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2018年9月、東京ビッグサイトで、コーヒーを入れるプロ、バリスタのナンバー1を決める大会「ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ」が開かれた。コーヒーの入れ方や味はもちろん、接客の仕方などを審査していく。その結果、トップ5のうちの3人が同じコーヒー店から選ばれた。

その店の名はサザコーヒー。あまり聞かない名前だが、コーヒー業界では有名な存在だ。

東京駅から常磐線特急で1時間半の勝田駅。駅を降りて聞いてみると、地元茨城の人は誰でも知っているという。駅から歩いて5分のサザコーヒー本店。コーヒーを飲むために順番待ちしている人もいる店内は、90席あるが満席。奥へ行くと、アフリカやパプアニューギニアなど、コーヒーの産地で買い求めた魔除けの仮面が飾ってある。窓の外には広々とした150坪の中庭があり、ゆったりと時が流れている。

客が「おいしいですよ。深いけどくせがない」「香りが全然違う。パッと口で広がる」と言うそのコーヒーには、並々ならぬこだわりがある。

その象徴が店の奥にある工房。ここでコーヒー豆を自家焙煎している。しかも、サザは世界中から良質なコーヒー豆を業者を通さず直接仕入れている。南米のブラジルやグアテマラ、アフリカのケニアやエチオピアなど。コロンビアには自社農園まで持っている。大手チェーンならいざ知らず、地方の喫茶店がスケールの大きいことをやっているのだ。

もちろん、入れ方にもこだわりがある。入れるのは、あのコンテストにも参加していた腕利きのバリスタ、飯高亘。注文ごとに豆を挽きネルドリップで入れる。

「人数プラス1杯分、ちょっと粉を多めに使ってぜいたくに抽出していきます」(飯高)

人数プラス1杯分の法則。これが深い味と香りを生み出す秘密なのだという。入れる際、泡のドームを作るのがプロの技だ。

さらに水にもこだわりが。地下水を汲み上げて、NASAでも採用しているという高性能のろ過装置に通して極限まで不純物を取り除いた水を使っている。

一番人気の「サザ・スペシャル・ブレンド」は1杯500円。メニューはコーヒーだけで25種類。世界各国のコーヒーを扱っているから、お気に入りの一杯が見つかる。

こだわりはほかにも。カフェの隣にはパン工房があり、店で焼きたてパンを提供している。クロワッサンなどのパンがついた「パンセット」(980円)がランチの定番。ケーキも専属パティシエが作った自家製だ。

店内には広い物販エリアがあって、コーヒーに関する様々なグッズが買える。もちろん一番人気はオリジナルのコーヒー豆だ。

「自宅だと店のようにおいしく入れられない」という人のためには、コーヒー教室を開いている。そこで講師を務めるのが、茨城で「コーヒーの神様」とまで言われる会長の鈴木誉志男(76)だ。

「こうやって田舎のコーヒー店が頑張れるのも皆さんのおかげです。その分だけ皆さんに恩返ししないといけない」(誉志男)

1杯3000円のコーヒーを武器に東京にも進出

誉志男が茨城県ひたちなか市にサザコーヒーを創業したのは1969年。地元に足を据えながら、茨城県内だけで10店舗。年商は13億円に及ぶ。

創業時から誉志男を支えるのは、妻で社長の美知子。そして仕入れを担当し、世界中を飛び回っているのが息子で副社長の太郎だ。太郎は良質な豆を手に入れるため、1年の半分以上は海外に。「行くしかないんです。良い豆が出てくるまで通い倒す」と言う。

サザのコーヒーは、茨城の飲食店でひっぱりだこだ。ひたちなか市の和食の店「米寿」では、食後に出すコーヒーはサザコーヒーと決めている。お客の満足度が違うという。

一方、人気のカフェ「カフェ・タマリバ」では、メニューを見ると「サザブレンドコーヒー」と、わざわざサザの名前を打ち出している。

「物心ついたころから地元のコーヒーはサザだったので、お店で飲むものはサザコーヒーと自然になりました」(店長・大谷永浩さん)

茨城で絶大な人気と信頼のサザ。卸先は県内800ヵ所にのぼる。

サザコーヒーは東京でも飲める。2018年7月、東京・丸の内の人気商業施設「KITTE」の1階にオープンした丸の内KITTE店。オープンにあたってインパクトのある武器を持ってきた。それが「パナマ・ゲイシャ」という1杯3000円のコーヒーだ。

「パナマ・ゲイシャ」は、いま世界で最も注目されているコーヒーの品種。10年前にパナマでこのコーヒーと出会った太郎は、その味に衝撃を受けたという。

「甘さと香りが倍以上違う、香りも何も、今までに感じたことのないものを感じました」

「パナマ・ゲイシャ」はオークションでとんでもない高値がつくこともある。時には1ポンド(約450グラム)のパッケージ1つで9万円にもなる。

このコーヒーにほれ込んだ太郎は、何とかその味を知ってもらいたいと、この日、パナマ・ゲイシャを振る舞い、普通のコーヒーと飲み比べてもらっていた。「いい匂い、爽やかなお花の香り」「飲んだことない味」「香りがフルーティー」と、飲んだ人は絶賛する。

サザは決して、店の拡大を図っているのではない。茨城に足を据えながら、ナンバーワンではなく、オンリーワンを追求している。

「田舎であろうと東京であろうと、おいしいものは『おいしい』と思ってもらえる。茨城で支持されているコーヒーをぜひ試していただきたい」(太郎)

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別名「タダコーヒー」~7坪の喫茶店からコロンビアに農園も

茨城県ひたちなか市文化会館で開かれた日本舞踊や伝統芸能の鑑賞会。にぎわうロビーに行列ができていた。そこには誉志男の姿が。コーヒーを無料で振舞っている。

サザの振舞いコーヒーは、地元では有名。実はサザコーヒーの別名は「タダコーヒー」。創業当初から誉志男が地域のイベントや会合に出向いては、コーヒーを無料で配っていたからだ。地元最大のイベント、2万5千人が参加する市民マラソン、勝田全国マラソンでも、20年間欠かさずコーヒーを無料で配り続けている。

「『地元で愛されるコーヒー店』というのが大事なんです。東京にはお店がたくさんありますが、サザコーヒーはこの地域だからこそ愛していただけると感じます」(誉志男)

誉志男は1942年、映画館を営む家の長男として生まれた。一時は映画の興行プロデューサーも勤めたが、60年代にテレビが台頭すると映画は斜陽産業に。そこで69年に始めたのが、わずか7坪の小さな喫茶店、サザコーヒーだった。

当時は都会だけでなく、地方にも喫茶店ブームが訪れ、個人経営の店も続々と生まれていた。コーヒー片手に音楽が聴ける店も登場し、ひとつの文化となる。誉志男もその波に乗ろうと始めた一人だ。だが、誉志男はコーヒーを入れたこともない初心者だった。

「店を始めたときに、『モカ』とか『キリマンジャロ』があるのを知りました。若い学生が来て『知らないのか、オヤジ』と。それがしゃくで、コーヒー店をやってから火が付いた」(誉志男)

そしておいしいコーヒー作りにのめりこむ。自家焙煎にこだわり、注文の都度豆を挽いて、一杯ずつ入れた。82年には800万円もするドイツ製の焙煎機を購入。値段は当時の年商の2倍だった。こうしたこだわりで、「茨城で本格的なコーヒーが飲める店」という評価を勝ち取っていった。

やがて誉志男は「最高のコーヒーを入れるには、自分だけの農園を持つしかない」と考えるように。そして1998年、とうとう南米コロンビアにコーヒー農園を買ってしまう。

「自分が望むグルメコーヒーを自分の手で作るのが夢。自分の理想とすることをしたいという、コーヒー店の最後の願いというか、思い上がりでしょうね」(誉志男)

誉志男が農園の経営を託そうとしたのが長男の太郎。だが太郎は大学の農学部に入り、果物農家になるつもりだった。そこで誉志男は一計を案じる。「南米でフルーツを育ててみないか?」と太郎を誘ったのだ。誉志男の言うフルーツとはコーヒーの実のことだった。

「コーヒーもフルーツで、自分が今まで勉強してきたこともフルーツ。どうやったらおいしくなるかは同じなので、夢が湧きました」(太郎)

2000年、太郎はコロンビアに向かう。当時のコロンビアは政府と左翼ゲリラが対立。内戦が30年以上も続く危険な状態だった。サザの農園がある地域も安全ではなかった。

「『大変なんだよ、前の農園主が殺されたんだ』と。『え、そこに行くのか』と思ったら、『いや、奥さんも殺された』と」(太郎)

身の危険や、コーヒーの全滅といった危機を乗り越え、やがて太郎はこの地域でも一目置かれる農園に育て上げる。そして2017年にはついにコロンビア・カウカ州の品評会で優勝するという快挙を成し遂げたのだ。

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茨城にサザコーヒーあり~親子二人三脚の感動物語

父の作ったサザコーヒーをもっと広めたいと、太郎は茨城県内に出店攻勢をかける。その1つがつくば市の筑波大学キャンパスにある筑波大学・アリアンサ店。大手チェーンやコンビニコーヒーに慣れた若者たちに、サザのコーヒーを知ってもらうためだ。

また、東日本大震災で津波被害にあった大洗町のショッピングセンターには、大手コーヒーチェーンが撤退したあとにあえて大洗店を出店した。このように地元茨城を盛り上げるため、慎重に場所を選んで出店。県内で10店舗を展開するようになった。

さらに10年前から、従業員の技術の向上とモチベーションアップのため、バリスタコンテストへも参加するようになった。

入社4年目の安優希は4回目の挑戦。コンテストに向け、勤務時間後に練習してきた。結果は堂々の4位入賞。「会社全体でサポートしていただいたので、感謝しかないです」と言う。3位入賞の本間は営業マン。コーヒーの知識が増えることで、営業の仕事にも役立っているという。

親子二人三脚のサザコーヒーだが、東京進出を巡っては2人の意見が対立した。

「茨城でどんなに頑張っても、東京の人が一人も分からないまま終わってしまう気がして。活気というか、やはり人口の多いところに商売としては魅力を感じます」(太郎)

「東京は大海からお客に来てもらうようなもので、そのやり方がわからない。田舎のコーヒー店が出ていくのは大変なリスクがあると思いました」(誉志男)

結局、太郎は父の反対を押し切って、2005年、品川駅中のエキュート品川に出店。東京で知名度ゼロのサザコーヒーを知ってもらうため、ある作戦に出る。オープンから3日間、店頭に立ってひたすらコーヒーを入れ続け、通り行く人たちに無料で配りまくったのだ。その数、3日で3000杯以上。それは父が、まだ無名だったサザコーヒーを有名にした「タダコーヒー戦略」だった。

「父がタダで配るコーヒーはすごくにぎわうんです。商売するからには、にぎわいや楽しさがないといけない、タダだと余計においしいと思ってもらえたり、イメージが良くなったり、それは参考になりました」(太郎)

そのおいしさを知った人がリピーターとなり、いまや東京にも3店舗。ゆっくり、しかし着実に、「茨城にサザコーヒーあり」を、知らしめている。

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ケーキ、カップから洗面台まで~地元の逸品を積極使用

サザコーヒーの吉成百合子と宮崎健二が向かったのは、県北部の大子町にあるリンゴ農園「藤田観光りんご園」。ここ日本有数のリンゴの産地で、「大子町は寒暖差が激しいので、味が濃くておいしいリンゴができるんです」と言う。

この大子のリンゴを使ったサザの人気メニューが、本店のケーキ工房で作られている「りんごのタルト」(600円)。リンゴが「これでもか」というほどたっぷり入り、シャキシャキ感を残しているのが特徴。3月までの季節限定メニューで、このタルトを目当てにやって来るお客も多いという。

他にも、岩間産の栗を使ったモンブランや、茨城産のイチゴを使ったケーキなど、サザのケーキは地元づくしだ。

地元・茨城を大切にするサザコーヒー。本店のカウンターに並ぶコーヒーカップの中には、地元の笠間焼のものも積極的に使っている。

誉志男が訪れたのは笠間焼の工房。陶芸家の小林東洋さんは、この地で数々の作品を生み出して来た。誉志男とは40年来の付き合いだ。この日は依頼していたコーヒーカップの窯出しだった。

「うれしいですよね。品物を見てもらって『いいな』と言ってもらえたら、こんなにうれしいことはない」(小林さん)

「地方都市には地方都市のいいものがある。地方都市の果物とか、器とか、地方都市の良さが凝縮して、食の文化にもなると思います」(誉志男)

サザの本店で誉志男が「私の宝物」と言って見せてくれたのが笠間焼の手水鉢。トイレの洗面台まで小林さんの作品だった。サザの地元愛はとどまるところを知らない。


~村上龍の編集後記~
茨城の人たちは幸福だ。サザによって本物のコーヒーを知った。
「コーヒーは奥深い」よく言われるが、鈴木さん親子と話して、そういう曖昧なことではないと思った。
農園で豆が生育し、カップに注がれるまで、手間を惜しまず、どれだけ正確な手順、方法でそのコーヒーが淹れられたか、それに尽きるのではないか。
「生産性と美味は反比例する」。誉志男氏の言葉だ。
わたしは、エスプレッソを飲む。強い香りと味が好みだ。だが、すべての「おいしいコーヒー」にはそれを育む「時間」が必要なのだと、サザによって知ることになった。

<出演者略歴>
鈴木誉志男(すずき・よしお)1942年、茨城県生まれ。東洋大学卒業。1969年、サザコーヒー1号店オープン。1998年、コロンビアでコーヒー農園を購入。
鈴木太郎(すずき・たろう)1969年、茨城県生まれ。1999年、東京農業大学卒業後、サザコーヒーに入社。

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