水木しげるさんが漫画で伝えたかったこととは?『池上彰の戦争を考えるSP』生放送

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ジャーナリストの池上彰の冠番組『池上彰の戦争を考えるSP』(テレビ東京系)が、8月15日(土)12時30分から生放送される。第12弾となる今回は、「終戦75周年特別企画 ~ゲゲゲの鬼太郎が見た太平洋戦争~」と銘打ち、戦争と感染症について考える。

今年は第二次世界大戦が終結して75年。未曽有の悲劇をもたらし、その後の日本を一変させた戦争の記憶は遠のくばかりだ。これまで、真珠湾攻撃、終戦秘話、沖縄戦、昭和天皇、マッカーサー、松岡洋右外相、原爆、特攻、独裁者など、様々なテーマで戦争を考えてきた。新型コロナウイルスが世界を席巻する今、私たちは感染症の恐ろしさを痛感している。そこで今回は、戦場で感染症が蔓延した時に起こる悲劇について考える。戦闘とは異なる、もうひとつの悲劇がそこにある。実は75年前のあの戦争では、マラリアや餓えで失った命が多くを占めていた。池上が八重山諸島へ行き、75年前の悲劇を伝える。

まずは、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるさん(1922~2015)が漫画で伝えたかったことに迫る。水木さんは、75年前、南太平洋の最前線でマラリアに感染し、生死をさまよった後、奇跡的に帰還を果たした。水木さんが戦後著した戦記漫画では、最前線ラバウルの出来事をある時はすさまじく、またある時はユニークに描写。戦場の過酷さと日本軍の理不尽さを世に知らしめた。池上が水木さんの仕事場であった調布を訪ね、長女に話を聞き、未完成作品を見せてもらう。

続いて、沖縄県八重山諸島の住民を襲った悲劇「戦争マラリア」を紹介。マラリアは蚊(ハマダラカ)が媒介し人体を襲う感染症だ。太平洋戦争末期の昭和20年、沖縄県の八重山諸島で住民がマラリアに感染し、3647人が亡くなった。池上はこの7月、八重山諸島のジャングルを奥深く入り、マラリア感染の悲劇の現場を見て回った。そこで当時の「戦争マラリア」の被害者から悲痛な経験を聞いた。池上は悲劇の背景に陸軍中野学校(陸軍のスパイ養成学校)の工作員がいたことを知る。昭和20年3月、波照間島で教員をしていた人物がいきなり軍刀を振るって住民に西表島への強制疎開を迫ったというのだ。当初は優しかったこの人物が豹変して陸軍中野学校の工作員になった。彼が全島民に移住を命じた先は西表島のマラリア感染地域だった。今、石碑には「かつてあった山下軍曹(工作員)の行為はゆるしはしようが忘れはしない」と刻まれる。

放送を前に、池上と統括プロデューサーの福田裕昭からコメントが到着。以下に紹介する。

<池上彰 コメント>
75年前に終わった戦争で、日本人310万人が犠牲になったと言われています。この中にマラリアなど感染症による戦病死や餓死者がかなりの数を占めています。水木しげるさんは南太平洋でマラリアにかかり生死をさまよいました。帰還した水木さんは戦後、漫画を書いて戦争の実態を必死に伝えました。この番組でそれを紐解きます。そして私は八重山諸島で「もうひとつの沖縄戦」を取材してきました。そこには「戦争マラリア」という恐ろしい病が一家全滅をもたらした悲劇がありました。戦時に感染症が蔓延すると、何と悲しい結果を招くのか、強い衝撃を受けました。今、新型コロナという感染症に揺れる時だからこそ、こうした悲劇を多くの視聴者に深く受け止めていただけるのではないでしょうか。

<統括プロデューサー・福田裕昭 コメント>
ジャングルを奥深く入っていく87歳の戦争マラリア経験者の後を池上彰が追いかけていきます。その後をカメラクルーが続くという信じられない光景がありました。森林の奥にあったのは、75年前の住民たちの過酷な暮らし、そしてそこは戦争マラリアの悲劇の現場でした。これは「池上彰、渾身の戦争ルポ」です。八重山諸島は医療過疎地で、取材相手は高齢者ということで、現地ではソーシャルディスタンスなど、いつも以上に気をつけて取材にあたりました。池上さんも含めて八重山諸島取材班は全員PCR検査を受けて陰性を確認した上で現地へ向かいました。

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