無名から強豪へ!昌平高校サッカー部4つのルール「3年→6年」「最後は技術」「誰もが監督」「自分で決断」

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左から竹崎由佳、勝村政信、藤島崇之、都並敏史
左から竹崎由佳、勝村政信、藤島崇之、都並敏史

昌平高校サッカー部の藤島崇之監督が、6月26日放送のサッカー番組『FOOT×BRAIN』(テレビ東京系、毎週土曜24:20~)にゲスト出演。これまでの高校サッカー部の育成の常識を覆す「名将の自分ルール」を紐解いていく。

1970年代にサッカー日本代表として活躍した藤島信雄を父に持つ藤島。1998年に習志野高校で全国高校サッカー選手権に出場し、卒業後は、名門・順天堂大学でプレー。その後、青森山田中学校のコーチとなり、2007年に昌平高校の監督に就任。無名だった同校を、2019年、2020年の2大会連続で全国高校サッカー選手権ベスト8に導いた。さらに、2016年からは毎年Jリーガーを輩出し、これまで10人がプロの道へと進んでいる。

そんな藤島が掲げる4つのルール「中学から昌平イズムを植え付けよ!」「最後に勝敗を分けるのは技術」「誰もが監督になれ!」「最後は自分で決めろ!」を番組で紹介。

まず、「中学から昌平イズムを植え付けよ!」。昌平高校では、人工芝のグラウンドで放課後2時間の練習が行われる。そして、練習を終える頃になるとグラウンドの近くに少年たちが集まってくる。彼らは中学年代の街クラブ「‎FCラヴィーダ」の選手たちで、ほぼ全員が、昌平高校サッカー部への入部を目指している。

実は、この街クラブこそが藤島の自分ルールを体現したクラブ。藤島は、高校3年間では時間が足りない上に、中学年代から高校年代に上がるときに指導者やチームが変わるとスタイルも変わってしまうことを問題視。「(変化がありすぎて)高校に上がった時に自分の良さが上手く出せないのは、時間のロスになってしまう」と考え、中高6年間でじっくりと選手を見られる環境づくりを進めた。

この新しい試みに惹かれ、多くの選手たちが集まっている。大宮アルディージャと浦和レッズ、FC東京の下部組織からのオファーを受けたという選手がFCラヴィーダを選択したケース、福島から2時間かけて通い、現在は家族で埼玉に引っ越してきたケースもある。そして関東U-15 リーグでJクラブの下部組織を抑えて堂々の1位。右肩上がりで進化を続けている。

2つ目のルール「最後に勝敗を分けるのは技術」。昨年度、昌平高校からJリーガーになったのは4人。J1の平均身長177cmに対して、彼らは全員160cm台。藤島は「大きな相手からボール奪う時は潜り込めばいいだけ。ウィークポイントに見える部分が相手にとって嫌な部分になり、それがストロングポイントにもなる」と語った。それを実現させる一番のポイントこそが技術で「ボールを扱えることは当たり前で、試合で相手と駆け引きをする上での技術に関してよりフォーカスしている」と話した。

3つ目のルール「誰もが監督になれ!」。昌平高校の試合中、ハーフタイムに選手たちに指示を出しているのはFCラヴィーダの松村明人監督。実は、FCラヴィーダのチームスタッフ19名全員が、昌平高校のコーチを兼務しており、一貫した指導をしながら、様々な指導者の考えをスパイスとして注入している。藤島は「全員が関わって良い。それぞれの角度で意見を選手に伝えてと言っている。正直、僕がいなくてもチームは成り立つ」と述べ、「僕もプライドがないわけではないですが、選手の為ならばいらないプライドは捨てて良いと思っている」と語った。

最後のルール「最後は自分で決めろ!」。ここで藤島は、選手たち自身による判断を強く求めた。選手とのミーティングでは「体を張っていくところは当たり前のように判断できないといけない。個人がやらないといけないところで、その責任を個人が感じて、判断して出さないと」と伝えた。

この指導について選手たちは「判断してプレーすることで、自分に余裕ができる。余裕を持てばプレーの質も上がっていくので大切にしている」「型にはめられずに自分で考えて、試合の中で判断することが、これから上に行くほど大事になっていくと思う」と答えていた。

選手たちの言葉を受けて藤島は「型を作るのは簡単だけど、それしかやらなくなる。選手がピッチで決断することを大切にしている」と述べ、「高校時代から自分で判断して、トライアル&エラーを繰り返して、そこから学んだ経験が社会に出た時の対応力や適応力になる」とコメント。選手としてだけではなく、人としての成長も見据えていた。

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