イチローに憧れ続けた川崎宗則がスペシャルな選手なれたワケ

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イチローに憧れ続けた川崎宗則がスペシャルな選手なれたワケ

野球日本代表としてWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)を2度優勝した川崎宗則が、12月19日放送のサッカー番組『FOOT×BRAIN』(テレビ東京系、毎週土曜24:00~)にゲスト出演。平凡な選手がスペシャルな選手になれたワケに迫った。

現在は、独立リーグであるルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに所属する川崎。寺内祟幸監督に人物像を聞くと「人を魅了し、惹きつけるチカラがある。ムードメーカーで他の選手の見本になる人」と大絶賛。スタジオでも番組MCの勝村政信と番組アナリストの福田正博ともサッカートークですぐに打ち解けるなど、持ち前のコミュニケーション能力を披露した。

小中学生の頃は体が細く、俊足だけの平凡な選手だったという川崎。プロ野球選手にはガッチリした体格の人がなれるものだと思っていたが、細身の体でありながら大活躍していたイチローの存在がその考えを変えさせた。「今考えたらとんでもないことですが、当時の僕は、この人がやれるなら俺も野球選手になれるかもしれないと思った」と言い、イチローに憧れてバッティングを右から左に変更。最初はまったく打てずにいたが「諦めるのならまずやる。とにかく練習しよう」と考え、家の庭に練習場を作り、中学3年生の大会から少しずつ打てるようになったという。

そして1999年、ドラフト4位で福岡ダイエーホークスに入団。憧れの選手に近づけると思ったが、プロの洗礼を浴びることに。2軍で先輩たちと練習をしたところ、あまりの実力差に愕然。「スイング、捕ってから投げる速さ、体力、すべてついていけなかった」と振り返り、「僕は夢を追ってプロ野球選手になったのに、プロに夢はないじゃないか」と現実を突きつけられた。しかし、先輩たちが遊んでいる時にも練習に励み、徐々に2軍の試合に出場、結果を残せるようになっていった。「練習を重ねていけば、何かが起きるかもしれない」と光明を見出したという。

基礎練習を繰り返し、コーチの言葉にも深く耳を傾け、常に考えて練習に取り組んだ。「同じ練習をしながら、全国から集まった野球が上手い70人の中の9人に選ばれるためには工夫が必要」と語り、「なぜこの練習をするのか考えて、自分の色を出せるように感受性を高めることが大事」だと話した。

そして2003年には1軍で開幕スタメンに名を連ね、日本シリーズ制覇に貢献。さらに2006年には日本代表としてWBCに出場し、憧れのイチローに初めて対面。「真っ白になりました」と語り、ミーティングでもコーチの話が全く耳に入ってこないくらいに緊張したという。しかし、持ち前のコミュニケーション能力でイチローとの距離はすぐに縮まり、いつしか一緒にトレーニングを行う仲に。イチローが2時間以上は練習をしないことに衝撃を受けたと明かし、さらにイチローは川崎に対して「シーズンに入ったら休め」とアドバイス。川崎は「休むことが悪い事だと思っていて、休み方を知らなかった」と当時の心境を明かし、「試合で100%を出すために休むことが大事」というイチローの言葉が強く心に残っているという。

更に川崎は、WBC連覇後に驚きの行動に出た。FA宣言をして「イチロー選手と同じチームでプレーすることだけを希望しています」とシアトル・マリナーズへの入団を目指した。しかしこの時、川崎の思いに反してシアトルは「いらない」と言っていた。「イチロー選手とプレーするのが夢で、これからの野球人生の為にも勉強したい」と訴えかけると、シアトルは「これなら来ないだろう」とマイナー契約を提示。しかし、日本代表の2億円プレーヤーがまさかのサイン。苛酷な2軍生活をスタートさせた。

そこで大きな壁となったのが言語。メジャー入りした多くの選手が通訳を付けているが、川崎は通訳なしで乗り込んだ。すると当然、コミュニケーションはおろかミーティングの内容さえもわからずじまい…。現地で重大さに気づき、ようやく日本から教材を取り寄せたという。サッカー界でも海外挑戦は進んでいるが、やはり言葉の壁が立ちはだかっている。川崎はどのようにして乗り越えたのか? 「野球の練習はどうにでもなった」と言い、練習後の食事などでチームメイトに溶け込めるように努め、飲み会にも誘われるようになったのだとか。「グラウンドでは教えてくれないけど、バーで野球を教えてくれる。それを続けていたらふとした時にミーティングがわかるようになっていた」とグラウンド外でのコミュニケーションの重要性を肌で感じたという。

2015年には、メジャーリーグを最も盛り上げた選手として、自身の名が冠された「ムネノリ・カワサキ賞」を受賞。2016年のワールドシリーズ制覇の際には、メンバー登録外ながらも盛り上げ役としてチームに帯同するなどして優勝に貢献。かつては平凡な選手だったが、憧れの選手を追い続けてスペシャルな選手になった。

「夢って中々出てこないし、夢があるから良い、ないから悪いではないと思う。その時の自分の気持ちを大事にして生きていけば、いつかそういうのにも向き合う。その時その時を楽しくハッピーに生きていけば何かが生まれると思うので、今の環境を大事にしてほしいですね」と語り、番組の最後に「来年40歳。本当に野球が面白い。今、栃木で試合をしているのですが、常々、野球が上手くなりたいという思いがあります。今でもできなかったプレーができるようになるし、海外に行けるなら行きたいし、違うところでもやりたいと思っています」と変わらぬ野球への思いを伝えていた。

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