エアマックスを日本で初めて販売した実業家、マイケル・ジョーダンに会って人生激変!

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実業家の中谷昌文さんが、5月28日に放送された『じっくり聞いタロウ 〜スター近況(秘)報告〜』(テレビ東京系、毎週木曜24:12~)に出演。あるものを販売して大儲けした過去を明かした。

彼が販売したのはナイキ・エアマックス。1995年、社会現象を巻き起こした同シューズは、エアマックスを履いている人から靴を強奪する「エアマックス狩り」が全国で多発したほど人気のあったアイテムだった。MCの河本準一曰く、そんなブームに先駆けて「最初は中谷さん1人でエアマックスを売っていた」とのこと。アメリカのナイキ本社と個人で契約し、日本国内で初めて同商品を売ったのが中谷さんだという。

もともとバスケットボールをやっていた中谷さん。26歳でマイケル・ジョーダンにバスケを教えてほしいとアメリカに留学。日本で350円で買っただるま3つを持って渡米した。何度も本人にオファーをかけたものの18回断られた。ようやく19回目にだるまを渡すことができ、子供たちに混じってバスケットボール教室に参加することができた。そのとき、彼が履いていたシューズに一目ぼれ。当時、ナイキのアメリカ本社は生産数を絞ってエアマックスを販売していたため、在庫が余らなければ、値崩れするのを防げると思ったという。

ジョーダンから紹介され、ナイキのアメリカ本社の副社長と話す機会に恵まれた。中谷さんは「当時、別の商社からも話があったと思いますけど」と前置きした上で、ジョーダンと同じくだるまをプレゼント。日本では、選挙が始まる前に片目を描いて、当選したらもう一つの目を塗る……という逸話を披露すると「面白い!」と気に入られ、日本での販売権をゲット出来た。

帰国後、1995年当時、爆発的人気を誇っていたカリスマ美容師に注目。彼らにエアマックスを取りいれたコーディネートを提案して販売。さらに当時バスケットボール漫画「SLAM DUNK」がヒットしていたことも手伝い、おしゃれに敏感な若者を中心に人気が高まった。最終的には、1足5000円で仕入れたシューズが5~10万円と高騰。こうして1年で売り上げた金額は44億円。中谷さんは約20億円手にすることができた。

その後、ナイキジャパンが販売を始めるタイミングでエアマックス市場から撤退。その後も中谷さんは、難病の子供や親のいない子にランドセルを届けるタイガーマスク運動を開始。そうした社会貢献の傍ら、現在7つの会社を経営しているという。年商はグループで100億円、年収は2億円ほどだと明かしていた。

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