかなぁ。ただ、もう手が回らなくなってしまって(笑)。売れるんですけど、皿に肉を並べる手間を考えると、もう無理だなと。それで、今お出ししているステーキに行きつきました」

sakura_20190821_06.jpg▲「イワシ鯨ステーキ膳」(自給率56%/798Kcal/1000円)のステーキ

──どのメニューにも仕入れや調理法にこだわりがありそうですね。そういえば、セットメニューにカレーがありましたが。

「あれは、野菜のクズで出汁をとっています。今だとトマトが一杯入っているかな。もう少しするとマンゴーの種が入ってくるので、それも出汁に入れますね」

──凄い、自家製マンゴーチャツネですね!

「その時期の野菜の味が溶け出ているので、色なんかも夏と冬で違いますよ。元々は僕がそういうカレーが好きで、賄いで食べていたんです。それがもったいないと言われたので、メニュー化したら売れちゃって」

──そんなのばっかじゃないですか(笑)

「いやぁ、そんなのばっかりですよ(笑)。だから、このお店で出しているのは、僕が作りたいという料理じゃないんです。あくまで食材ありきですね」

理想を貫き、食の王道を行く

伊藤さんの作る料理は、どれもその日、その時期に手に入る食材ありきのもの。だからこそ「受け身の料理」だと本人は語っていますが、仕入れ、調理などのあらゆる面を、伊藤さんの膨大な経験が支えています。その懐の広さこそが、職員食堂「手しごとや 咲くら」の不思議な魅力なのでしょう。

安定して供給されるものを大量に仕入れてコストを下げる。そういうフランチャイズの発想と、伊藤さんの食に取り組む姿勢は真逆に近いものです。なのに、お店に並んでいる料理は、見ていて「安い!」とさえ思えるものばかりで、食料自給率の向上にも貢献しているといいます。でも、それは私たちの誰でもできることであって、同時に美味しい料理を食べるための王道でした。

オープンから10年、農林水産省 別館の1階には、今日もきっと多くの人が、伊藤さんの料理を求めて待っています。

【取材協力】
手しごとや 咲くら
住所:東京都千代田区霞が関1-2-1 農林水産省 北別館 1F
営業時間:11時30分~14時30分
定休日:土曜、日曜、祝日、閉庁日(12月29日~1月3日)

※この情報は、2019年7月時点のものです。最新情報をご確認の上、お出かけください。

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