中澤佑二「アイツは異次元でした」もはや笑うしかないアノ選手の凄さとは?

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中澤佑二「アイツは異次元でした」もはや笑うしかないアノ選手の凄さとは?

元サッカー日本代表の楢崎正剛中澤佑二が、2月23日に放送されたテレビ東京系サッカー番組『FOOT×BRAIN』(毎週土曜24:20~)にゲスト出演。16日放送の400回SPに続き、番組MCの勝村政信鷲見玲奈アナウンサー、番組アナリストの福田正博北澤豪秋田豊と共に「平成サッカー史」を振り返り、同日となった引退発表秘話を明かした。

後半戦となったこの日の放送は、平成14年(2002年)からスタート。アジア初となる日韓ワールドカップが開催され、日本代表は2勝1分でベスト16へ進出。ワールドカップ初勝利だけでなく決勝トーナメント進出という快進撃に日本中が湧き上がった。

当時の日本代表メンバーだった楢崎は、まったく声が通らなかったという会場の雰囲気について「代表戦である程度の感覚は掴んでいると思っていましたが、本大会は全然違いました」と述懐。秋田も、トルシエ監督の代名詞“フラットスリー”がもたらした影響について、「3バックのラインコントロールで相手にスペースを与えないとか、あれだけ組織的にやると日本の力が出せると初めて感じた」とコメントした。一方で、ベスト16のトルコ戦については「ちょっと監督がテンパってしまったよね」と述べ、ウィングハーフに小野伸二、トップ下にサントスという布陣を知った際には「山本昌邦コーチに“これはダメでしょう”と言ったし、みんなもそう感じていたと思う」と打ち明けた。すると勝村も、「監督にもワールドカップの経験値が必要だということを当時の僕らはわかっていなかったですよね」と、そこから得た気づきがあったと振り返った。

そしてこの年、中澤がヴェルディから横浜F・マリノスに移籍。北澤が「裏切り者も良いところ(笑)」と語った“禁断の移籍”を断行した理由を聞かれると、ヴェルディ3年目だった中澤は、代表に呼ばれたり呼ばれなかったりという微妙な時期で、「このままだとワールドカップに出るという夢を叶えられない」「競争がない状態のまま過ごすのは良くない」と考え、思い切って環境を変えたと告白。すると平成15年(2013年)、横浜FMは当時2ステージ制だったJリーグで完全優勝。平成16年(2004年)には、中澤はJリーグ年間MVPを受賞する大活躍でチームを牽引し2連覇を達成。「いい選手はたくさんいたのですが、たぶんインパクトがなかったのでしょうね(笑)」とトレードマークの“ボンバーヘッド”を自賛した。

そして、平成18年(2006年)。ジーコ監督率いる日本代表はドイツワールドカップに出場。中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一によって構成された“黄金のカルテット”は史上最強の呼び声も高かったが、結果は2敗1分でグループリーグ敗退。世界の壁の高さをまざまざと見せつけられた。念願のワールドカップ出場を果たした中澤だったが、「頼れる先輩たちがいたので、“チームが勝つため”と考えず、“自分が良いプレーをすれば良い”と思っていた」と振り返り、「本当に申し訳ないです」と神妙な表情を見せた。

そんな中、福田が「海外の選手相手でもやれる自信はあったでしょ?」と質問。すると中澤は、モチベーションも体も非常に良い状態で、Jリーグでも大きくて強い外国籍選手を相手にして経験は積めていると考えていたと返答。しかし、ある選手によってその思いは見事に打ち砕かれたという。中澤に「アイツは異次元でした」と言わしめたのが、ブラジル代表のロナウド。「マークに付いてお腹を触るとポチャポチャしているのに最初の動作が速い。“0・1・2・3~100”じゃなくて“0・100!”みたいな。速すぎて駆け引きも全く通じなかった(笑)」と世界最高クラスから受けた衝撃を伝えた。

平成22年(2010年)は、名古屋グランパスが18年目にして初のJリーグ王者に。楢崎にとっても初のリーグタイトルとなったが、楢崎にとってはドイツワールドカップに続き2大会連続でメンバー入りしながらも出場機会のなかった南アフリカワールドカップの悔しさが結果に結びついたと明かした。「(南アフリカは)自分にとっての集大成というか、ドイツ以上に良い状態で迎えられたのに出場機会がなくてガッカリした」と振り返り、「自分に足りないものはJリーグのチャンピオンだと思って、そのモチベーションしかなかった」と打ち明けた。この悔しさを原動力に名古屋のゴールマウスを守り、ゴールキーパーとしては初めてJリーグのMVPにも輝いた。

そして、東日本大震災が起きた平成23年(2011年)。地震発生からわずか18日後となる3月29日、大阪・長居スタジアム(当時)でSAMURAI BLUE(日本代表)vs JリーグTEAM AS ONEによるチャリティマッチが開催され、三浦知良による魂のゴールは多くの人々の心を奮い立たせた。そして7月、なでしこジャパンがワールドカップ初優勝の快挙を成し遂げるなどサッカー界が一丸となって被災地を勇気づけた。そして、平成26年~30年(2014年~2018年)。2度のワールドカップを経た日本代表は森保ジャパンが率い、世代交代を推し進め新時代に突入している。

そのほか、同日となった二人の現役引退発表も話題に。お互いの引退については昨年末に話していたが、発表日については中澤が「楢さんが1月8日か9日と言っていたので、なんとなく合わせた」と告白。同日発表は偶然だと思っていた楢崎は「え? ホンマに? 初めて聞いた!」と笑い、中澤は「楢さんと同時に発表できたら嬉しいなって。それに、引退に対する2人への周囲の反応も少し和らぐかなと思いました」と話した。

また、引退を決断した理由について楢崎は、「試合に絡めない中で、自分がどれだけできるか悩んでいた」と打ち明け、オファーを貰って他チームでやるとなっても気持ちが上がらないことに気付き、「これが自分の答えか……」と引退を決断したという。一方の中澤も「僕自身も苦戦していたし、いろんな葛藤があった」と言い、川崎フロンターレ戦で同世代の中村憲剛が交代でピッチを去る際に交わした一瞬のコミュニケーションを振り返り「もしかしたら最後になるかもしれないので挨拶した」と明かした。

番組の最後に勝村は「引退した選手のことを話せるというのも歴史だと思うのですよね。それは歴史を含めて層が厚くなったということじゃないですか。こんな話がサッカーの世界でできるようになったことが感慨深いです」と話し、「この番組を400回も続けることが出来て、その節目にこんな素敵な方々に出演していただけて本当に幸せです。こういう方たちが今後、サッカーでも違う場面でもどうやって貢献してくれるのか楽しみ。この番組をもうちょっと続けさせていただいて、“皆さんがこんなことをしている”、“こんな選手を育てた”といったことをお伝えできたら幸せです」と話していた。

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