「生き別れた姉に会いたい...」アルゼンチンの日系人夫婦が、沖縄で家族の絆に感動:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時~)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

まずは、「ご招待したあの人の"今"が気になる ニッポンから逆ビデオレターを送ってみちゃいましたスペシャル」をお届け。

メロンパンを学びに来た店で、人生を変える出会いが!

紹介するのは、東ヨーロッパの国・ジョージアに住む、メロンパンを愛するギオルギさん。

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ニッポンにパンが伝わったのは、1543年の鉄砲伝来の時。第二次世界大戦後には学校給食に加わるなど、一気に庶民の間に広まりました。
ヨーロッパやアメリカと、ニッポンとの決定的な違いは「菓子パン」が独自に進化したこと。明治7年にあんぱんが登場し、明治37年にはクリームパンが、そして昭和初期にはマスクメロンの網目模様に似ていることから名付けられたメロンパンが登場。パン生地をクッキー生地で包んだ新しいパンは子どもたちの間で人気となり、全国に広がりました。

金融関係の仕事をしているギオルギさんは、インターネットで見つけたメロンパンに興味を持ち、インターネットの情報を頼りに作ってみたものの、うまくいかず失敗ばかり。ニッポンには一度も行ったことがなく、メロンパンを食べたことがありません。そんなギオルギさんを、3年前、ニッポンにご招待! 3年間のばしたというヒゲを綺麗に剃って念願の初来日を果たしました。

向かったのは、熊本県荒尾市にある「ふくやまベーカリー」。パン職人歴60年を超える、店主・福山満さんが快く受け入れてくださいました。
福山さんのメロンパンは1日に6000個を販売し、荒尾市のソウルフードといわれる大人気商品。焼き立てを食べさせていただくと、ギオルギさんは人生初のメロンパンに感激! 「今まで生きてきた中で最高のパンに出会いました」というギオルギさんに、福山さんも笑顔が溢れます。
来日前にギオルギさんのパン作りの動画をチェックし、失敗の原因を分析してくださっていた福山さんが「なぜヒゲを剃ったのか」尋ねると、ニッポンでパン作りを習うにあたって剃ってきたと答えるギオルギさん。意気込みを感じた福山さんは「それだけ一生懸命覚えたいってことですね」と胸を打たれた様子。

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念願のメロンパン作りを体験。まずは材料の計量から。正確に量るのがポイントです。特にイーストは、1~2gの差で発酵の具合が変わってしまうそう。ギオルギさんはこれまで目分量の材料で作っていたため失敗していたのです。

続いて、生地を棒で叩いていきます。これがフワフワ食感の秘訣。叩くことで伸縮するグルテンの膜ができ、発酵する時の炭酸ガスを受け止め、フワフワの食感を生み出すそう。この生地を2回に分けて発酵させてイースト菌の働きを活発にし、メロンパンの形に整え、ホイロという発酵専用の機械に入れて最後の発酵。これだけの手間をかけなければ、フワフワ食感はでないといいます。

オーブンで焼き上げ、メロンパンの出来上がり! 焼き立てを頬張り「やっぱりメロンパン最高ですよね!」と笑みがこぼれます。「ここに来て僕はパン職人になりたいと思いました」。福山さんの元で修業したいというギオルギさんに、「面倒見ますよ」と福山さん。この出会いが、後の人生を大きく変えるきっかけになったのです。

別れの時。福山さんは、63年間試行錯誤した門外不出のレシピを教えてくださいました。さらに、白衣とズボンと帽子とメロンパンの型もプレゼント。「ありがとうございます。大事にします」と大感激で、福山さんとハグを交わしました。

帰国して3ヵ月。「弟子になりたい」という思いは変わらないのか、本人に内緒で聞きに行きました。秘伝のレシピをジョージア語に訳し、いただいた白衣を着て毎週末メロンパンを作っているというギオルギさん。作り方を見せてもらうと、教わった通りに生地をこねて叩き、発酵させる時は生地を30度の水を入れたビンと一緒に毛布で包み、27度に保っていました。これは、エアコンがない部屋で温度を一定に保つために考案した方法。

50分後、生地は3倍に! しっかり発酵させることができています。続いてクッキー生地と土台を合わせ、いただいた型でメロンパンの形に整え、毛布を被せて45分。最後の発酵を終え、オーブンで15分焼いて完成! きれいにふっくらと焼き上がりました。

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「将来ジョージアでパン屋さんを開きたい」という夢ができたギオルギさん。その後もメロンパンを作り続け、その数2年間で約6000個。そこで中継を繋ぎ、福山さんに思いを伝えたところ、パン修業が決定!

去年3月、ギオルギさんは再び「ふくやまベーカリー」にやって来ました。今回は、仕事を1ヵ月休んで来日。メロンパンをより美味しく作れるようになること、パン屋さんを開くために多くの種類のパン作りを覚えることが目標です。

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向かったのは、修業中にギオルギさんが住む家。再来日が決まってすぐ、福山さんがお店の近くに用意してくださいました。洋室1部屋、和室2部屋の一軒家で、テレビや冷蔵庫も揃っています。実は近所の電気屋さんがギオルギさんのファンで、わざわざ家電を揃えてくれたそう。ニッポンの家に住むのが夢だったギオルギさんは感激しますが、皆さんの期待にちょっと緊張気味。

翌朝、午前3時。起床してヒゲを剃り、「修業を本気で頑張りたいから」と腕の毛も剃ります。午前3時50分に初出勤し、午前4時、いよいよ仕事がスタート。前回はメロンパンの作り方を教わるだけでしたが、今回は本格的な修業。まずは作業の流れを見学させていただきます。「ふくやまベーカリー」では、60種類のパンを毎日3000個販売。皆さん、手を休めることなくパンを作り上げていきます。
午前7時にはパンが次々と焼き上がり、忙しさがピークに! ギオルギさんも手伝いに加わり、パンをお店に並べていきます。

朝9時、ようやく全てのパンが焼き上がり、お店がオープン。ギオルギさんも店頭で接客しますが、初めての接客でなかなか声が出ません。「まだまだ接客も勉強しないと。お客さんに失礼にならないように」。

お昼になり、早朝から出勤していた従業員は退勤。ギオルギさんは「自分でやれることはちょっとしかなかった」と、初仕事に疲れた様子。午後1時に帰宅すると、ニッポンの生活に早く慣れるためにお米を炊くことに。福山さんの妻・梅子さんにいただいたお米を、インターネットを参考にしながら、丁寧に洗って炊飯器にセット。梅子さんから、差し入れで焼き鮭と豚汁をいただき、午後6時に夕食。初めて自分で炊いたご飯と差し入れに大満足です! 夕食後、修業日記に書いたのは、お店の皆さんのチームワークの良さについて。「私も少しだけそんなことができればいいと思いました」。日記を書き終え、夜8時には就寝しました。

修業2日目。この日も朝4時に出勤し、率先してお手伝いを始めます。その様子を見ていた福山さんは、以前とは違う厳しい顔つき。今回は厳しく教えると、事前にギオルギさんに伝えていたのです。空いている場所を使ってメロンパンの成形を見ていただきますが......もちろんまだまだお店には出せません。

午後1時、仕事が終わってから、福山さんに改めて教えていただくことに。指摘されたのは、成形のスピード。時間が経つほど生地の発酵が進んでしまうので、成形に時間がかかると、中の気泡が破れてパサパサになってしまいます。さらにもう1つの問題点は、パン生地とクッキー生地を合わせる時、クッキー生地の厚さが均一にならないこと。試しにオーブンで焼くと、薄いところはクッキー生地がなくなってしまいました。成形のスピードと、クッキー生地を均一にすることが今後の課題です。

帰宅して昼食をとると、散歩に出かけ、大好きな荒尾の街並みを楽しみます。途中、夕飯の差し入れをしてくださった梅子さんにお礼がしたいとお花を買い、サプライズプレゼント! 梅子さんは「涙が出そうなくらい嬉しい」と大喜びでした。

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翌日もメロンパンの成形を練習します。教えてもらったことを意識しながら作りますが、クッキー生地を広げる動作に癖があり、なかなか均一になりません。「細かいところをどんどん直して前に進むしかない」と練習に励みます。

8日目、この日ももちろん成形の練習。すると、最初の頃に比べるとクッキー生地の被せ方がきれいになり、成形する時間も6日前より10秒短縮することができました。

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すると、福山さんから「これはもう店に出していい」という言葉が! 店頭で無料配布することになり、お客さんの笑顔を見たギオルギさんは「嬉しいです」。
翌日は、あんぱんの包み方を教えていただきます。ポイントは、できるだけ生地を伸ばしながら包むこと。そうすることで上の面に生地が残り、ボリュームのあるあんぱんになるのです。さらにクリームパン、ジャムパンの包み方も習います。

仕事が終わるとスーパーで買い物をしてカレー作り。夕食を終えるとお風呂に入り、大福をつまんで8時に就寝。ニッポンの生活を満喫していました。

今回のパン修業、1日の主なスケジュールは、午前3時に起床、4時に出勤。午後1時まで店の仕事をし、5時までパン作りの特訓を受け、夜8時に就寝。大好きなパン作り中心の生活を送り、いつか店を開くために接客もしています。

しかし、早朝からのパン修業と慣れない異国での生活で、疲労はピークに。そんなある日、店頭で接客していると、お客さんが「頑張ってください」と声をかけてくれました。皆さんの応援に「恩返ししたいから本当に頑張ります」と決意を新たにしたギオルギさん。仕事終わりには、妻・タムタさんとテレビ電話で話し、元気をもらいます。

ところが、ニッポンにやってきて15日目、心配事が。実は前日の電話で、妊娠中のタムタさんから「出産が早まる」という報告を受けていたのです。その旨を伝えると、「店のことはいいから早く帰ってあげて」と福山さん。修業は一時中断し、急遽帰国することに......。

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2ヵ月後、ギオルギさんはビデオレターで長女・マルタちゃんが誕生したことを報告しました。ジョージアもニッポン同様、新型コロナウイルスの被害が大きく、大変な生活を強いられているそう。それでも、福山さんから教わったことを忘れまいと、パン作りに励んでいました。

このビデオレターからさらに1年が経過した今年7月。コロナ禍が続く中、福山さんはギオルギさんがどうしているのか、ずっと気になっていました。福山さんがギオルギさんに惚れ込んだのは、パンへの情熱と素質。まるで自分の若い頃を見ているようだと感じていたそうで、メロンパンを初めて口にして美味しいと喜ぶ顔を見た時、「この人、弟子に来ないかな」と思ったといいます。
実は福山さん、2019年に肺がんが発覚。それでも「ギオルギさんに私のパンを完全に教えるまでは頑張らないといけない」という想いを支えにして闘病し、今は、以前と変わらずメロンパンを作れるまでに回復しました。「私のパンを誰かに完全に残したい」という福山さんの想いをギオルギさんに届けたい...。そこで、ニッポンから逆ビデオレターを送ることに!

現在ギオルギさんは、首都・トビリシから、奥さんの故郷でコロナ感染者数が少ないボルジョミという町に仮住まい中。しかし、オーブンを持ってくることができず、メロンパンを作る時は、トビリシの自宅に戻っています。生地を素早く練るために、福山さんから勧められたミキサーも購入。メロンパンへの情熱は消えていませんでした。

ギオルギさんも福山さんと連絡を取りたかったそうですが、マルタちゃんが生まれた直後、コロナの状況が悪化し、給料が低下。引っ越しなどが重なって連絡できずにいたのです。
早速ビデオレターを観てもらうと、なんと福山さんから「この店を譲りたい」という思いがけない言葉が! ギオルギさんは「突然すぎて......言葉になりません! ここまで想ってもらえているとは」とびっくり。直接話したいということで......福山さんとギオルギさんの遠く離れた絆を、中継でもう一度結びました!

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久々の再会を喜び、福山さんはギオルギさんに知らせていなかった肺がんのことを伝えます。そして、「うちの従業員とあなたで私の店を継いでもらいたい」と......。それを聞いたギオルギさんは、「責任も感じますが(修業を)受けたいです! 絶対ニッポンに戻って修業したいです」。ニッポンが大好きなタムタさんも、一緒に行くことを承諾してくれました。「早くニッポンに来られるように! 待ってますよ!」と呼びかける福山さんに、笑顔で手を振ります。

メロンパンを愛するギオルギさんにビデオレターを送ったら、母国を離れ、ニッポンに家族で来ることを決断してくれました!

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