絶景と人の優しさに感動! 芭蕉が旅した「おくのほそ道」を巡る:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜日夜8時~)。今回は、「俳句」をこよなく愛するホンジュラスの高校生がニッポンへ!

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松尾芭蕉が数々の名句を生んだ「おくのほそ道」を巡る

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《今回ニッポンにご招待するのはこの人》
カリブ海に面した中米の国・ホンジュラスに住む17歳の高校生、ヒメナさん。
彼女が愛してやまないのは、世界で最も短い文学とも称される「俳句」。ニッポンのみならず世界で「HAIKU」としても親しまれ、約70か国200万人以上の愛好者がいるといわれています。

中でもヒメナさんが好きなのは、俳句の生みの親・松尾芭蕉。ニッポンのアニメで松尾芭蕉の俳句が紹介されているのを見て虜になったそうで、研究ノートまで作って芭蕉のことを勉強中。さらに、俳句に込められた意味をきちんと知りたいとの思いから、片道2時間かけて日本語教室に通っています。「いつか漢字を使って自分でも俳句を詠みたいんです」と熱い思いを語ります。

「実際に"おくのほそ道"を歩いて、芭蕉が何を見て、何を感じて俳句を詠んだのか、自分の目で見てみたいんです」ということでニッポンにご招待!

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《おくのほそ道を巡る旅に出発》
ホンジュラスから24時間かけて日本に到着したヒメナさんとお母さんのアンドレアさんは、初めての日本に大喜び!

「時間がある限り、"おくのほそ道"を巡りたいです」というヒメナさんは、今回は1週間の滞在で、芭蕉が弟子の河合曾良(そら)と巡って数々の名句を生んだ東京から山形県山寺までのルートを巡ることに。

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まず向かったのは、「おくのほそ道」の出発地、東京・千住。ヒメナさんは「ここは芭蕉が"おくのほそ道"で初めて俳句を書いた場所です!あ~すごい!」と大興奮。

かつて東北地方=陸奥(みちのく)は、大和朝廷の支配が及ばない「道の奥」「未知の国」ともいわれ芭蕉も訪れたことのなかった地域。そんな細く困難な道に、人生50年と言われた時代、芭蕉は46歳という年齢で挑んだのです。

ヒメナさんは、「芭蕉は家も売って、戻らない覚悟でここから旅立ったんです」と、死をも覚悟して旅に出た芭蕉に思いをはせます。

芭蕉が最も長く滞在した黒羽の温かいおもてなしに感動

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《芭蕉が最も長く滞在した黒羽へ》
翌日は、栃木・黒羽町へ。ここは芭蕉が、「おくのほそ道」で最も長い14日間滞在した場所。ヒメナさんは、その理由を見つけたいそう。

出迎えてくれたのは、「ふるさとを知る会」の直箟(すぐの)浩子さん。黒羽で30年間教師をした後、「おくのほそ道」のボランティアガイドを務めています。最初に連れて行ってくださったのは、芭蕉も訪れた名刹「東山 雲巌寺(うんがんじ)」。昨年、女優・吉永小百合さんが出演したCMでも話題になりました。

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突然、「わ~すごい!色も一緒」と浩子さんが大興奮。CMで吉永さんが使っていた傘とそっくりなものを見つけ、探してきてくださったのです。傘を持ったヒメナさんはCMのようにポーズをとって記念撮影。絵になります。

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お寺にお参りし、初めての紅葉の美しさに「きれーい!」と大感激したヒメナさんは、「ぜひ一句詠んでみたいです」と触発されたようです。

すると、「お姫さまの姫に、那須の那で、"姫那"がいいなって考えてきたの」と浩子さん。ヒメナさんのために俳句用の名前を考えておいてくれたのです。ヒメナさんは、「お姫様ですね!」と大喜び。

こうして出来上がったのは...

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「うんがん寺 雀も唄う 紅葉かな」 姫那

「もみじの中でさえずる雀を想像しました。初めて見る紅葉はとてもキレイで、秋は鳥たちにもきっと楽しい季節だと思ったんです」と、この句に込めた思いを語るヒメナさん。浩子さんからも「いいんじゃないですか。季語も入っているし」と合格点をいただきました。

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お寺の近くでは、地元のお祭りが行われていました。売っていた折り紙を見て、「私も家で折り紙を折っています」というヒメナさんに、地元の方も嬉しそう。「どれでも一つあげますよ」と折り紙をプレゼントしてくださいました。ヒメナさんは、「ありがとうございます。大事にします」と日本語でお礼を。

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その後も、浩子さんは黒羽にあるたくさんの芭蕉の句碑を案内してくださいました。腕を組んで歩く2人は、おばあちゃんと孫のように仲良し。

句碑を巡り「こうやって、芭蕉の言葉が残っていくのは素晴らしいことですね」とのヒメナさんの言葉に、浩子さんは感慨深い表情を。ヒメナさんの俳句や芭蕉への深く熱い思いは、浩子さんにもしっかり伝わっているようです。

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その夜は、「ふるさとを知る会」のみなさんが、ヒメナさん親子の歓迎会をひらいてくださいました。食卓には、芭蕉も食したという黒羽の伝統的なおもてなし料理が並びます。みなさんが、ヒメナさんのために前日から準備してくださいました。

まずは、「お煮しめ」をいただいたヒメナさんは「美味しい!」とにっこり。美味しいそうに食べるヒメナさんの姿に、みなさんも顔をほころばせます。里芋と里芋の茎が入った「親子汁」をいただき「100点!」と美味しさを表現するヒメナさんに、みなさんは「サンキューベリマッチ」と英語で答えてくださいました。

「きっと芭蕉もこんな風に温かいおもてなしを受けたからこそ、素晴らしい俳句が詠めたんだと思います」と芭蕉の気持ちに寄り添うヒメナさんに、「私らより勉強してる」と浩子さん。みなさんから「かわいいし」「美人だし」と絶賛の言葉をいただくと、ヒメナさんは「みなさんも」と返し、温かい笑いに包まれます。

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すっかり打ち解けた様子のヒメナさん親子とみなさん。「ヒメナのおばあちゃんより私らの方が年上」という浩子さんに、「私は新しい孫です」とヒメナさん。お母さんのアンドレアさんも「じゃあ私は娘ですね」と続けて笑いを誘います。そして、医者を目指しているというヒメナさんに、「医者になったら連絡して」とみなさんから応援の言葉も。笑いに包まれる中、心の奥深いところまで触れ合えたステキな歓迎会でした!

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翌日、お世話になったみなさんともお別れ。「ふるさとを知る会」のみなさんから、浩子さんの手染めのスカーフをはじめ、手作りイリゴジャム、自作の俳句、手縫いの作務衣まで、心のこもった手作りのお土産をいただきました。

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そしてヒメナさんからは、みなさんへの思いを込めた俳句をプレゼント。

「句碑巡り あうおばあちゃん 花のよう」 姫那

この一句に、みなさんは笑顔で大拍手!

「昨日はいろんな句碑を見せていただいて、そこでこんなに明るくて花のようなみなさんに巡り会って、芭蕉が黒羽に長くいた気持ちがよくわかりました」とヒメナさん。

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アンドレアさんも「こんなに優しいみなさんに出会えて本当に感激しています」と涙がこぼれ、みなさんも涙...。一人一人としっかり抱擁し感謝を伝え、黒羽を後にしたのでした。

芭蕉のお世話になった宿や山寺の絶景で一句

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《言葉にできない松島の美しさ》
翌日向かったのは宮城県の名勝地・松島。思わず「あー!松島!」と声を上げたヒメナさんは、「ここは芭蕉がおくのほそ道で一番訪れたかった場所です」と大感激!

船に乗って島巡りをしたヒメナさんは、「この景色を俳句にできなかった芭蕉の気持ちが少しわかる気がします」としみじみと語ります。実は、松島は芭蕉がおくのほそ道の中で、唯一俳句に出来なかった場所。この神の為せる技を誰も詞で表すことはできないと、俳句を詠むのをあきらめたのです。

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《芭蕉がお世話になった400年前の日本家屋》
続いて、山形・最上町へ。芭蕉が山越えの途中に急遽お世話になったという400年前の日本家屋がそのまま残っていると、訪ねます。こちらは、江戸時代、国境を守る役人が住んでいた「封人(ほうじん)の家」。管理人の中鉢藤一郎さんが弟子の曾良が座った場所に、そしてヒメナさんは芭蕉が座った場所に座り、「私、芭蕉」とうれしそう。

中鉢さんは、芭蕉がここで詠んだ「蚤虱(のみしらみ) 馬の尿(ばり)する 枕もと」という句は、ひどい目にあったという句ではなく、家の中に馬小屋を設けて家族のように馬と生活する人々の思いに感銘を受けて詠んだのだと教えてくださいました。

馬のおしっこの音を「ジャージャー」と教える中鉢さんに、「ホンジュラスでは、ピティコンピティコン」だというヒメナさん。お互いにマネをしながら、「風景が浮かんできて面白いです」と微笑みます。

そして、ヒメナさんはここで一句。曾良役の中鉢さんに教えてもらって詠んだ句は...

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「長道の 芭蕉ねる 囲炉裏端」 姫那 曾良

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《名句を生んだ絶景》
最後にやって来たのは、山形・山寺。この山寺で、最も有名な句「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」を詠んだのです。

約1200年前に建立され、海外からも観光客が訪れる「宝珠山 立石寺」(通称・山寺)を案内してくださるのは、芭蕉研究家の梅津保一さん。芭蕉に扮し、出迎えてくださいました。

梅津さんの案内のおかげで、普段は撮影できない重要文化財「根本中堂」の中を特別に見せていただけることになりました。1200年に渡り僧侶たちが火を守り続ける「不滅の法灯」に、ヒメナさんは「芭蕉もこの火を見たんでしょうね」と感激。

そして山寺随一の眺望を誇る「五大堂」を目指し、一段上るごとに煩悩が消滅するといわれる1015段の階段を上ること30分、ついに到着! 目の前に広がる眺望にヒメナさんも「すごーい!」

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「この風景を見ていると、とても穏やかな気持ちになります」とヒメナさん。ホンジュラスで「閑さや~」の句を見たときは、「蝉が鳴いているのになぜ静かなのか分からなかった」ものの、この景色を見て「今は少し分かる気がします」と清清しい表情を見せます。

ここで最後に一句。

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「山寺の 落ち葉ふみしめ 道終わり」 姫那

旅を終え、「ニッポンで出会ったみなさんの優しさ、そして見た景色の美しさ、それはきっと芭蕉の時代から変わらないのではないかと思いました。日本人の優しさ、それはニッポンにしかない文化だと思います」とヒメナさん。芭蕉の足跡と共に、日本人の優しさ、温かさにもふれた旅でした。ヒメナさん、またの来日をお待ちしています!

メキシコ人カップルが大衆食堂の味を学ぶ旅、ついに完結!

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今夜1月28日(月)夜8時からの放送は、メキシコで大衆食堂を営むカップルがニッポンの大衆食堂の味を学ぶ旅の完結編! これまで岐阜や東京の伝統的な大衆食堂で大切なことを教わってきた2人は、今回、茨城県鹿嶋市で45年間愛され続ける「いずみ食堂」へ。自家製のタレを使った人気メニューの「焼肉定食」と「しょうが定食」を食べた2人はその美味しさに感動。秘伝のタレのレシピを特別に教えてもらう。さらに帰国後、学んだ味を二人がどう活かしているのかをメキシコで追跡取材!

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