突っ張り棒でスッキリ!~孫娘の大逆転劇:読んで分かる「カンブリア宮殿」

公開: 更新: テレ東プラス

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室内がお洒落&便利に~突っ張り棒が驚きの進化

清水幸子さんは資格を持つ整理収納アドバイザー。片付けたい場所を時間単位で依頼することができる(料金1時間1万1000円)。

台所の収納を依頼されてあるお宅へ。現状を確認すると、まずは収納から全ての物を取り出す作業から。驚くほどの量が運び出された。それらをジャンルごとに分類し直して、きれいに掃除をした収納に、使いやすい順番に並べていく。

ここで清水さんが秘密兵器、突っ張り棒を取り出した。まず収納の一番上に1本取り付け、レトルト食品にフックのついたクリップを取りつけて並べて掛けていく。さらに2本の突っ張り棒を平行に取り付けると便利な棚になる。さまざまな種類の突っ張り棒で収納を整理し直していく。突っ張り棒を使うことで、空いていた空間が収納スペースとなり、ひと目で物のある場所も分かるように一変した。

プロにとって、効率のいい収納に突っ張り棒は欠かせないという。

「突っ張り棒はミリ単位で調整ができるので、『こんな使い方があるんだ』『この1本でこんなに取り出しやすくなるんだ』と。考えた方は本当にすごいと思います」(清水さん)

実は今、突っ張り棒が驚きの進化をとげ、大人気となっている。

東京・武蔵野市にあるお洒落なインテリアのセレクトショップ「ジャーナルスタンダードファニチャー吉祥寺」。店内で多くの客が足を止める商品が、細い棒のようなインテリアだ。床と天井で固定された突っ張り棒。お洒落なランプが付いている。

これは去年に比べて売れ行きが2倍以上という「ドローアライン」。その魅力はシンプルなデザインだけではない。さまざまなアタッチメントを付け替えることで、いろいろな用途に使えるのだ。例えば、アタッチメントを付け替えて玄関に取り付ければお洒落なシューズラックに早変わりする。1本の棒なので場所をとらないのも魅力だ。

突っ張り棒の進化はそれだけではない。「2×4」の木材に取り付ける突っ張り棒商品「ラブリコ」シリーズはこの1年で125万個を売った。賃貸マンションでも壁を傷つけずにDIYの棚が作れると、大人気なのだ。

コロナ禍の需要も相まって、ネットで突っ張り棒を検索する人は4年前から倍増。今、空前の突っ張り棒ブームとなっている。埼玉・蕨市のホームセンター「スーパービバホーム」のチームリーダー・福田陽一さんも「3年前と去年に比べて伸びています」と言う。

ブーム再来の仕掛け人は三代目の突っ張り棒娘

突っ張り棒の急拡大の仕掛け人は、「つっぱり棒研究所」というネット動画の「つっぱり棒博士」として知られる女性。突っ張り棒の伝道師のような活動をしているのだが、「ドローアライン」「ラブリコ」も彼女が手がけた商品だ。

大阪市にある従業員65人の平安伸銅工業は、突っ張り棒を製造販売する日本のトップメーカー。同社を躍進させたのが、社長の「つっぱり棒博士」竹内香予子(39)だ。

この日、竹内は大量のペットボトルを吊るした突っ張り棒の荷重実験を行っていた。試すのは80キロの荷重に耐えるという突っ張り棒「ハイカム超極太ポール」だ。

「キャップの構造が工夫されている強い突っ張り棒です。今まで『落ちた』『洗濯物をかけてももたない』と思った人からすると『これだけ丈夫なら、洗濯物ぐらいでは落ちない』と感じていただけるのではないか」(竹内)

竹内の基本戦略は、突っ張り棒のトップ企業として、その便利さをより広く伝えること。そのためには身をていして、自身がツッパリ姿になった広告も作った。

「てめぇらが使っている突っ張り棒の大体は突っ張れてねーんだよ!」とつけたポスターのコピーは、きちんと突っ張らないと突っ張り棒が、落ちてしまうことの啓発用。正しい使い方を知ってもらうことが目的だ。

「限界までシメろ!」は、ネジをしっかり締めないと落ちてしまうということ。「押忍」は、バネはしっかり押し込んで設置してほしいというメッセージだ。

「どうやったら正しい取り付け方や便利な活用術を、もっと多くの方に知っていただけるか」(竹内)

平安伸銅を創業した竹内の祖父・笹井達二は、日本初の突っ張り棒を発明した。1970年代にアメリカで見つけたシャワールームのカーテンレールがヒントになった。

「海外でシャワーカーテンを吊るす道具として使われていた伸縮棒を見て、それを押し入れやトイレの隙間に入れたら、日本の狭い家で収納として使えるのではないかと発想したのです」(竹内)

笹井はそれまで行っていたアルミ加工の技術で突っ張り棒を商品化。すると狭い住宅で収納に困っている日本の家庭に瞬く間に売れていった。

「私から見るとすごく破天荒な人。まだ世の中に突っ張り棒がない時代に『こういう形にしたらこういう機能が生まれて、暮らしがこう変わる』と先駆けて考えていて、自由奔放な人だったと思います」(竹内)

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家業を継ぎ絶体絶命~反転攻勢は県庁勤めの夫

竹内は最近、賃貸マンションに引っ越した。その理由は「普通の家の造りなので、一般ユーザーさんが見て『うちの家にもこんな隙間がある』という共感値は高いかと」。

竹内は自宅を突っ張り棒のショールーム代わりに使っている。ここはユーザーが考えたアイデアを試す場なのだ。

「ユーザーさんが『突っ張り棒でこんなことができた』というのをネットにあげてくれていて、素晴らしいアイデアが満載なんです。突っ張り棒はオワコンだと思っていたけど、実はオワコンではないんだ、と」(竹内)

竹内は当初、家業を継ぐつもりは一切なかったという。大学卒業後は産経新聞に入社。しかし27歳のある日、母親から、父の具合が良くないから戻ってほしいと告げられる。

2010年、平安伸銅工業入社。そこで竹内は驚きの事実を知る。

「業績は知らなかったのですが、全盛期の3分の1ぐらいに落ちていてヤバイと」(竹内)

祖父が発明した突っ張り棒は、激しい価格競争で、全く儲からなくなっていたのだ。

竹内は大逆転を狙うべく、今までにない商品作りを決意する。新商品の開発チームを結成し、アイデアを募集したが、「もう少し明るい色にリニューアルする」「太さをちょっと細めにする」など、今の商品に少し手を加えた案ばかりだった。思わず竹内は「そんなアイデアしか出ないの? この仕事、何年やってきたんですか!」と一喝してしまう。

「ぶわーって言ったんです。結局その人たちは辞めていきました」(竹内)

業績は低迷、社員は辞めていき、絶体絶命だった。

竹内がすがったのは当時、滋賀県庁に勤めていた夫の一紘(現・常務)だった。平安伸銅への入社を迫られた一紘は、当時のことを「彼女が頑張っていてしんどそうなのは見ていたので、アドバイスはしていたのですが、『入社してほしい』と言われて、最初は『嫌だ』と言いました」と振り返る。

竹内は1年がかりで説得、結局、一紘は県庁をやめ、平安伸銅へ入社する。

「このままでは家庭がバラバラになる危機感がありました」(一紘)

毎晩のように繰り返した議論の末、事態を変えたのは「デザイナーを入れてみたら」という一紘のアイデアだった。建築やデザインに造詣があった一紘は、外部の視点を入れるべきだと考えたのだ。

白羽の矢を立てたのが、東京・世田谷の「TENT」というデザイン事務所だった。一紘は、当初、日用品として優れたデザインを考えていたのだが、「TENT」のデザイナーから意外な反応があった。

「メールが来た時点で、住みたいインテリアにものすごくシンプルな棒があれば、めちゃくちゃ格好いいと確信しました。『突っ張り棒の商品開発は勝ちしか見えない』と言ってました」(「TENT」青木亮作さん)

それは突っ張り棒をインテリアに、という予想もしない提案だった。

「ホームセンターに置いてある収納用品から、作ったことのないカテゴリーだったので、新しい可能性が生まれたと感じました」(一紘)

そして試行錯誤の末、2017年にお洒落なインテリア「ドローアライン」を開発。それを機に、竹内と一紘は二人三脚で、それまで考えられなかった突っ張り棒の世界を切り開いていったのだ。

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突っ張り棒名人が150人~中小でも勝てるユニーク戦略

規模の小さい平安伸銅工業が少人数で突っ張り棒トップシェアに君臨できる秘密が、リモート会議にあるという。

突っ張り棒に関するさまざまなアイデアを交換するこの会議に参加するのは「つっぱり棒マスター」のメンバーたちだ。「つっぱり棒マスター」とは、平安伸銅工業の講習を受けることで突っ張り棒を使いこなせるマスターになれる制度。すでに全国でおよそ150人が認定されている。

去年「つっぱり棒マスター」になった家山茜さんも、すっかり突っ張り棒を使いこなせるようになった。平安伸銅のサポート体制のおかげだという。

「突っ張り棒の詳しい知識を教えてくれたり、いろいろな企画があって、『ここに突っ張り棒を使えるんじゃないか』と、収納を検討する時に一番に突っ張り棒が出てくるようになって、楽しいです」(家山さん)

知識を付けたメンバーが、上手な突っ張り棒の使い方を広めてくれる一方、平安伸銅には新たな商品開発のアイデアも集まってくるという仕組みだ。

「『つっぱり棒マスター』さんを通じて、さらに先にいる消費者の声も拾うことができるので、商品開発やサービスの改善に役立つ情報をたくさんいただけました。マスターさん自身が媒介役になって、もっと情報を発信していただくネットワークをつくっていって、突っ張り棒のファンをもっと増やしていきたいと思っています」(竹内)

中小でもアイデア次第で生き残れる。それが竹内の信念だ。

家中、突っ張り棒だらけの竹内家。その冷蔵庫を覗くと、また新たなツッパリを試していた。極小の突っ張り棒で調味料を整理するアイデアだ。

「私はカリスマでも何でもなくて、発信していく媒介役なんです」(竹内)

1本の棒の可能性を信じ、格闘を続けてきた2人。今日も新たな突っ張りを切り開くべく、竹内の声が響いていた。

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~村上龍の編集後記~
古めかしい会社名だが、竹内さんは変える気はないようだ。無自覚に祖父へのリスペクトがあるのだろう。祖父とは、ケンカばかりしていたらしい。アルミサッシを量産し、米国でシャワーカーテンを吊り下げるテンションポールを見て突っ張り棒を着想した祖父、似たもの同士だったのかも知れない。突っ張り棒は、考えてみれば、何かと何かをつながないと機能しない。祖父の考え方という縦軸、会社のみんなやご主人という横軸、それぞれつながっている。

<出演者略歴>
竹内香予子(たけうち・かよこ)1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、2006年、産経新聞入社。2010年、平安伸銅工業入社。2015年、代表取締役就任。
竹内一紘(たけうち・かずひろ)1980年、滋賀県生まれ。大学卒業後、建築設計事務所を経て滋賀県庁に転職。2014年、平安伸銅工業入社。

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