実業家・学者・アーティスト? 来日して人生激変!

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時~)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は放送100回記念として、「ニッポンにご招待したら人生変わっちゃった!SP」をオンエア。これまでにご招待した27ヵ国132人の中から、その後すごいことになっている方々を紹介していきます。

まもなく3店舗目! ニッポンの食文化を発信する美女

まず最初に向かったのは、ロシア第2の都市・サンクトペテルブルクに住むアナスタシアさん(29歳)。

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独学でロシアにたい焼き店をオープンするも、客足が伸びず苦労していたアナスタシアさん。そこで、本格的なたい焼きの作り方を学ぶため、3年前に「わかば」富山店店主・小澤雄一さんのもとへ。それまでは中国製のこしあんを使っていたアナスタシアさんでしたが、この時、小澤さんにつぶあんの作り方を教えていただき、今では2日に1度、小豆からつぶあんを作っています。このあんこが好評で、お店は大繁盛。ほぼ毎日やって来る常連さんまでできました!

困った時は今でも小澤さんにLINEで連絡をし、相談にのってもらうよう。お父さんを早くに亡くしたアナスタシアさんにとって、小澤さんは父親のような存在だといいます。
さらにアナスタシアさんは、サンクトペテルブルクに1号店の倍の広さの2号店もオープン。そこではたい焼きだけでなく、天ぷらうどんなどの日本食も出しています。「ここに来るとニッポンに行った気分が味わえる」とお客さんにも大好評。多い日は、40席のお店に200人ものお客さんが来店するとのこと。秋にはモスクワに3号店をオープンするそうで、アナスタシアさんはロシアで日本食ブームをけん引する担い手となっていました!

丼好き少女が、名門大学で日本学を勉強

続いて訪れたのはリトアニア。首都・ビリニュスから北へ100kmのところにある、第2の都市カウナスに住むサメさん(18歳)。スタッフを日本語で出迎えてくれました。

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ニッポンの丼をこよなく愛するサメさんをご招待したのは約2年前。東京・東駒形「野口鮮魚店」の1日3食限定「鮪屋帝王丼」を食べるために開店4時間前から並び、外神田の名店「鳥つね自然洞」では、サメさんがリトアニアの材料でも作ることができるようにと、専用の親子丼レシピを教えていただきました。今でもこのレシピで毎日のように親子丼を作るサメさん。リトアニアでは手に入らない昆布出汁の代わりにトマトを使った親子丼。スタッフはこれをペロリと平らげます。

サメさんは6年間の独学で日本語がペラペラになり、ニッポンに来たことで、「さらに深く勉強したいと思うようになった」とのこと。そこで美大から進路を変更し、見事イギリスの名門・ダラム大学に推薦で合格。大学では日本学を専攻し、2021年から1年間、日本に滞在するそうです。「ニッポンとリトアニアの架け橋になりたい!」と夢を語るサメさんでした。

1枚の広重から始まった奇跡

続いての訪問先はフランス・ボルドー近郊の小さな町。突然の訪問ながら大歓迎で迎えてくれたのは、歌川広重の作品と出会い、浮世絵の虜になったブノワさん(41歳)。

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2年前に訪問した際は、いつかニッポンに行くことを夢見て美術教師をする傍ら、オリジナルの木版画制作に没頭していたブノワさん。

ニッポンでは、彫師・渡辺和夫さんと摺師・吉田秀男さんの工房へ。歌川広重の傑作「大はしあたけの夕立」の降りしきる雨にニッポンの職人技があることを教えていただき、ブノワさんは大きな感銘を受けました。

また、神奈川県大磯町の「ばれん工房菊英」では、伝統的な本ばれん作りを手がけるニッポンで唯一の職人・後藤英彦さんに素晴らしい技を見せていただきました。心尽くしのおもてなしを受け、すっかり意気投合した後藤さんとブノワさん。「若いから、これからいくらでも良い作品が作れると思います」という後藤さんの言葉どおり、ブノワさんはフランスに帰ってからも、ニッポンで学んだ技を活かし、1年がかりで作品を制作していました。そしてなんと、ブルターニュ地方の海辺の情景を描いた最新作が、木版画全集に掲載されたのです。

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そこには「2世紀前のジャポニズムは今日でも見ることができる。それは日本の伝統的な技法を用いるボルドーの版画家ブノワの作品の中に...」と書いてあります。この最新作はブルターニュの美術館に買い上げてもらい、所蔵作品となったそう。さらに今は、2020年にパンセ美術館に展示予定の新作を鋭意制作中とのこと。ブノアさんの夢は一歩ずつ実現へと向かっていました。

鯉に恋する少女が抱いた壮大な夢

2年半前、「錦鯉の素晴らしさを勉強したい」と話していたのは、ポーランドに住む小学生・アンナさん。あれから身長が10cm伸び、14歳の中学生になりました。

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錦鯉の里・新潟県小千谷市を訪れ、鯉師・間野泉一さんにお世話になりました。錦鯉の赤ちゃんから成魚になるまで、どのように選別され、育てられていくのかを見せてもらったアンナさん。最後はサプライズで錦鯉を一匹プレゼントしていただきました。その錦鯉は今もニッポンで育ててもらっています。番組放送後は、視聴者から鯉や魚グッズ、お菓子などが送られてきたそうで、すべて大事にとってありました。

ポーランドに帰ってからも日本語の勉強を続けているアンナさん。今は新たなチャレンジをしています。ニッポンに行ったおかげで鯉がとても愛されていることがわかった反面、病気になる魚がいることも知り、「魚を助ける薬を作る人になりたい」という夢ができたそう。夢に向けて勉強する中、日本語で作文を書きました。そこには人間が海を汚染して魚を病気にしてしまうことや、日本の海の汚染予防システムを他の国が学ぶべきだということ、日本のテクノロジーを使ってきれいな海を取り戻してほしいことなどが書かれています。そしてこの作文が、外国人の作文コンクールで、見事2等賞に輝きました! ニッポンに招待したアンナさんに「将来、世界の魚を救いたい」という大きな夢ができました

涙・涙...タミヤを愛するディエゴさんが再来日!

最後に向かったのはアルゼンチン。ブエノスアイレス州南東部に位置するタンディルには、タミヤの模型を愛してやまないディエゴさん(42歳)が住んでいます。

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6歳の時、祖父に買ってもらったタミヤのプラモデルがきっかけで、その魅力の虜になったディエゴさん。部屋にはうず高くタミヤのプラモデルの箱が積み上げられていましたが、9割は手つかず。その理由は「未熟な自分が作ることでタミヤが完璧でなくなってしまうことに気づいたから。ニッポンで学んでから組み立てたい」とのことで、ディエゴさんは20年間プラモデルを組み立てず、説明書やパーツを眺めながら、いつかニッポンに行く日を夢見ていました。

「タミヤで働きたい!」と、工業高校に通って頑張っていたディエゴさんでしたが、家庭の事情でその夢を諦めざるを得ない状態に...。そんなディエゴさんを、1年前、ニッポンにご招待! ディエゴさんは、長年の夢であったタミヤ本社を訪問しました。

「人生で一番大事な日ですから」とスーツ姿で現れたディエゴさん。まずは本社の壁にタッチしてタミヤにいることを実感。本社の中に足を踏み入れると、感動のあまり涙ぐんでしまいました。

しばらくすると、ディエゴさんが憧れるタミヤ会長・田宮俊作さんが登場。ディエゴさんは、亡き祖父が残したバイクと傷までそっくりのプラモデルを1日7時間、2週間かけて作り、それを会長にプレゼント。ディエゴさんのあふれんばかりのタミヤ愛に触れた会長はすっかり心動かされ、「世界一タミヤの模型に情熱を持っている一番のファンですよ」。

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帰国から1年経った今でも、ディエゴさんはニッポンに行った時のことを毎日思い返しているそうで、お母様も「ディエゴがニッポンに行けたことは私の心の奥に深く刻まれていて、一生感謝を忘れないです」とのこと。

現在のディエゴさんの部屋に案内してもらうと、あるモノがキレイにディスプレイされていました。それはタミヤでお世話になった方々の名刺とタミヤの社章!

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「私にとって大切な方たちの名刺です」と話すディエゴさん。帰国後すぐに、会長から発売前の新製品が送られてきたそう。

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でもこれは、ただのプレゼントではありません。タミヤの社員であれば誰もが経験する、会長からの立派な課題なのです。実際に新製品を組み立て、そのレポートを提出しないといけないそう。ディエゴさんは仕事が終わってから毎日深夜3時まで作業し、10日間で完成させた作品のレポートを、辞書で調べながら日本語で書いていました。

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「少しでも製品作りに貢献できればと思っています」とディエゴさん。さらに「予想外の事態が発生しました」と言って見せてくれたのは、1967年から毎月発行されているタミヤの情報誌「タミヤニュース」。ディエゴさんがタミヤ本社に来たことが記事になって掲載されたのです!

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「本当に恐れ多いことですよ」と言いながらも嬉しそうなディエゴさん。模型愛好家の間では、この情報誌に載ることが名誉とされているそうで、ディエゴさんの特集が2ページも組まれたのですから当然です。

ここで田宮会長からのビデオメッセージが! その中で会長は「ディエゴさんはもう親類のようなものです」と話し、タミヤ歴史館へ。

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そこには、一流プロモデラ―の作品と並び、ディエゴさんが会長にプレゼントした祖父のバイクのプラモデルが!

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「あれほどの情熱があるなら、ここに飾らなきゃいけないと思いました」と笑顔で話す田宮会長。ディエゴさんは「本当に光栄です。僕にとって何よりも価値があるメッセージです」と大変喜んでくれた様子。さらにスタッフは、会長の直筆サイン入りの新たな課題(6月1日ごろ発売 Honda モンキー125)も届けました。

そして今年4月、ディエゴさん再来日! 来日のために自作のTシャツまで準備(笑)。

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いったい、なぜディエゴさんは再来日したのでしょうか? ニッポンで夢中でプラモデルを作っていると、後ろからそっと近づいてきたのは......なんとあの石坂浩二さん!

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実は石坂さんは大のプラモデル好きで、プラモデル歴は60年以上。日本プラモデル工業協同組合の特別顧問でもあるのです。そんな石坂さんにもディエゴさんの並々ならぬプラモデル愛が知られていたようで、「我々の中ではあなたはとても有名人なんです。タミヤがすごく好きな人で、静岡(タミヤ本社の所在地)に行くらしいというので、そりゃ観なきゃと(笑)」。会うことができて光栄と語る石坂さん。

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ディエゴさんの再来日の模様は、近日公開します!

そして今晩8時放送「世界!ニッポン行きたい人応援団」は...。

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カレーパンをこよなく愛するスペイン人女性をニッポンにご招待! 日本独自の惣菜パンの中でも、昭和初期発祥のカレーパンはその元祖。「ヨーロッパではパンはおかずに添えてあるもの。おかずとパンが一体となったカレーパンは最高のパン!」と語る彼女。カレーパンを独学で作っているが、中から具が飛び出てしまったり、キレイな楕円形を作ることができず、目下苦戦中。そんな彼女が、愛媛県にある人気店で絶品カレーパン作りを学ぶ。さらに新作惣菜パンも販売することに...。どうぞお楽しみに!

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