勝村政信「YASUDAの話ができるなんて…」伝説のスパイクメーカー復活に感動

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勝村政信「YASUDAの話ができるなんて…」伝説のスパイクメーカー復活に感動

メイド・イン・ジャパンの老舗スパイクメーカーとして人気を博しながら、日韓ワールドカップを目前に倒産した「YASUDA」が昨年5月、16年ぶりに復活。テレビ東京系で3月9日に放送されたサッカー番組『FOOT×BRAIN』(毎週土曜、24:20~)で、ブランド復活への道のりを特集した。

YASUDAは、1932年に安田靴店として創業。いち早くサッカースパイクに目をつけ、その4年後、1936年に開催されたベルリンオリンピックでは、YASUDAのスパイクを履いた日本代表が優勝候補のスウェーデンを撃破。選手たちを足元から支えた。戦後は不動の人気を獲得し、国内随一のブランドへと成長したが、70年代から徐々に海外ブランドにシェアを奪われ窮地に。2002年、日韓ワールドカップを目前に倒産したが、16年の時を超えて復活を遂げた。

それから16年、ある一人の男によってYASUDAが復活。その立役者となったのが、この日のゲストでYASUDA代表取締役社長の佐藤和博だ。元社員でもなく、メーカーで働いた経験もない男が、どのようにして伝説のスパイクを蘇らせたのか?

佐藤とYASUDAの出会いは中学2年生の頃。当時、埼玉県の大宮駅近くにあったフタバスポーツにスパイクを買いに行った際、そこの店長から「幅広の典型的な日本人の足にピッタリ」「これを履いたら絶対に上手くなる」と勧められたのがYASUDAのスパイクだった。それから学生時代はYASUDAのスパイクと共に過ごしたが、その後、接点はなくなっていた。時が経ち、社会人となったある日、フットサル仲間とYASUDAのスパイクの話になったことをきっかけに倒産していたことを知った。スポーツと健康に特化したクラウドファンディングの事業会社を経営していた佐藤は「むかし履いていたスパイクを自分の手で復活したら面白い」と考え、YASUDA復活に向けて動き出した。

当初、佐藤は「簡単に作れる」と思っていたが、いざ動き出すと問題は山積み。まず、最初に手を付けなければならなかったのが「YASUDAブランド」を象徴する2本ラインのロゴを含めた権利や商標の取得。調べていくと、かつてYASUDAで22年働いていたという営業マンの齋藤圭太さんが、「ブランドをいつか復活させたい」と夢見て商標を手に入れていたことが判明。佐藤は「怒られても死にはしない」と、手紙に復活への思いを記して説得。突然現れた素人の言うことに最初は聞く耳を持ってもらえなかったが、いつしか信念が伝わり齋藤を動かした。齋藤は「シューズ作りのノウハウを持つ自分と、企画力のある佐藤社長が一緒に行動すれば一つの形になると思った」と当時の思いを明かした。

しかし、すぐに次の問題が目の前に立ちはだかる。かつての製造工場がことごとく倒産しており、スパイクの設計図となる当時の木型・金型が見つからなかった。いよいよ諦めかけたところで、福島の工場が保存しているとわかった。佐藤は「どうして保存していたのかわからないのですが、運命的な繋がりがあった」と振り返った。

ついに商標と設計図を入手し、残る課題は工場を可動するために必要な750万円の資金調達。実は資金に関しては、銀行からの借り入れや、自分の会社の資金を使えばすぐにでも実現可能だったが、佐藤は「それだとただ作って終わりになってしまう。なんとか“みんなの力”で成し遂げたい」と考えていた。そこでクラウドファンディングを活用し、300人近い支援者から目標750万円を越える約850万円の資金を調達。そこで見えてきたのが、YASUDAを愛する人々の存在だったという。

佐藤はプロジェクトを立ち上げた当初から「YASUDA愛を持った“YASUDA親父”がたくさんいる」ことには気づいていたが、クラウドファンディングを始めると「昔、履いていました」「息子に履かせたい」「昔、彼氏が履いていたスパイクで懐かしいので支援します」など、様々な思いで賛同してくれる人々がいることがわかった。かつて名古屋グランパスでプレーした原竜太もその1人。「サッカー選手の命とも言えるスパイクが履けなくなるのは残念で、その後で自分が履くスパイクを探すのが大変だった。これからサッカーする時に履ければ良い」と復活を喜んだ。

さらに今回、ブレインスカウター・サトミキこと佐藤美希が、復活したYASUDAのスパイクを作る工場を取材。カンガルー革などの素材に直に触れ、熟練の職人が一つ一つ手作業で作り上げていく工程を目にしたサトミキは「イチから手作業で作られているメイド・イン・ジャパンの凄さを実感しました」と感動を伝えた。

スタジオの勝村は、一つ一つのこだわりによって1日で約60足作るのが限界だと知ると、「ありがたいですね。僕らの頃もカンガルーのモデルは2万円くらいしたけれど当たり前ですね」とその価値に頷いた。また、勝村のために用意されたスパイクを試着。どちらかというと幅広の日本人足だという勝村は「ギュッとしているのに柔らかくて優しい。なんのストレスも感じない」と目を輝かせながら履き心地を楽しんだ。そして、「この番組でYASUDAの話が出来るとは思っていなかった。それだけで嬉しい。純粋なメイド・イン・ジャパンのメーカーが少しずつ大きくなっていったら良いですね」とエールを送っていた。

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