ナイナイ矢部、相方・岡村の休養とラジオでの”あの事件”真相を明かす:あちこちオードリー

公開: 更新: テレ東プラス

不用意発言禁止! 裸のトークバラエティ「あちこちオードリー」(毎週水曜夜11時6分放送)。2019年10月の番組スタートから100回を迎えた9月15日(水)の放送は、オードリーが学生時代から憧れるナインティナイン矢部浩之が来店。中学時代から「ナインティナインのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)のヘビーリスナーだった春日は、収録前から楽屋ウロウロしてド緊張!?

ナイナイ爆速ブレイクの裏で苦悩した矢部

1990年、18歳の時、矢部は高校サッカー部の1年先輩だった岡村隆史を誘って、ナインティナイン結成。1年目にして、先輩の雨上がり決死隊FUJIWARAらとともにお笑いユニット"吉本印天然素材"を結成し、東京に進出する。

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爆速でブレイクしたナイナイだったが、実は早い段階でコンビの危機を迎えていた。影響されやすい岡村は、面白い先輩・宮迫博之、原西孝幸(FUJIWARA)のコピーのようになってしまい、若手の劇場で「パクリやん」とささやかれ心が折れてしまう。夜中のファミレスで「こんだけ嫌われてるんやったら、もう辞めへん?」と岡村が切り出すが、「嫌われもんやったら嫌われもんで行きましょうよ」との矢部の言葉で、もう少し頑張ってみることに。「気にせんとこう」の精神で、当時からコンビのメンタルの部分を担ってきたのは矢部だった。

さらに、矢部いわく"チンカス事件"に見舞われる。松本人志ダウンタウン)が、べストセラーとなった著書「遺書」で「ナイナイはダウンタウンのチンカスみたいなもん」と表現し、世界がざわつく事態に。以来、ダウンタウンとはギクシャクした関係が続き、番組内で浜田雅功に矢部の顔写真パネルをバキッと折られたことも。キャラ的に岡村はイジってもらえるものの、矢部は本番も本番外もしゃべってもらえないのが当たり前。矢部は「俺は相当食らったな」と振り返る。

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こうした偉大な先輩からの痛烈なイジりを矢部は"かわいがり"と呼び、「かわいがりが強くしてくれた」と語る。......が、「めちゃめちゃ吹き出物できたで」と、心理的なダメージも大きかったようだ。

当時は芸人もスタッフも世間も、ダウンタウンの笑い以外は認めない時代。真逆の芸風のナイナイには風当たりが強かった。そんな中、面白いと認めさせる突破口を作ったのは岡村だった。持ち前のキャラで突っ走る岡村に、最初は「行け行け!」と思っていたという矢部だが、いつしか自分がいなくても岡村ひとりで成立してしまっていると気づく。そこから「なんとかせなアカン。自分で(岡村と)同じとこまで行かなアカン」と、ひとり苦悩することに。

自分には何もない......「俺も面白いと思われなアカン」と勘違いした時期もあったというが、スポーツ特番「明石家さんまのオールスタースポーツするぞ!大放送」(フジテレビ系)で光が見えた。矢部がバスケットボールのフリースロー真剣勝負でアスリートに勝利すると、スタジオは大盛りあがり。アップで映し出された矢部は「何か言わな」と緊張するが、岡村やさんまが面白いコメントを重ねて笑いを生み出してくれた。そこで矢部は、自分は笑いを取りにいくのではなく笑いの"フリ"でいいと気づき、「真面目にやろう」と思ったのだという。

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また、「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系)の総監督・片岡飛鳥とのエピソードも。コンビ結成3年目にして、若手芸人による深夜番組「とぶくすり」のメインに抜擢されたナイナイ。番組MCを務める矢部は、本番直前の舞台袖で片岡から「成功失敗とかボケが面白くなかったりするのは全部矢部のせいだから」と告げられる。期待のかかった新番組の全責任を負わされた矢部は「なんで俺のせいやねん」と思いながらも、「成功せなあかん」と覚悟を決めたのだという。「そういう片岡飛鳥の言葉も、強くなるひとつやったんかな」としみじみと語った。

ラジオの"あの事件"真相を語る

2010年、岡村の突然の休養についてのトークも。収録中も面白いことも言わず「立ってるだけ」の岡村に異変を感じた矢部が、「めちゃイケ」の楽屋で「休みましょう」と提案したという。

約5ヶ月の休養を経て、復帰して戻ってきた岡村は、「ネジ2つくらい飛ばして来た。だいぶポンコツになった。それが良かった」と矢部。いろんなものを背負い込み張り詰めていた岡村が「人のせいにしてええんや」と思えたことで、少し楽になったようだと語る。

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岡村の休養中、矢部は確信はなかったものの「戻ってくると信じていた」と同時に、岡村が「辞めるかもしれない」と最悪の想定もしていたという。その後、岡村は無事復帰。再び2人で「楽しくできたら」と思っていたが......「その矢先にラジオの事件や」と、オードリーも聞きたかった話題を矢部自らが振ってくれる。

岡村の休養中、矢部は一人で「オールナイトニッポン」を務めていた。そして岡村復活とともに達成感に満たされ、「ゴールになってもうてん。自分の気持ちが」と当時の心境を明かす。

矢部は「ナイナイANN」としては使命を終えたと思いながらも、復帰したばかりのラジオが好きな相方に「辞めよう」とは言えない。そこで「僕、卒業します」との表現で、一人番組を去った。こうして「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」として岡村一人で番組は再出発したのだが、数年後、岡村の失言によりコンビ最大の危機が訪れる。

マネージャーから「今までにない大事になりそうだ」と連絡を受けた矢部は、「多分、放送事故になると思った」と岡村一人での謝罪と、その後の岡村のメンタルを心配し、急きょ出演を決意。「岡村イジリを真面目にしよう」との思いで、あの日の生放送に臨んだのだという。

1回だけの出演のはずだったが、1週間後に岡村の調子が戻っているとは思えず「しばらく行かなあかんな」と出演を重ねるうちに、「ちょっと待てよ、俺、結構出てんな」と気づく矢部。そこで「復活だ!」と、再び「ナインティナインのオールナイトニッポン」となったと顛末を語った。真相を聞けたかつてリスナーだったオードリーも歓喜!

その他、「キラキラしていた」という岡村との衝撃の出会いや、「同級生やったら友達になってへんわ」との矢部のマジ説教に藤本敏史(FUJIWARA)が号泣した話、オードリーと矢部が初共演した2008年の「おもしろ荘」(日本テレビ系)のエピソードなども。さらに、当番組に田村淳ロンドンブーツ1号2号)が出演した際に語った、悩める淳に矢部が送った言葉の真相も!?

次週9月22日(水)は、特別企画「どんよりポエム発表会!」をオンエア。後藤拓実(四千頭身)、黒沢かずこ(森三中)、神田愛花が、普段から抱えるモヤモヤをアンミカの前で大発表する。

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