東日本大震災のトモダチ作戦のきっかけに! アメリカ同時多発テロで命がけで救助活動を行なった11人の日本人

公開: 更新: テレ東プラス

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世界で活躍する知られざる日本人を取材し、ナゼそこで働くのか、ナゼそこに住み続けるのかという理由を波瀾万丈な人生ドラマと共に紐解いていく「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」(毎週月曜夜9時)。「テレ東プラス」では、毎回放送した感動ストーリーを紹介していく。

9.11の現場で外国人として唯一救助活動を行なった日本人

今回注目したのは、9.11アメリカ同時多発テロの現場で、命懸けで救助活動を行った11人の日本人! 外国人立ち入り禁止という厳戒態勢の中、なぜ彼らは活動できたのか? そこには国境を越えた絆の物語があった!

今から18年前の2001年9月11日。テロリストにハイジャックされた旅客機が、ニューヨークのワールドトレードセンターに激突。世に言う「アメリカ同時多発テロ事件」である。
ワールドトレードセンターは倒壊し多くの人々が下敷きに。死傷者9000人、行方不明者は1000人以上。救助に駆け付けた現地の消防士343人も殉職。当時、第2のテロを警戒し、現場は非常警戒区域に指定され、アメリカ人以外は立ち入り禁止。現地の消防士のみで捜索活動を行っていた。

そんな中、なぜか11人の日本人が外国人として唯一救助活動に参加。そして、このとき11人がとった行動が、のちに奇跡を起こすことになる。その中心になった人物は現在、横浜にある消防訓練センターにいるという。

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彼こそが、同時多発テロの現場で、外国人として唯一救助活動を行った日本人、志澤公一さん(54歳)。

聞けば、志澤さんは仕事ではなく、私的な立場で救助活動を行ったという。しかし、いったいなぜ外国人の立ち入りが禁止された同時多発テロの現場に入ることができたのか? その謎を探るべく、志澤さんと共にアメリカへ!

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ニューヨーク・マンハッタン。18年前、テロによって破壊されたワールドトレードセンターの跡地は、爆心地を意味する「グラウンドゼロ」と呼ばれている。

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そんなグラウンドゼロの近くで志澤さんを待っていたのは、消防士のディヴィッド。志澤さんとは固い絆で結ばれた親友だ。事件後には来日もしており、家族ぐるみの付き合いだという。

実は、この日米二人の消防士の友情こそが、東日本大震災の際、アメリカが2万人もの救助チームを派遣した「トモダチ作戦」を生むきっかけを作ったという。一体、二人に何があったのか?

11人の日本人消防士とアメリカ人消防士の友情

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2001年6月。アメリカのインディアナポリスで、「世界警察消防競技大会」が開催された。この大会には70か国以上の消防士が参加。志澤を含む日本代表はアメリカと接戦の末、消火競技で優勝。

その夜は互いに健闘を称え合い、両国の消防士たちは親交を深めた。ディヴィッドもその一人だ。志澤だけではない、11人の日本人消防士とアメリカ人消防士は意気投合し再会を誓い合った。

しかし、3ヶ月後の9月11日、マンハッタンのワールドトレードセンターが崩落。ディヴィッドの管轄がマンハッタンにあると知っていた志澤は、すぐに電話をかけ、メールを送ったが一切連絡は取れず。

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その頃、アメリカでは救助に駆けつけた消防士たちが崩落に巻き込まれ、多くが消息不明に。生き残った者だけで消火と救助を行なっていた。その中にはディヴィッドの姿が!

決死の救助活動は24時間体制。その過酷さにリタイアする者、多くの死を目の当たりにして精神的なショックで消防士を辞める者が後を絶たなかったという。

ディヴィッドが志澤に返信できたのは事件から11日後。メールには、連絡をくれたことへの感謝と、「助けてくれ」という言葉が......。志澤は救助活動のため、渡米を決意する。
「人がいないのが明らかってことがわかっていて『助けて』って言われたら、動かないわけにはいかないですよね」

妻には引き止められたが、志澤の意志は固かった。どうしても仲間を助けたい。そんな志澤の元に、消防競技大会に参加したメンバー11人も全国から集まった。

こうして11人はニューヨークに向かい、ディヴィッドがいる消防署へ。再会を喜びあい、早速許可証を受け取ろうとしたが......。なんと許可証は出せないという。アメリカ政府が外国人の立ち入りを一切禁止したのだ。

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同じアメリカ人でも、他の州から来た応援部隊すら入れず、圧倒的な人手不足。何でもいい、手伝わせてくれと交渉する中、ベテラン消防士のミッキー・クロスが声をかけてきた。
「俺と一緒ならグラウンド・ゼロに入れるぜ」

ミッキーは、なんとテロ直後に現場から生還した数少ない生存者。ビルの崩落に巻き込まれながらも生き残り、「奇跡の消防士」と言われていたのだ。

グラウンドゼロの入口へと向かうと、確かに中には入れた。しかし、ミッキーから話を聞いた責任者が許可したのは現場の立ち入りのみ。やはり作業には許可証が必要だった。

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そこに一人の牧師が現れる。アメリカでは災害の際、作業員の心のケアや遺体を弔うために牧師を同行させる決まりがある。その牧師は、昔日本に戦争で行き、日本人に銃を向けたこともあるが、それでも我々を助けてくれるのかと聞いてきた。志澤たちが「もちろんです」と答えると、牧師は「そうですか」と一言残し、その場を去っていった。

誰もが諦めかけていた時、「作業に入ってもらいたい」との指示が! あの牧師は元消防士で、現場責任者の上司だったのだ。彼が責任を負い、活動を許可してくれたという。

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志澤たちが作業を許されたのは、次の責任者に交代するまでのわずか6時間。任されたのは遺体捜索だ。火を消しながら、手作業で瓦礫を掘っていく。大量の遺体が埋まっているため重機も使えない。

作業開始から4時間、瓦礫の山に、小さな隙間が! 遺体があるかもしれないと、志澤はベテラン隊員と共に中へ入っていった。

奥へ進むと、現地の消防隊員が背負っていたボンベと同じものが。この近くに消防士の遺体があるはず! だがすでに6時間が経過。責任者に頼み込み1時間延ばしてもらうも、結局時間切れに。

失意のうちに地上に出ると、大きな拍手が起こった。遺体を見つけることはできなかったが、命がけで捜索活動を行った日本人に惜しみない称賛が送られたのだ。

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感謝の証として、地元の消防士から志澤たちにワールドトレードセンターの鉄骨の一部を切り抜いた十字架が手渡された。それには亡くなった3000人の魂が入っている。

東日本大震災"トモダチ作戦"のきっかけに

仲間を救いたい一心で行った捜索活動。その熱い友情が今度は日本を救った。

2011年3月11日、甚大な被害をうけた東日本大震災。発生から3日後、アメリカはまるで9.11の恩返しをするように、2万人もの救援チームを日本の被災地へ。"トモダチ作戦"だ。

ケネディ元駐日大使は、4年前の演説でこう語ったという。
「アメリカ同時多発テロの時、日本の消防士たちが駆けつけてくれたことが、トモダチ作戦のきっかけとなりました」
日米消防士の絆が多くの人々の命を救ったのだ。

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事件から18年。志澤は、ニューヨーク消防局16分署に向かっていた。グラウンドゼロに入るきっかけを作ってくれた、ミッキー・クロスに会いに来たのだ。しかしミッキーは13年前に引退。事件を語り継ぐボランティアとして活動していたが、現在は闘病中だという。

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と、そこへ若い消防士が。「事務所に大切に飾ってあるんだ」と差し出したのは、18年前に志澤が使ったヘルメット。今も大切に保管され、若い消防士たちに勇気を与えている。

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「我々消防士の世界に、国境とか人種とか関係ない。すべてのものを取り払って消防士はひとつなんだよ」

現在、志澤はテロ事件から学んだ教訓を生かし、災害が起きた際に非番の消防士や警察官を現地に派遣するボランティア団体を組織。消防士を続けながら、今も助けを必要とする人のために全国を飛び回っている。

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そして8月19日(月)の「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」は、夜8時から「夏休み特別企画!世界ナゼそこに?子どもたち2時間スペシャル」をお届け! わずか9歳で副社長というスーパー小学生と15人大家族の10歳の女の子。2人の小学生が初めての海外生活を体験するため親元を離れアフリカへ!"ナゼそこ日本人"が営むケニアの孤児院を訪れ、現地の子どもたちと寝食を共にするが...予想もしなかったハプニングが続出!全く違う環境で生まれ育ったケニアの子どもたちと触れ合い、アフリカでしかできない体験をした2人は、何を学び、どんな成長をするのか?

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