ジャパネット2代目、脱カリスマ経営の全貌!:読んで分かる「カンブリア宮殿」

公開: 更新: テレ東プラス

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あのカリスマから承継した男~売り上げ過去最高の秘密~

通販大手の「ジャパネットたかた」といえば、思い出すのは創業者の髙田明だろう。佐世保弁の軽妙な語り口で客の心をつかんだテレビ通販の第一人者。社長としてもカリスマ性を発揮し、一代で年商1500億円を超える企業を作り上げた。

2015年に社長を退任。そのバトンを引き継いだのが長男の髙田旭人(42)だ。経営スタイルは父とは真逆。「父がやれなかったことを自分がやろうと思っていて、父の文化も変えられる」と言う。

旭人は「脱カリスマ経営」を掲げたが、社員からは不安の声も上がっていた。

「不安だらけでした、突然だったから。『え、そんなタイミング早いの?』みたいな」(テレビ通販MC・中島一成)

「テレビショッピングは明社長が出演していて当たり前でした。社長に頼っていたところがあったんです」(同・塚本慎太郎)

だが、そんな声をよそに、旭人の社長就任後、売り上げは過去最高を更新。去年は2400億円を突破した。旭人は何をしたのか。

・脱カリスマ経営1「チーム力の向上」
社長であり番組の顔でもあった明は、文字通りすべてを取り仕切っていた。例えば、天気が悪くエアコンは売れないと判断すれば、急きょクリーナーに変更。その日の状況で何を売るのがベストか、すべて明が直感で決めていた。

「髙田の場合は自分の頭の中に全部あって、『髙田の指示したものを準備して髙田の思う順番で』というのが、ひとつの方法でした」(前出・中島)

一方、2代目社長の旭人はというと、本番中にスタジオに入ることはない。

「僕は向いてないからいいや、と。自分は支える側、経営者としての時間を増やして、みんながやりやすくするほうです」(旭人)

テレビ通販のMCを8人に増やし、誰が出てもしっかり売れるようにした。

鍵はチーム力。ベテランMCの中島が紹介していたのは節水型のシャワーヘッド。午前の放送が終わるとスタッフが集合した。見ていたのはリアルタイムの売上げデータだ。

ひとりの直感ではなく、データを元にみんなで意見を出し合い、商品を決めていく。結果、午後の生放送はウォーキングシューズに変更。これがチーム力だ。

「みんなで知恵を少しずつでも出し合って、より良いものにしていく感じです。まったくやり方が違います」(中島)

商品選びから売った後まで~「脱カリスマ経営」とは?

・脱カリスマ経営2「社員に任せる」
明の時代、仕入れでも頼っていたのは明の直感だった。何をどれだけ仕入れるかはすべて明が決めた。バイヤーの役割はメーカーと社長をつなぐだけだった。

「ABC案があって『どれがいいですか社長』と聞かれ、うちの父が『Bがいいね』と言うと『Bでいきます』というのが、父が好むやり方でした」(旭人)

それに対して旭人は、バイヤーに権限と責任を持たせた。特別大きな案件でなければ、社長の決裁なしで仕入れを可能にした。

掃除機担当のバイヤー、種村塁が日々チェックするのは、購入した客のコメント。「ダスト容器が小さすぎてすぐいっぱいになる」「もう少し重くてもいいからバッテリーを長持ちタイプに」という声をメーカーに伝え、改良を要望するのもバイヤーの仕事だ。

「いい声はどんな声か、悪い声はどんな声か。それをメーカーとも共有して『次のモデルではこうしていきましょう』というのを行っています」(種村)

この日は新商品を社長に確認してもらうことに。種村がメーカーに要望して、ジャパネット専用に改良してもらった日立のスティッククリーナーだ。LEDライトを白から緑にかえた。緑の方が床のゴミがくっきり見えるのだという。

「『生活を変えられた』と実感できたときに喜びを感じます」(種村)

・脱カリスマ経営3「商品を選び抜く」
旭人は社内に、ジャパネットで扱う全ての商品を展示するスペースを作った。社員がいつでも実物を確認できるようにするためだ。また、以前は商品数が8500もあったが、それを最大でも777点までに絞った。

「ここにあるものしか売らないというルールです。うちを信じて買ってもらった方が『いまいちだった』というのは嫌なので、結構厳しく絞っています」(旭人)

そのメリットはネット通販にも波及している。以前は写真が主だったが、すべての商品に動画を掲載。特長がひと目で分かるようにした。

東京・江東区のジャパネットコミュニケーションズ。コールセンターに掃除機のお手入れに関する問い合わせがあった際は、オペレーターが客と同じ商品を持ってくる。本体からダストケースを外し、実際に手に取って説明。商品数を減らしたことで一つ一つの商品に詳しくなり、丁寧さがアップした。

・脱カリスマ経営4「売った後まで丁寧に」
以前はテレビでの明のトークに魅かれて商品を買っていた客が多かったが、テレビ通販で買った客にカタログを送ることを徹底し、リピーターを獲得。今やカタログやチラシによる売り上げが全体の4割を占めている。

さらに売った後にもこだわった。その象徴が自前の修理部門。スタッフを各メーカーに派遣して研修を受けさせ、修理の8割以上は自社でできるようにした。メーカーに修理を頼むと1~2週間かかるが、それを3日ほどで客に送り返せるようにしたのだ。

「ジャパネットである意味とか、ジャパネットで買っていただいた方を裏切らないためには、みんなでジャパネットのこだわりを共有する。アイデアを出し合う」(旭人)

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アキラとあきと~対立からの承継物語

1986年創業のジャパネットはもともと佐世保市内の小さなカメラ店。旭人は自宅兼店舗で働く父・明を間近に見て育った。旭人が11歳の頃、明はラジオ通販を始める。さらにその4年後、テレビ通販に参入した。

商売を大きくしていく明を見て、旭人に自然と後継ぎの意識が芽生えるが、「コネと言われたくなかったのと、周りに納得してもらわないと嫌だという意地はずっとありました」と言う。そんな思いから、中学高校は親元を離れ寮生活。猛勉強の末、東京大学に入学した。就職先も競争の激しい野村證券を選んだ。

ところが2004年、ジャパネットに創業以来の危機が訪れる。51万人分の顧客情報が流出し、業務停止を余儀なくされたのだ。

「『会社が終わるかもしれん』と言われて、業務も全部止めるという話だったので、いち早く原因を特定しないと再開できない、と」(旭人)

旭人は急遽ジャパネットに入社。得意のデータ分析で原因究明にあたり、業務の早期再開に貢献した。

2010年には地デジ放送に向けたテレビの買い替え特需で売り上げが過去最高に。しかしその反動で2期連続の減収に転落した。起爆剤となる新たな仕掛けが必要だと感じていた旭人だが、明のワンマン体制下、社員たちからこれといったアイデアは出てこない。

「大丈夫かなと思っていました。みんな父の答えを待っている人たちだったので、将来のジャパネットを考えたらどうなんだろうというのは正直、感じていました」(旭人)

そこで旭人は無謀とも思えるある企画を提案する。それが「ジャパネットチャレンジデー」。1商品だけを大量に仕入れて、1日限定の激安価格で販売するという企画だ。だが、失敗すれば大量の在庫を抱えてしまう。これに社長の明は猛反対した。

「僕も結構、大胆なことをやる方なんだけど、そこを超えているなと。やはり採算面を考えれば、経営者トップとしては慎重にならざるをえなかった」(髙田明前社長)

「やってみないとわからないというのが僕の意見で、可能性があって広がりがあるならやっていいという文化にしないと会社は成長しないと思っていて、そこは戦いまくったという感じです」(旭人)

明も出席する幹部会で、旭人は「リスクがあっても可能性があるならやるべきです」と訴えた。すると、出席者の9割以上が賛成に手をあげた。

2012年7月13日、社運をかけたイベントが始まった。反対していた明だが、MCとして必死にエアコンを売り込んだ。すると開始早々から注文が殺到、用意した1万台以上を全て売り切り、大成功に終わった。

「その時には『賛成反対』はゼロパーセントですよ、『やった!』という思いで。若い社員も、私が抜けても(旭人と)一緒にやっていけるという思いを持ったと思うから、会社の将来性にとってすごくプラスの面を生み出したと思います」(明)

そして2015年、旭人は父に代わって、社長に就任した。

「新しいことを生み出す発想は若者ならでは。今の時代を見ている。私の発想でいったら今の時代に追いつかない部分がある。まあ最後は困ったら来るでしょう、僕のところにも。来ないということは、『大丈夫』ということだと思います」(明)

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全国のグルメを仕入れろ~「ノー残業」「ノー会議」

マグロの水揚げ量では日本有数の宮城・塩釜市にやってきたのは、ジャパネットのバイヤー・勝野友介だ。

ジャパネットが扱うのはこれまで家電中心だったが、旭人は食品への参入を決めていた。そこで去年、食品バイヤー歴10年以上の勝野を中途採用。勝野は日本各地を飛び回り、「これは」という食材を発掘している。

「全国のいい物を探すっていうことで、新しい企画をどんどん考えています」(勝野)

こうして生まれた新たな通販商品が「グルメ定期便~全品お肉と海鮮コース」。近江牛や下関のフグなど日本各地の高級食材を、毎月定額で届けるというもの。塩釜のマグロは9月のお届けになった。

他にも旭人は、富士山の天然水が毎月届くウォーターサーバーのレンタル事業を開始。旅行業の免許まで取得し、豪華客船をチャーターしたオリジナルのクルーズ旅行を販売するなど、商品の幅を広げている。

一方、職場でも旭人の改革は始まっていた。

勤務時間中に大量の駄菓子が運ばれてきた。月に1回、各部署で行う「お菓子会」だ。準備するのは各部署の管理職。お菓子を振舞うことでコミュニケーションを深めるのが目的だ。

また、旭人は週のうち3日をノー残業デーにした。その日は全員、6時半までに退社しなければならない。他にも毎日、会議禁止の時間帯を設定し、年間の休日も10日増やした。社員のひとりは「減った時間の中でどうするか、癖がついている。ぎゅっと濃縮してやっている感覚です」と語っている。

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2代目の巨大プロジェクト~700億円投資

旭人はある巨大プロジェクトを進めていた。舞台は長崎の中心地にある広大な工場跡地。ここに、サッカー専用スタジアムを軸とした複合施設を建設するという。

「スタジアムと、そのまわりにホテル、商業施設、オフィス、アリーナという5つの施設をつくります」(旭人)

ジャパネットはプロのサッカーチーム「V・ファーレン長崎」とバスケットボールチーム「長崎ヴェルカ」を持っている。スポーツで全国から観光客を集め、長崎を活性化しようというのだ。

2024年開業予定のこの「長崎スタジアムシティ」について、スタジオで村上龍から「『採算がとれるのか』という声もあるのではないか」と問われた旭人は、次のように答えている。

「常識で考えると、採算はとれないと思われているかもしれません。今回700~750億円の投資をすることになります。でもジャパネットはいろいろな改善をやってきた会社なので、我々がやりきれば採算は合うのではないか。地域創生とスポーツはすごく相性がいいので、地域創生という日本の大きな課題に挑む覚悟です」

~村上龍の編集後記~
九州には「のぼせ者」という言葉がある。お調子者とか、目立ちたがりとか、出過ぎた奴とか、あまりポジティブではないが、わたしは好きだ。というのは「のぼせ者」が何かを変える力を持つからだ。髙田旭人氏が狙うスタジアムを中心とした街造りというのは、「のぼせ者」の発想だ。失敗するかも知れないが、とにかくやってみる。綿密な計画を練るが、最後は「何とかなるやろ」という破天荒な楽観主義がある。父親もそうやってきた。「のぼせ者」の系譜なのだ。

<出演者略歴>
髙田旭人(たかた・あきと)1979年、長崎県生まれ。2002年、東京大学卒業後、野村證券入社。2004年、ジャパネットたかた社長室長に着任。2015年、社長就任。

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