“フィリピン残留日本人”のその後を追う:未来世紀ジパング

公開: 更新: テレ東プラス

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8月14日(水)放送の「日経スペシャル 未来世紀ジパング」(毎週水曜夜10時)は、終戦から74年、番組が取材を続けてきた「フィリピン残留日本人」問題のその後を追う。今も続く残留日本人の苦悩や、現地で残留日本人を探すフィリピン人女性の活動に密着し、風化させてはいけない歴史の爪痕を伝える。

フィリピンで今も続く残留日本人探し

日本から直行便で5時間。フィリピンは、セブ島などリゾートとしても人気が高く、近年は高い経済成長が続く。そんなフィリピンと日本には浅からぬ歴史が。1941年、アメリカ軍が駐留していたフィリピンに日本軍が侵攻し、占領した。当時3万人を超える日本人が暮らしていた。しかしその後アメリカ軍がフィリピンを奪還。戦中の混乱の中、多くの家族が離散した。取り残された残留日本人はフィリピン全土で3,800人にのぼるとされている。

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首都・マニラで暮らしているのは、これまで番組が取材を続けてきた冨里(ふさと)・ゼナイダ・スミコさん(78歳)。フィリピン残留日本人だ。その証となるのが国籍証明書。そこには父親の冨里清繁さんと母親の日系2世・アントニアさんの名が記載されていた。今は3人の子どもと孫たちに囲まれ、平穏な日々を過ごしているスミコさんだが、過去には苦悩の日々が。

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4歳の時、父親が日本へと強制送還されたスミコさん。直後に母親も病気で亡くなり伯母に引き取られたが、両親の名前だけでなく、日本人であることすら知らされなかった。7歳になった頃、伯母が保管していた出生証明書を見つけ、自分が「スミコ」という日本名だと知ることに。

大きな転機が訪れたのは2015年。スミコさんのもとを、沖縄で暮らす母違いの弟・利雄さんが訪ねてきたのだ。スミコさんは、利雄さんが持参した写真で初めて父親の姿を見ることに。

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そして今年5月、沖縄にスミコさんの姿があった。スミコさんにとって初めて日本。弟の利雄さんが姉を招待したいと旅費を工面し、ようやく実現したのだ。念願だった父親の墓参りを済ませ、利雄さんの計らいで親戚一同とも対面。水入らずの時間を過ごした。フィリピンに帰国後、一時は恨んだ亡き父への気持ちも変わったと話すスミコさん。「私は日本人です。本当に日本人なんです」と秘めていた想いを口にした。

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残留日本人を支えるフィリピン人女性に密着

太平洋戦争末期に激戦地となったフィリピン中部のパナイ島で、残留日本人をサポートしているシャーリーさんに密着した。2009年、シャーリーさんの尽力で、1人の女性が日本人であることが証明された。母親から受け継いだ一枚の写真が決め手となったのだ。また去年、ある男性は、父親がフィリピンの捕虜収容所にいたときの記録がもととなり、日本国籍取得に繋がった。しかし戦後残された2世たちは迫害を恐れ、身元に繋がるものを処分してしまうことが多く、国籍に繋がる証拠がなかなか見つからないのが現状だ。

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シャーリーさんの活動に同行した取材班は、残留日本人が置かれた過酷な状況を目の当たりにする。シモジ(下地)・ハナさん(76歳)と姉のハルカさん(79歳)の父親は、戦争が始まると日本軍に徴兵され、その後消息不明に。姉妹は迫害を恐れ、母親とこの島に逃げ込んだ。今もハルカさんの暮らす家には電気も水道も無く、長年貧しい生活を強いられている。

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下地さん姉妹は、シャーリーさんたちのラジオによる呼びかけを聞き、日本人だと名乗り出た。その後父親の戸籍が残っていたことから、日本国籍を取得できたという。だが、いったいなぜ、フィリピン人のシャーリーさんがこうした活動を続けているのか? 戦時中に日本軍がフィリピン人に行ったことは理解した上で、「でもそれは戦争だったから。フィリピン人として日本人への恨みはない」と話すシャーリーさん。「取り残された日本人の思いに応え、一人でも多く助けたいのです」と前向きに語る。

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シャーリーさんが取材班を案内したのは、パナイ島山間部にあるソヤック村。深いジャングルを進んでいくと、突然現れたのは聖母マリア像。実はここは戦況が悪化し、街から避難してきた日本人が集団自決した場所。1970年代に行われた日本の調査で身元の一部が判明、中には3歳や0歳といった子どももいたという。「この悲劇を若い世代が語り継いでいかなければなりません。本当に日本の皆さんに知って欲しい」と切実に話すシャーリーさん。取り残された日本人探しは、今もなお続いている。

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番組ではさらに、オーダーメイドの義足を製作し、安価で販売する会社や、農園で現地の雇用機会を広げる男性など、フィリピンの貧困層の暮らしを支える日本人たちを取材。今も残る戦争の悲劇を令和に伝える「日経スペシャル 未来世紀ジパング」は、今夜10時放送。お見逃しなく!

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