大人がハマるカルピス~再ブレイクの秘密:読むカンブリア宮殿

公開: 更新: テレ東プラス

大阪府吹田市の「ららぽーとエキスポシティ」に大行列ができていた。その先で子どもたちが夢中になっていたのは「蛇口からカルピス」。カルピス今年が発売100周年。その記念イベントで、小学生以下の子どもたちに無料でカルピスを振る舞っていた。

メーカーが調べたところによると、全国民の99.7%が「カルピスを飲んだことがある」と答えている。ただ、少子化の時代にあってカルピスは売れなくなっているのではないかと思ったら、大人たちが買っていた。

特に最近、大人にうけているカルピスがある。かつてカルピスは、原液を水で薄めるのが当たり前だった。子どもの頃、原液を入れすぎて叱られ、「もっと濃い味が飲んでみたい」と思った人も多いのではないか。そんな昔の夢を実現させたのが2016年発売の「濃いめのカルピス」だ。乳成分量がカルピスウォーターのおよそ2倍。その名の通り濃い味を楽しめる。発売3年で2億本以上を販売。200億円を売り上げ、大ヒット中だ。

一方、「カラダカルピス」は体脂肪を減らすことをうたった機能性表示食品だ。「カラダカルピス」に入っているのはCP1563株と言う新しい乳酸菌。「脂質代謝を活性化させることで、最終的に体脂肪を減らす作用が期待できます」(研究開発本部・松浦啓一)と言う。

メタボが気になる大人にとって魅力的なこの「カラダカルピス」も1億本以上、125億円を売り上げたヒット商品となっている。

こうした大人向け商品を中心にカルピスは現在、絶好調。この10年で販売量は1.5倍になり過去最高を更新、再ブレイクしているのだ。

群馬県館林市のアサヒ飲料群馬工場。朝8時、カルピスの工場に巨大なタンクローリーが到着する。運んできたのは殺菌加工をしていない絞ったままの牛乳、生乳だ。

その生乳からまず脂肪分を取りのぞき脱脂乳を作る。これを発酵させると酸味が生まれる。さらに砂糖を加え、2次発酵させると、あの甘酸っぱいカルピスになるのだ。発酵させる際に使っている発酵液の中には、酵母と独自の乳酸菌を組み合わせた通称カルピス菌が入っている。カルピスは牛乳を乳酸菌で発酵させた健康飲料なのだ。

カルピスの生みの親は明治時代に生まれた三島海雲。実は海雲がカルピスを発売した100年前からその打ち出しは変わっていない。当時のキャッチフレーズは「美味整腸」「滋強飲料」。おいしくて整腸効果があり、栄養のある健康飲料として売り出したのだ。

カルピスを再ブレイクに導いた立役者、アサヒ飲料社長の岸上克彦(65歳)は、業界をアッと言わせた異色の経歴を持つ経営者だ。

もともとカルピスはアサヒ飲料ではなく、一つの会社だった。1976年に入社以来、岸上はカルピス一筋。営業畑で頑張ってきたのだが、2007年、カルピスは味の素の子会社になる。さらに2012年にはアサヒグループに買収された。

しかし岸上はそんな時もポジティブに捉えた。味の素の傘下に入った時は「グローバルに発展できるチャンス」と、またアサヒグループに買収された時は「やりたかったことが実現できるチャンス」と、常にポジティブな思考を貫き、2015年にはアサヒ飲料の社長に就く。買収された側の企業の人間が日本を代表する飲料メーカーのトップに立つという、異例の出世を果たしたのだ。

岸上率いるアサヒ飲料は、カルピスだけでなく他の主要ブランドも好調だ。発売から135年の「三ツ矢サイダー」は大幅売り上げアップ。発売115年の「ウィルキンソン」も過去最高売り上げを達成している。

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発売100年のカルピス~知られざる開発秘話

カルピスには100年もの間、極秘に守られてきた乳酸菌があると言う。アサヒ飲料でも99%の社員はその保管場所を知らされていない。秘密を守ることを条件に、今回、初めてカンブリアのカメラが入った。

乳酸菌の保管庫の内の温度はマイナス80度。そこに厳重に保管されているのが、100年前の創業時に発見したカルピス菌だ。

「工場などでトラブルなどがあった時には、ここに保管してある乳酸菌を使ってカルピスを製造できるように冷凍保管しています」(フローラ技術部・小山奈津美)

戦時中は疎開させたというほど、ずっと守り続けているお宝だ。

その乳酸菌を見つけ出してカルピスを作ったのが、雑貨商を営んでいた三島海雲だった。

カルピスを生み出すきっかけは1908年、仕事で訪ねた内モンゴル。海雲は長旅で疲れ果てていた。その様子を見た現地の遊牧民が白い飲み物をすすめてくれた。それは家畜の乳を乳酸菌で発酵させた「酸乳」と呼ばれるもの。強烈に酸っぱかったが、毎日飲んでいると胃腸の調子が良くなり、元気が出た。

「これは日本でも広める価値がある」と、帰国した海雲は本格的に乳酸菌の研究を始め、ついに見つけ出したのが保管庫に入っていた乳酸菌だった。

海雲は試行錯誤を重ね、この菌を使って1919年、日本初の乳酸菌飲料、カルピスを完成。その3年後には新聞に、甘酸っぱい味を表現した名キャッチコピー「初恋の味」とともに広告を出した。

おいしくて体に良く、しかも経済的なカルピスは、庶民に受け入れられ日本中に浸透する。さらに1959年からはテレビCMを開始。「お中元にカルピス」とアピールした。この戦略は大当たりし、お中元商戦ではデパートに専門コーナーが生まれ、お中元の定番になった。

健康飲料としての価値訴求でブランド力の底上げへ

しかし、そんなカルピスに思わぬ危機が訪れる。1980年代に入ると自動販売機が普及。缶入り飲料が当たり前になり、ひと手間が必要なカルピスは低迷していく。 「お茶やコーヒーなど、それまで家庭内で飲むものだったのが、いつでも自動販売機で買えて、外に広がっていきました。その中で売り上げは不振になっていきました」(岸上)

1988年、カルピスはついに赤字に転落、起死回生の新商品が求められた。自販機時代に対応する、新しいカルピスの開発が急務となったのだ。

1991年、難産の末に完成したのが、そのまま飲める「カルピスウォーター」。その初代販売マネージャーを務めたのが現社長の岸上だった。 当時、岸上はカルピスを水で薄めた飲料がそれほど売れるとは思っていなかったと言う。「ブランドそのものに対する自信を失っていたのかもしれません。売れるとは思いましたが、そこまで大ヒットとは思っていなかったですね」(岸上)

ところがいざ発売すると、カルピスウォーターは空前の大ヒット。1年で、当初見込んだ5倍が売れた。

「もう本当に頭をガーンと殴られたような感じで、一番カルピスのことを知っていないといけない自分がそういう判断をできなかったと思い知らされたという記憶が強く残っています」(岸上)

この大ヒットで岸上が気づかされたのは、消費者が持つカルピスブランドへの期待の大きさだった。しかしその一方で、カルピスそのものの価値は知られていない。そこで2015年、社長になった岸上は、内モンゴルを舞台に、三島海雲の体験をそのまま映像で表現したCMを打つ。バックボーンを伝え、健康飲料としての価値を訴えたのだ。

「脈々と積み重ねてきた乳酸菌研究によって健康価値を深掘りしてきたので、健康というキーワードをより際立たせて、乳酸菌で健康になれることを認識をして頂きたいと」(岸上)

そして2016年には「濃いめのカルピス」を発売、これまでとは違う中高年層の客の開拓に動く。さらに2017年には機能性表示食品の「カラダカルピス」を発売。もともと健康飲料のカルピスだが、さらに価値を高めた商品を投入したのだ。すると原液タイプのカルピスの売り上げも上昇。見事、ブランド価値の底上げに成功した。

さらに次なる一手として、今度は頭をサポートするカルピスも。新たな機能性表示食品としてこの秋に発売予定だ。

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プロ御用達の逸品~カルピス「幻のバター」

東京・田園調布にある洋菓子屋「レピドール」。1973年から続くこの店には、カルピスと深い関わりのある名物スイーツがあると言う。

それが、バタークリームをコーヒー風味の生地で巻いた「ルーローモカ」(310円)。バタークリームを作る際に使っているバターが、通称「カルピスバター」だ。

「口どけが良くて後味もいい。開店当初からある製品なので40年近く使っています」(シェフ・皆川豊さん)

味には定評があるが、「幻のバター」とも言われる。岡山県総社市のアサヒ飲料岡山工場。カルピスバターの原料は、カルピスの製造過程で生乳から分離させた脂肪分だ。その水分を極限まで飛ばし、熟成させて練り上げると濃厚なバターになる。ただし、作ることができる量は限られている。

「カルピスの副産物なので、カルピスの生産でできたクリームの生産量で、バターの生産量が決まります」(製造部・大島潔)

このバターを一つ作るのに必要な牛乳は、原液タイプのカルピス40本分にもなるのだ。

このバターを使って名物メニューを生み出したのが、東京・銀座の「五代目花山うどん」銀座店。群馬生まれのうどんを振る舞う専門店だ。

平日の夜限定という名物メニュー「鬼ボナーラ~カルピスバター仕立て~」は、ベーコンをカリカリに炒めたところでカルピスバターを投入。そこへ群馬名物の幅の広い「鬼ひも川うどん」を入れる。パスタのカルボナーラをうどんで再現した。幅の広い麺にカルピスバターの効いたソースがしっかりと絡む。

「カルピスバターはすっきりした感じで、素材を邪魔しないでコクもしっかりある。お客様の評判がいいです」(「花山うどん」橋田高明さん)

カルピスバターはスーパーにも並んでいる。その値段は、サイズ大きめとはいえ約1500円。こんな値段にもかかわらず。SNSにはファンの絶賛の声が並んでいる。


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100年続くロングセラー~カルピスの意外なルーツ

大阪府箕面市。この街にカルピスのルーツとも言える場所があるという。岸上が案内してくれた先は教学寺という小さなお寺。境内には記念碑があり、三島海雲の名が刻まれている。

「カルピス創設者の三島海雲はこのお寺で出生したのです」(岸上)

三島海雲はお寺の出身。カルピスを作ることになったのにも、その生まれが大きく関わっていた。

「やはり私利私欲ではなくて、世のため人のためにどうしたらいいかを生涯貫き通した人。日本の皆さんが健康になるおいしいものを作りたいと」(岸上)

海雲は子どもの頃、病弱だったという。しかし晩年は、「何度も何度も富士山に登っていた人ですから」(住職・塚田博教さん)、「92歳まで社長をやった人ですからね」(岸上)と、年をとればとるほど元気だった。

カルピスは体にいいと身をもって示した創業者だった。

~村上龍の編集後記~ 

「初恋の味、カルピス」、素晴らしいキャッチコピーだ。だがカルピスは、甘酸っぱいだけではない厳しい経営環境をサバイバルしてきた。
岸上さんは、カルピスとともに歩んできて、三ツ矢サイダー、ウィルキンソンなど、歴史を持つ商品を擁する「アサヒ飲料」を率いることになった。幸福な組み合わせだと思う。
カルピスは、三島海雲という人物が創り出した。以来100年、基本的な製法は変わっていない。創業者の名は象徴的だ。多くの危機に遭遇したが、カルピスは「海上の雲」のような爽やかさを決して失うことがなかった。

<出演者略歴>

岸上克彦(きしがみ・かつひこ)1954年、京都府生まれ。1976年、立教大学経済学部経済学科卒業後、カルピス食品工業入社。2015年、アサヒ飲料代表取締役社長兼カルピス代表取締役社長就任。

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