大阿闍梨・塩沼亮潤「大峯千日回峰行」「四無行」を乗り越え見えた景色とは?

公開: 更新:
大阿闍梨・塩沼亮潤「大峯千日回峰行」「四無行」を乗り越え見えた景色とは?

“大峯千日回峰行”という荒行を成し遂げ“大阿闍梨”と呼ばれる高い位の称号を持つ僧侶・塩沼亮潤が、10月12日に放送のサッカー番組『FOOT×BRAIN』(テレビ東京系、毎週土曜24:20~)にゲスト出演。修行の末にたどり着いた境地が明らかになった。

大峯千日回峰行とは、標高差約1300mある寺から山頂まで往復48㎞を1000日にわたり続ける修行。雨の日も風の日も絶対に休むことは許されず、万が一、途中でこれ以上前に進めないと判断した場合には、左腰に所持する短刀で切腹して行を終えるという厳しいルールが古来よりある文字通り命がけの修行だ。この厳しい行を完遂すると大阿闍梨の称号が与えられるが、1300年の歴史の中で成功者は塩沼を含めわずか2人しかいない。

そんな厳しい行を成し遂げた塩沼自身にどのような変化があったのか? それまでは普通の社会生活を送っていたという塩沼。こうなりたい、これが食べたい、これが欲しいという欲望や不平不満など、誰もが抱く様々な感情に囚われていた。しかし、千日回峰行をしていくうちにそれらの感情に囚われなくなったという。「お坊さんの修行は毎日同じことの繰り返しですが、2500年前にお釈迦様が“同じことを繰り返していると悟る可能性がある。ただし、そこに情熱や向上心がなければ悟る可能性はない”と言い切っています。ですから、今日よりも明日、明日よりも明後日、こういう創意工夫がなければなりません」とポジティブに繰り返すことの重要性を説いた。

とはいえ、同じ事の繰り返しに嫌気がさしてしまうのも人の常。そんな中で、塩沼の教えに人生を動かされたのが、2011年になでしこジャパンをワールドカップ初優勝に導いた佐々木則夫前監督。翌年のロンドンオリンピックで初の銀メダルを手にした時、次のワールドカップに向けて新たなモチベーションを見つけられずにいた。しかし、塩沼が千日回峰行を成し遂げたその日に書いた「人生生涯小僧の心」という言葉を聞き、佐々木は「あれだけの修行をなさったのに、まだまだ小僧のようなものだと仰っていた。女子サッカーは優勝したけれど、まだ日本に女子サッカーは定着していない……。僕自身やる仕事はまだまだある」と考え直し奮起。継続して監督をやるきっかけになったという。

さらに塩沼は、大阿闍梨の称号を得た後も、その偉業におごることなく、入門したての小僧のように生涯修行に励む事を決意。すると翌年「食べること・飲むこと・寝ること・横になること」の4つを禁じた状態で9日間、真言を唱え続けるという修行「四無行」を敢行。修行中には身体から水分がなくなり血液がドロドロになり、座っているだけでも脈拍が上昇。さらには足のつま先の方から太腿まで徐々に紫色になっていくという、想像を絶する過酷な修行を成し遂げた。

「途中でやめたくならなかったのか?」と問われると「その感覚は全くなかった」と断言。「限界を超えたら死だが、限界を押し上げることができる」と語り、「お坊さんになる時に、世界で活躍できる僧侶になりたいという夢があったので、これごときで倒れたら世界行きの切符を手にすることはできないと考えていた。なぜか世の中は早く簡単に楽にリスクを背負わないでという思考があるが、面倒くさくて苦しくてしんどい方向に行った方が近道。繰り返し面倒くさいことをやっていくうちに見えてくる世界は素晴らしい」と説いた。

また塩沼は、海外では幼少期に返事、挨拶、礼儀、マナーなどの家庭教育が非常に厳しくされているのに対して、日本は少なくなってきたと指摘。「今、日本人に大切なのは、どんな人に対してもリスペクトする心。敬意を持つことが足りない」とコメント。また「どこかの宗教に入るということではなく、一人ひとりが信仰心を持てば良い」と語り、「一日、明るく楽しくみんなのために生きていこうでも良いし、一日、良いことをしてなるべく悪いことをしないようにしようでも良い。それで何もなければ“今日一日ありがとうございました”と心の中で手を合わせるだけでも立派な信仰だと思う。色々なことがあると思うが、原点を大事にしなければいけない時代だと思う」と話した。

番組MCの勝村政信は「命を懸けて修行をして、最終的には人を怒らないなどシンプルな考えになっていくけれど、それが難しいこともわかりました。僕らはまだまだ修行が足りないですが、そこに向かえば良いということがなんとなくわかっただけでも、今日は本当に良かったです」と語っていた。

画像ギャラリー

PICK UP