思わず欲しくなる!~客殺到の雑貨&家具:読むカンブリア宮殿

公開: 更新: テレ東プラス

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東京・港区の東京ミッドタウンにある「ワイス・ワイス トゥールス」。今、女性の間で大注目の、素敵な雑貨がそろう店だ。

客が手に取っていたのは、伝統の切子でデザインしたグラス、八千代切子「紅梅」(1万260円)。上からのぞくとまるで万華鏡のように見える。炊いたご飯を入れておく「おひつ」(4万3200円~)は、樹齢300年のサワラの木を使っており、東京にたった一人しかいない手作り桶職人によるものだ。

この店が扱っているのは、思わず手に取りたくなる日本各地の「伝統工芸品」ばかり。客は「自分の家の中にひとつあるだけで、生活が華やぐ」「昔ながらの良さもありつつモダンな商品もあるので、つい買ってしまう」と言う。

客を引きつける理由はほかにもある。

「もともとは武士の袴に使われていた生地」と説明されたのは、「小倉織ハンカチ」(1620円)。小倉織は江戸初期に始まる織物。木綿なのに絹のような光沢が魅力で、戦時中、生産が一時途絶えていたのを、端切れを頼りに復元したという。軽くて丈夫な特徴を生かして、ハンカチやポーチにアレンジした。

一方、見たこともないガラスの器が百色「輪輪フラスコ」(9720円)。施された茶色のグラデーションは漆。「初めてガラスに漆を塗る技法を生み出した工房」のもので、需要が減った漆器の伝統を守るため、開発された「漆ガラス」。ガラスに塗ることによって、漆なのに透き通っている、これまでにない器が生まれた。

ただ見ているだけでは気付かない、商品の裏側にある情報に客は引きつけられている。

「バックグラウンドは大事だと思う。説明してもらうと興味も深くなる」「贈り物としてプレゼントして、『あれって本当はね......』と添えられるのがいい」というのだ。

ワイス・ワイスに並んでいるのは、すべてその背景に「物語」のある商品なのだ。

社長の佐藤岳利(54)は、「日本には気持ちを込めて作ったものがたくさんある。伝えていく機会を私たちが真ん中に立って作っていけたらと思います」と言う。

佐藤が手掛けるもう一つの店、東京・表参道の「ワイス・ワイス ショールーム」には家具が並ぶ。ワイス・ワイスの本業は工芸品の販売ではなく、内装や家具などのプロデュース。ここにあるのは、各地の製材所や家具メーカーと組み、物語を込めて作った家具ばかりだ。

例えば「宮崎県産で、原木シイタケで使っていたクヌギをフレームに使っている」という椅子「ニューモロツカ」(6万6960円)。原木を使わないシイタケ栽培が広まって、需要が減ったクヌギを有効活用したもの。つるっとした肌触りと、硬くて丈夫なのが特徴だ。

「サトヤマサイドチェア」(3万5640円)は「岩手県の栗の木の端材を集成して家具として再生したもの」。合掌造りにも使われる耐久性の高い栗の木の端材を、特殊な加工でつなぎ合わせた。少々値段ははるが、物語に共感して買う人も増えているという。

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被災地の復興を目指して~産地を救った感動の椅子

「クリコマ」(6万2640円)は、ワイス・ワイスがプロデュースしたダイニング用の椅子。通常は7キロほどのものが多いが、4キロと軽い。この椅子にも知られざる物語が秘められている。

その舞台は、杉の山が広がる宮城県栗原市。山で切った杉はふもとの製材所「くりこまくんえん」へ運ばれる。国内の林業は安い輸入材に押され、自給率が36%と厳しい状況が続いているが、ワイス・ワイスの椅子を作っているのは、この製材所なのだ。

きっかけは2011年の東日本大震災。沿岸部は津波に襲われ、被災地の経済は完全に止まった。山あいの製材所は停電により操業がストップ。厳しかった会社の経営はさらに悪化し、危機的状況に追い込まれた。営業担当の大場隆博さんは「どうにもならない状況だったので、この先大丈夫なのかなと思っていました」と、振り返る。

この状況を知って駆けつけたのがワイス・ワイスの佐藤。始めたのが、地元の木を使った物語のある椅子作りだった。

「ワイス・ワイスは、家具をメインに取り扱っている会社だから、ここからヒット商品が生まれれば、ずっと一緒に復興のお手伝いができると思ったんです」(佐藤)

佐藤は、椅子作りなどしたことがない製材所の社員に、2年かけて指導していった。材料に使ったのは、柔らかくて家具には不向きとされている杉。杉の木目を交差させて圧縮することで、固い木材にも劣らない、JIS規格の3倍という強度を実現させた。さらに座面は座り心地を考えて、ミリ単位で角度を調整する。

こうしてできた椅子の物語が評判を呼び、いまや2カ月待ちの大ヒットに。しかも、ヒット商品のおかげで新規の雇用も生まれた。

課題を抱えた林業に活路を見出そうとする佐藤。そこには「今、林業も製材業も産業として成り立っていないんです。仕事をすればするほど赤字になる。適正な利益をみんなで分ち合えるようなことを実現したい」という思いがあった。

実現に向けて、新たな挑戦も始めている。横浜市の「100本のスプーン」あざみ野ガーデンズ店。このファミリーレストランの家具の全てを国産木材でプロデュースしたのだ。この店は「スープストック東京」の姉妹店。食材だけでなく、店づくりにもこだわって、ワイス・ワイスにプロデュースを依頼した。

「料理で提供している食材も、国産にこだわって顔が見えるものを提供していますので、家具も国産にこだわっていきたい」(「スマイルズ」レストラン事業部・山﨑竜馬さん)

「格好良くて安いだけでなく、地域の自然や働く人の思いが込められた新しい価値軸の家具を作っていきたいと思います」(佐藤)

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国産の木材にこだわる~ワイス・ワイスはこうして生まれた

東京・品川区で開催されていた家具のイベント「家具メッセバザール」。国産家具が人気を集めており、さまざまなメーカーがその魅力をアピールしていた。客からは「最後は職人の手作り」「海外のものと比べて、触り心地がいいと思った」と評価されている。

当然、材料も国産だと思いがちだが、実は違う。国産とはいえ原料の多くは輸入木材。「国産家具」の基準を見てみると、確かに「原材料を除く」と書かれている。国内には家具にできる木が少なく、国産家具に使われているおよそ8割が、輸入木材だという。

家具メーカーの販売担当者は「人件費の問題です。伐採に経費がかかる。海外から安い木が入って来ているから、対抗できないんです」と言う。

輸入木材が当たり前の家具業界にあって、国産にこだわる佐藤。その裏には、生き方そのものを変える大きな転機があった。

佐藤は1988年、建物の内装を行う「乃村工藝社」に就職。入社後すぐに海外赴任を命じられ、「シンガポール伊勢丹・スコッツ」「ラマダルネッサンスホテル香港」など、有名百貨店や高級ホテルの内装をいくつも手がけた。

そんな多忙な日々の中で、佐藤はインドネシアの離島巡りにはまっていく。森に暮らす少数民族と触れ合う中で、その生活に引かれていったという。

7年後、佐藤は国内勤務の辞令をきっかけに独立。96年、ワイス・ワイスを立ち上げた。仕事は順調で、「ゼックス愛宕グリーンヒルズ」「日本科学未来館」「グランドハイアット東京」など、大きなプロジェクトを次々とプロデュースする売れっ子となった。

「世界に多店舗化していく波に乗った。このままいくんだと思っていました」(佐藤)

しかしその後、事態は一変する。2005年に起きた耐震強度偽装事件。建築士が耐震強度を偽装するという前代未聞の事件で、建設業界への信頼が失墜した。さらに追い打ちをかけたのが2008年のリーマンショックだ。新規の建設が軒並みストップ。ワイス・ワイスが請け負う仕事もキャンセルが相次いだ。

抱えた負債は1億円に。「このまま倒産するんじゃないかという恐怖。自分の人生から笑いが完全になくなった数年間」(佐藤)だったという。しかも国内ではデフレが進み、値下げ合戦が激化。ワイス・ワイスも価格競争の波に飲み込まれていった。

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「自分も加害者だ」~運命を変えた衝撃の事実

佐藤が下した決断は、コストの安い中国での生産。だがその中国で、運命を変える転機が訪れた。

それは、より安く作れる家具工場を探していたときのこと。佐藤は、見たこともない大量の木材が運び込まれるのを目にする。次々と作られていく日本向けの激安家具だ。

その光景に違和感を覚えた佐藤は、責任者に「この家具に使われている木材はどの国から来たものなのか?」と聞いてみた。答えは「そんなの教えられるか。安い家具を買いに来たくせに、何言っているんだ」だった。

疑問を抱いた佐藤が、帰国後に調べてみると、当時の中国は、違法木材の大量輸入国。しかも多くが、日本向けの家具に使われていた。違法木材とは、伐採が規制されている区域で違法に切られた木材のこと。当時、中国で作られた日本向け家具の3割に、この違法木材が使われていたという。森林が破壊されることで、そこに暮らす先住民は居場所を奪われ、オランウータンなどの野生動物も危機に晒された。

この事実を知った佐藤は、「自分も加害者だ」と、後悔に震えた。

「自分に対する怒りというか、ビジネスマン、経営者である以前に、人間としてやってはいけないことだと思いました」(佐藤)

佐藤はワイス・ワイスの方針を転換する。それが「顔の見える家具作り」だ。どこの木で、誰が作ったかが明確な家具だけを売る。社内の反対を押し切り、強引に進めた。

しかし、その理念に共感してくれる取引先はどこにもなかった。営業をかけても門前払い。ついに、倒産寸前に追い込まれる。

それでも佐藤は諦めなかった。違法木材の勉強会を開き、地道に、少しずつ共感する人や企業を増やしていった。そんな佐藤の前に理解者が現れる。東京・渋谷区にある「ドリーム・アーツ」。急成長中のIT企業が、オフィスの内装を丸ごと任せてくれたのだ。

「木を使うということは持続可能性にもつながるし、我々も間接的ではありますが、参加したいと思いました」(牧山公彦専務)

これをきっかけに認知度が上がり、「山梨県立富士山世界遺産センター」「変なホテル ハウステンボス」「パタゴニア」名古屋店など、公共施設や企業から依頼が殺到。ワイス・ワイスは見事、息を吹き返した。

この春、福岡県北九州市の門司港駅にオープンするスターバックスコーヒーの椅子やテーブルをワイス・ワイスがプロデュースした。使っているのは地元・福岡の木材だ。

「優しい座り心地を感じていただけるのではないでしょうか。日本のさまざまな地域で、こういう取り組みを広げていきたいと思います」(スターバックス店舗開発本部・中川拓真さん)

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新雑貨プロジェクト~伝統工芸、驚きのコラボ

「ワイス・ワイス トゥールス」を舞台に、佐藤が新たな挑戦を始めていた。さまざまな伝統工芸をコラボさせて現代にマッチした雑貨を作るプロジェクトだ。

伝統的なキリコガラスの技術と漆を組み合わせたグラス。織物工房と手染め工房がコラボして作ったストールには、シルクをガーゼ調に織ってある。

「100年、200年と続く伝統工芸の工房があるのですが、廃業する人がたくさん出てきていて、もったいないな、と」(佐藤)

佐藤が目を付けたのは埼玉県・小川町の和紙だ。

訪ねたのは久保製紙という和紙工房。4代目の久保晴夫さんが守ってきたのは、国産のコウゾだけを使った「細川紙」。繊維が長く、丈夫なのが特徴だ。しかし、その需要は減り続け、小川町に750軒あった工房も、いまや8軒に。「厳しいですね。賞状用紙しか安定して売れるものがないんです」と言う。

跡を継ぐことを決めた息子の孝正さんも、「今の暮らしをしている人達に、うちの和紙を『使ってください』と言って渡しても、使い道がないのが現実です」と、不安を隠さない。

そこで佐藤は、孝正さんと一緒に和紙の技術を使った新商品を作ろうと考えた。目指すのは、細川紙の丈夫さを生かしたバッグだ。ただ、「他の紙に比べたら丈夫ですが、布が果たす役割をどこまで果たせるか。不安半分、面白さ半分ですね」(孝正さん)と言う。

破れない和紙を作る。そのために孝正さんが出したアイデアが、コンニャク粉を使うこと。これをお湯で溶かして、一晩寝かせたものを和紙に塗っていく。すると「防水作用と摩擦に強くなる」のだという。

4日後、再び佐藤が訪ねてくると、和紙で作ったバッグの試作品が出来上がっていた。

佐藤はこのバッグを、もう一つの伝統工芸とコラボさせようと考えていた。向かったのは、襖絵をデザインする工房、小川町の宮川紙工だ。

ご主人の宮川さんが、竹筒をたたいて、紙の上に金箔を落としていく。「金銀砂子(きんぎんすなご)」という千年以上続く伝統の技だ。墨一色の絵に、華麗さと奥行きが広がる。

和紙のバッグと金銀砂子の今までにないコラボレーション。今年の夏には、店頭に並ぶ予定だ。


~村上龍の編集後記~
ビジネスシーンでは「デザイン」がキーワードになっている。企画・製品・宣伝戦略などにとどまらず、美しさだけでもなく、価値観、理念、生き方にまで及んでいる気がする。
「ワイス・ワイス」がプロデュースする、栗駒山のスギ材で作られる家具は、荒廃しつつある自然環境や伝統文化、消耗を強いる都市生活への提言など、すべて内包している。
佐藤さんはアジアの辺境の地を旅して、新しい人生観を手に入れたが、具体化するのに長い長い時間が必要で、今もなお苦闘が続く。
それは、その人生観の変化が、本物だった証しだと思う。

<出演者略歴>
佐藤岳利(さとう・たけとし)1964年、群馬県生まれ。1988年、青山学院大学卒業後、乃村工藝社に入社、海外勤務に。1990年、プロジェクトマネージャーに任命。1996年、ワイス・ワイス設立。2008年、フェアウッドによる家具作りにシフト。

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