吉田羊演じるトキコ、國村隼“父”との物語を美談化していた自分に疑問「厳しく鋭く刺さる」と共感の声

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吉田羊國村隼が親子役でW主演を務めるドラマ24『生きるとか死ぬとか父親とか』(テレビ東京系、毎週金曜24:12~)の第6話が、5月14日に放送。蒲原トキコ(吉田)の亡き母(富田靖子)にまつわる過去が明らかになった今回。インターネット上では、ある決意をして前を向くトキコに共感する声があった(以下、ネタバレが含まれます)。

ラジオパーソナリティ・コラムニスト・作詞家と多彩な顔を持ち、女性からの圧倒的な支持を集めるジェーン・スーが自身の家族の出来事と思い出を描いた同名のエッセイが原作。主人公・トキコとその父親・哲也(國村)が織りなす、おもしろ可笑しくて、ときどき切ない家族のドラマが描かれる。

トキコ(吉田羊)
トキコ(吉田羊)

トキコの従姉・エミコ(渡辺真起子)の娘の出産祝いについて父から相談があった。レストランを予約し、食事のあとにお祝いを渡すという。祝儀についてひと悶着ありつつも当日を迎える。

レストランには、エミコとトキコの伯母で母の姉でもあるケイコ(三林京子)がいた。エミコの娘は赤ちゃんがいるため、あとで挨拶にくるらしい。トキコは、両親のことをエッセイに書いており、思い出があったら聞かせてほしいと頼んだ。すると、エミコは、あるとき、母が泣いていたのを目撃したと語りだす。

父・哲也(國村隼)とトキコ(吉田羊)
父・哲也(國村隼)とトキコ(吉田羊)

それは、彼女が両親の新婚時代に住んでいたアパートに行ったときのこと。流産したあとの母が泣きながら「何回子供を宿してもなかなかうまく育ってくれない」とケイコに話していたらしい。トキコは一人っ子であるが、生まれる前に亡くなってしまった兄や姉が何人もいたことを思い出す。

エミコは続ける。母は、どうしても子供を産みたかったが、父が分かってくれなかったとのこと。妊娠して間もない頃、身ごもっているのに“高いところにあるものをとって”とお願いされたことがあった。母が台に乗って手を伸ばしたとき、母は子供を失ったことが分かったそうだ。

その話は、幼い頃に聞いたことがあった。だが、なぜ自分に話してくれたのかは分からなかった。そう考えるトキコに、ケイコは「話さずにはいられなかったんだよ。とにかく誰かに聞いてほしかったんだね。旦那が真剣に聞いてくれないんだからそうするしかないだろう。でも哲也さんだけじゃないんだよ。昔の男はみんなそうだったんだから」とポツリ。当時の女性は、子供を産んで一人前だという風潮があったとこぼす。

父・哲也(國村隼)とトキコ(吉田羊)
父・哲也(國村隼)とトキコ(吉田羊)

今の時代とまるで考え方が違うとトキコが言うと、ケイコは、今の当たり前と昔の当たり前は違うと言い「人っていうのは、どうしたって自分の生きてきた時代から逃れられないもんなんだよ。だからお前のお母さんも、時代の中で悩んだり苦しんだりしたってことさ」と話した。

トキコは、父自身にも思いやりの欠如に心当たりがあり、心の奥底で、2度と挽回できない失態を悔いているに違いないと考える。

そんな中、エミコの娘たちが挨拶にやってきた。幸せそうな一同を見てふと思う。ありのままのことをエッセイで書こうとしていたのに、いつのまにかいい話を紡いでいただけではないか。死んだ母を偲び、年老いた父娘の話をおもしろおかしく語っていただけなのでは? 自分は、自らエディットした物語に酔っていた。それは父を美化したいからではなく、自分自身の人生を肯定したかったからかもしれない。

美談とは成り上がるものではない、安く成り下がったものが美談なのだ。どんなにぶざまな話でも笑い飛ばして書き倒そうと決意したトキコだった。

ネット上では「色々考えさせられた」「時代、過去に起こってしまったことに対して今、何もできないもどかしさ。分かる」「心に刺さる」「厳しく鋭く刺さる」との声があった。

次回第7話は5月21日に放送。トキコの友人・栗島ミナミ(石橋けい)は、夫が不倫していると落ち込む。

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