新ビジネスが続々!知られざる家具会社の秘策:読んで分かる「カンブリア宮殿」

公開: 更新: テレ東プラス

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欲しいものが必ず見つかる~客殺到の家具テーマパーク~

人気急上昇中の「コナズ珈琲」。ハワイをテーマに作られたカフェで、名物はハワイ定番のパンケーキだ。「ストロベリー&バナナホイップパンケーキ」(1628円)のそびえ立つホイップクリームは15センチ。砕いたコーヒー豆をトッピングするのがコナズ流。コロナで海外旅行には行けないけど、気軽にハワイ気分が味わえると客が詰め掛けている。

そんな気分を盛り立てているもう1つの要素が家具だという。ハワイの古民家を思わせるビンテージ家具の数々。味わい深い椅子がゆったりした時間を演出している。家具から生まれる雰囲気が女性客に支持されているのだ。

「コナズ珈琲」の家具は日本最大の家具産地、福岡・大川市の関家具が作った。その大川本店には店舗が何棟もあり、九州一円から客がやってくる。

建物は家具のカテゴリー別になっていて、例えば5号棟は若者向け。下に収納が付いていてベッドとしても使えるソファーは現品限りの値段で税込み4万2900円。一方、6号棟はファミリー向けリビング・ダイニング家具のフロア。天然木のナラの木目が美しい「アリエステーブル」が6万940円だ。

「ものはいいけど手が出る価格」という品揃えが人気の理由。ここは総面積3500坪に3万点以上が並ぶ家具のテーマパークだ。

8号棟の「クラッシュゲート」というブランドの売り場には「コナズ珈琲」にあった家具が。「カシャセンターテーブル」(5万7200円)、「ダナーダイニングチェア」(1万4300円)など、風合いのあるビンテージ家具に見えるが、古い建材などを用いた新品だ。

自社製造するだけでなく、海外メーカーの家具も厳選して販売している。「エルゴヒューマンプロ」(11万5500円)という椅子は、腰のサポート部分が独立していて、背もたれの高さも調節可能。気持ちのいい姿勢を楽に保てると評判になり、25万脚を売るヒットとなった。

関家具はこうした商品を直営店で売るだけでなく、全国の家具店やホームセンターなどにも卸している。取引先は島忠や大塚家具など3600店舗以上。売り上げ日本一の家具卸会社なのだ。

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失敗しても文句は言わぬ~挑戦できるユニーク企業

大川市内の本社にはトレーニングルームがある。そこで筋トレに励む関家具の創業社長・関文彦(79歳)は「127まで現役で、あと50年、社長をやる」と言う。

そんな関のモットーが名刺に書いてある。紙を折りたたんだ名刺を広げると細かい文字がビッシリ。「経営の心得13ヶ条」だ。その一つ目には「楽しくなければ仕事じゃない。やりたい事を任す。失敗しても文句は言わぬ、責任は全て社長が取るから思いっ切りやってください」とある。以下、経営者である自らへの戒めの言葉が並ぶ。

その業績は驚きだ。創業から53年間すべて黒字。コロナ禍の去年も、売り上げは過去最高の195億円を記録した。

仕事ぶりも普通の社長とは違う。毎朝、欠かさずにやるのが、オフィスを練り歩き、社員たちに自慢話と称した「いい仕事」を聞いて回ること。それにより「社員のいいところ」を隈なくチェックする。

社内の一角では、釣り用家具ブランドの立ち上げを目論む社員が集まって案を練っていた。社員が「やりたい」と提案すれば、たいていのことは「やってみろ」となる。

一級建築士の資格を持つ住宅事業部の石井昭男は、家具ではなく住宅を作りたいと提案し、事業化した。

「『失敗しても責任は社長の俺が取る』と心強く言っていたので『じゃあやります』と言って存分にやっています。楽しいですよ」(石井)

他にも愛犬家の社員が作ったペット用品やウィッグなど、事業数は60を超えるという。
「屋台骨が10本立っていれば1本抜けても倒れない。1本だったらそれが倒れたら潰れる。いくつも柱を立てた方がいい」(関)

当然ながら失敗もある。ヨーロッパ家具の仕入れ担当、春田秀樹は20代の時、ドイツで出会った真っ白の高級マットレスに一目惚れ。6000万円分を仕入れたのだが、「全く売れない。ビックリするほど売れなくて、さすがにこれはまずいな、と」。

当時、日本のマットレスは柄物が主流。白は「汚れが目立つ」と売れなかった。

「それでも怒られませんでしたから、すごいとあらためて思いました」(春田)

一方、入社10年になる木馬事業部の近藤翔太は、テーブルに使う木材の仕入れを任されているが、「それこそ何百万円の丸太を仕入れて製材したら、木の中に穴があって、1枚もテーブルが作れないことが山のようにあります。社長は何も言わないです、勉強代ということで。一応謝りに行きますが」。これまでの失敗は「総額1億円近い」と笑った。

失敗しても「お咎めなし」だから社員はどんどん挑戦できる。

「すごい楽しいです。働き方改革がなければ休まなくても大丈夫なぐらい」(近藤)

「失敗をしないと成功はないです。『もう一度チャレンジしよう』と経験を生かせば、3度目ぐらいで成功しますよ」(関)

実際、近藤はある事業を大成功させている。あの大きな木材を活かした一枚板のテーブル専門店「アトリエモクバ」を立ち上げたのだ。樹齢1000年以上の屋久杉で作ったテーブルの値段は440万円。「やはり一点物で似たようなものは探せないので、気に入ったら衝動買いされるお客様がほとんどです」(近藤)と言う。

「モクバ」は東京・青山でスタートさせ、今や全国に11店舗を展開。年間21億円を売り上げる。

マットレスで失敗した春田も「コロンバス」というソファーでリベンジに成功している。

「本革に見えますが、レザーテックスという新素材です。自分たちで生地をゼロから開発しました」(春田)

イタリアの高級な本革をモチーフに2年かけて開発。ポリエステル素材に特殊技術で色を重ね、独特の光沢を生み出した。この生地は通気性がよく、長い時間座っても、革のように蒸れることもない。

「イタリア製なら45万円ですが、9万4800円。超売れてます」(春田)

家具屋が素材から作ったソファーは大ヒット。年間30億円を売り上げ、関家具の屋台骨の一本になった。

「やらせてもらうからには大きな成果を出したい。完成した時はうれしかったです」(春田)

社員の「やりたい」という声を集めて事業を広げてきた関は「"社員の成長"が一番の喜び。経営者として今が生き生き、ワクワク、ドキドキで私自身が楽しいです」と語っている。

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裸一貫から国内トップに~会社を変えた反乱劇の真相

創業以来53年間に渡って黒字経営を続けてきた関だが、いつも順調だったわけではない。家具店に商品を卸したものの、その後の倒産などで代金を回収できなかった手形を関が見せてくれた。そのファイルは一冊丸ごと不渡りで、総額は5億円を超えるというが、「担当者を叱ったことは一度もない。それは経営者の責任。社員に言ったらのびのびと仕事ができなくなる」と言う。

1942年、大川の木工所に生まれた関。父親は家具職人だったが、関が高校2年の時に会社を倒産させてしまう。関は高校を卒業すると親類の家具店に勤め、独立を目指して7年間、資金を貯めた。

「切り詰めた切り詰めた。一切無駄遣いをしない。歯磨き粉も使わず節約して貯めた」(関)

1968年、25歳でトラック1台を購入し、たったひとりで「関製作所」を創業。その時に作った家具が会社の中に残っていた。関が企画し、メーカーに発注したサイドボード。これが売れた。

手形の取引が当たり前の時代だったが、関はメーカーに安く作ってもらうために、当時としては珍しかった現金取引を実行した。朝、メーカーで家具を受け取り、小売店に販売。代金は現金で払ってもらい、夜までにそのお金をメーカーに持って行くという方法だ。メーカーも「それはありがたい」と安く作ってくれた。

「朝仕入れて、その日の夜メーカーに代金を支払う。『12時間だけ信用してくれ』と頼んだ。知恵を絞らないと商売は成功しない」(関)

こうして取引先を広げ、次第に他のメーカーの家具卸も手がけるように。さらには輸入家具へと、事業を拡大していった。

しかし1990年代の後半、予想外の出来事が起こる。売り上げの半分を占める輸入家具事業を任せていた、いわば番頭とも言える社員が、ある日突然、取引先を奪う形で辞めていった。追い打ちをかけるように4人の幹部も会社を去り、関は追い詰められた。

「本当に頼りにしている社員が突然辞めた。思いやりと配慮が足りなかったということに尽きます」(関)

なぜそんなことになったのか。当時を知るひとり、猪名富大助常務は「みんな辞めちゃった。当時はむちゃくちゃワンマンで、ヤクザより怖いと思いましたから」と振り返る。

ワンマン社長だった関は「社員の意見を聞くことは恥」とまで考えていたと言う。このままでは社員がいなくなる。会社存続の瀬戸際を迎え、関は大きな決断を下す。

「社員は宝なのに減っていく。減らないためにどうするか。社長の心掛けを変えるしかない、と」(関)

その時に作り、自らに課したのが「経営の心得13ヶ条」だった。社員の失敗に文句は言わず、責任は全て自分が取ると宣言したのだ。

「もともと凡才だから(書くことで)追い込んでいった」(関)

昔を知らない若い社員たちは、関について「ダメと言われたことがない。提案すると『やってみよう』と言ってくれる」「仕事は何でも任せてくれる。自由にできる」と言う。

一方、「昔はとにかく怖かった」と証言した猪名富はこう語っている。

「全然優しくなられたと思います。怖くない。若い社員にとっては『優しいおじいちゃん』になっている気がします」

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~村上龍の編集後記~
創業からしばらくは毎日19時間働いたらしい。家具を積んだトラックの中、四国に渡るフェリーで寝たそうだ。以来、53年間、赤字はない。関氏は、エネルギーの塊のようだった。「心得13ヶ条」は、自身への戒めだ。酒・煙草はやらず、毎朝スクワットなどのトレーニングを維持し、会社と社員に尽くす。社長が社員に尽くすのだ。情報の時代、ワンマンは無理だ。従業員がすべて楽しく仕事をする。127歳まで社長をやるそうだ。実現するかも知れない。

<出演者略歴>
関文彦(せき・ふみひこ)1942年、福岡県生まれ。1961年、高校卒業後、知人の家具販売店に入社。1964年、福岡大学商学部に入学。1968年、福岡大学卒業後、関家具を創業。

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